東山藤稲荷神社 | 東京都新宿区

東山藤稲荷神社

東山藤稲荷神社は、新宿区立おとめ山公園の南側に鎮座する。社伝によれば、延長5年(927)清和源氏の祖・六孫王源経基が京都の伏見稲荷を勧請したことを創祀とし、源氏の守護神として崇敬された。後には庶民の信仰も集め、信者は江戸市中から関東一円に広がったという。

正式名称 稲荷神社〔いなりじんじゃ〕
通称 東山藤稲荷神社〔ひがしやまふじいなりじんじゃ〕
御祭神 宇迦之御魂大神 大宮能売大神 佐田彦大神
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都新宿区下落合2-10-5 [Mapion|googlemap]
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目次

御朱印

  • 東山藤稲荷神社の御朱印

    (1)

(1)平成31年拝受の御朱印。書き置き。朱印は「東山稲荷神社」、揮毫は「おとめ山/東山稲荷神社」。

※御朱印は下落合氷川神社で拝受できる。

御由緒

神狐

御祭神

■宇迦之御魂大神…伊勢神宮外宮の神と同神とされ、衣食住の大祖神、一家の和合、商売繁盛を守護する神
■大宮売大神…神楽舞踏の始祖神、歌舞音曲、長寿を守護する神
■佐田彦大神…交通、通商貿易を守護し、万事善方に導いてくださる神
※社頭掲示による

因みに、江戸時代の御神体は荼枳尼天の神像であったことが十方庵敬順の『遊歴雑記』に記されている。

社号

社号標

旧社地に建つ社号標「正一位 東山 藤稲荷大明神」

現在の正式名称は稲荷神社。一般に東山藤稲荷神社の名で知られるが、東山稲荷神社、藤稲荷、富士稲荷社、東山藤森稲荷などとも呼ばれる。

神社入り口の社号標には「東山藤稲荷神社」、その側にある古い社号標には「正一位東山藤稲荷大明神」とあるが、由緒書の掲示は「東山稲荷神社」となっている。御朱印も「東山稲荷神社」。『平成「祭」データ』でも通称を「東山稲荷」としているので、東山稲荷神社が公式の通称だと思われる。

古い資料を見ると、『四神地名録』は「藤乃稲荷」、『江戸名所図会』は「藤杜稲荷社」「藤森稲荷社」、『新編武蔵風土記稿』や村田嘉陵の『江戸近郊道しるべ』は「藤稲荷」とする。

十方庵敬順の『遊歴雑記』は「藤稲荷」「ひがし山正一位藤稲荷」とするが、社号標には「東山正一位稲荷大明神」と刻まれていたと書いている。

『落合町誌』は項目名を「富士稲荷社」としているが「東山稲荷神社と称するを正しとする由」と記している。

藤稲荷の名については、境内に藤の大木があったことによるとされる。『落合町誌』は『東都一覧武蔵考』の「そのかみ藤の大木ありしが、今は枯れてなけれど其の名を残さんとて別の藤を植えたり」という文を紹介している。また、『江戸名所図会』の挿絵を見ると、境内に藤棚らしきものが描かれている。

ただし『遊歴雑記』は藤の木には触れず、京都東山に藤の森稲荷(伏見稲荷の別名)があり、当社も下落合村の東の山の上にあることから帝都に準じて「東山藤稲荷」と号するという説を紹介している。

由緒(歴史)

『江戸名所図会』藤森稲荷社

『江戸名所図会』藤森稲荷社(国会図書館デジタルコレクション)

社伝によれば、延長5年(927)初午の日、源経基が京都の伏見稲荷より勧請したことを創祀とする。経基は当社の神託により平將門の謀反を察知して朝廷に奏上、その功により位を与えられ、将門討伐群の副将に任じられたことから源氏の守護神として崇敬したという。

この伝承については『落合町誌』に紹介されているので、簡単にまとめてみる。

朱雀天皇の御代、承平2年(932)源経基に平将門が謀反を企ているという当社の神託があり、忍びの者を送って確認すると、神託の通りであることがわかった。早速上洛して奏上したところ、天聴に達して位と源の姓を賜り、六孫王と号するようになった。翌年2月には副将軍に任じられ、関東征伐を命じられた。これによって当社は源家守護の氏神とされた。

同年2月の初午の夜、3匹の白狐が当社に現れ、社守に向かって「我ら、これまで将門に属していたが、悪逆増長し、今月のうちに焼き討ちになることを知ったため、立ち離れて当山に逃れてきた。これより当社の眷属となって、ながく守護することを願う」と言った。

社守は白狐たちを山奥に隠し、食物を与えておいたところ、2月13日、将門は下総国島広山に引きこもり、常陸掾平貞盛が火を放ったため従類まで焼け滅んだ。14日将門は辛島というところで箭に当たって戦死し、藤原秀郷が首を取った。3月25日将門の首が京都に到着して関東は治まった。

社守は神妙なりと感得し、奥之院に祀って神務怠ることなく天下太平を祈願したという。

その後、当社への信仰は武家のみならず庶民からも信仰を集めるようになり、信者は江戸市中から関東一円に広がったという。『江戸名所図会』には「霊験あらたかなりとて、すこぶる参詣の徒多し」と記されている。

昭和20年(1945)戦災により焼失。昭和28年(1953)現在の地に移転し、仮殿にて復興した。現在の社殿は昭和45年(1970)の再建。旧社地は参道入り口の少し南側、社号標が建っているあたりである。

江戸時代は薬王院持ちであった。明治以降は下落合の氷川神社が兼務している。

江戸時代の様子

『江戸名所図会』藤森稲荷社(部分)

『江戸名所図会』藤森稲荷社(部分)

『江戸名所図会』には「藤森稲荷社」として往時の様子が描かれている。参道の石段を上ったあたりには幟が立ち並び、信仰を集めていた様子がうかがえる。その側には藤棚も描かれている。左上には小さな鳥居が並んでおり、奥之院への参道だと思われる。

『四神地名録』によれば、奥之院には狐の穴があり、狐が住み着いて人を恐れず、里人は「稲荷宮の眷属」として、犬が入れないよう垣を作って敬ったという。十方庵敬順の『遊歴雑記』によれば、鳥居と祠があり、野狐が穴を掘って住処としていたとのこと。土を掘り返して踏み散らしている様子から、かなりの数の狐が出入りしているようだという。そして、この穴に住むのは黒狐で、この宮の主将だとの言い伝えを記している。

石造物

当社の境内には文化15年(1818)奉納の神狐、寛延3年(1750)と天保9年(1838)の手水鉢など江戸時代の石造物が残されており、当時の信仰の厚さを偲ばせる。

また、この地からの眺望は素晴らしかったようで、十方庵敬順は「絶景言わん方なし」と絶賛している。

この地甚だ閑寂として、東南の耕地を眺望し、遠くは和田戸山を望み、近くは猪のかしら(井の頭)の下流をながめ、風色天然にして佳興あり、春は遠近の花にめで、こころごころの野の花はいうも更に、よろづの摘草に日のかたぶくを恨み、初夏にはほととぎすの初声より打集いつつ田植えする様、黄昏よりはほたるの一面に飛かうは、この土地の一奇観といわんかし、秋はもみぢ、冬は雪見、殊更中春の頃は、この辺より氷川明神の森の前後、路傍の左右は、蓮華草の一面に咲きつづきたるは、毛氈を敷くとも斯くは及ぶまじ、また南には猪の頭(井の頭)落合川の下流は、道にそい田畑に習いて、逆流は目覚る心地ぞせらる、実に雅客文人の愛すべき雅景は、天造の風色というべし。

閑寂として高きより西南東の三方を遠く見晴らし、四季折々の風色天然に絶景いわん方なし。

おとめ山

おとめ山公園

当社境内を囲むように新宿区立おとめ山公園が広がっている。社殿の背後に公園の木々が茂り、社叢のような様相となっている。

江戸時代、この一帯は将軍家の狩猟場で、みだりに立ち入ることが禁止されていたことから「おとめ山(御留山・御禁止山)」と呼ばれた。

明治の終わりに相馬子爵家(旧岩城中村藩主)が当地一帯を取得、大正3年(1914)長岡安平の手により池泉を中心とする回遊式庭園を築造した。戦後は大蔵省の所有となって荒廃していたが、近隣住民の要望を受けて東京都が公園として整備、昭和44年(1969)おとめ山公園として開園、新宿区に移管された。

因みに、おとめ山公園には区内には珍しい湧水があるという。十方庵敬順は、東山藤稲荷の背後の山から湧き出す水について「煎茶に至てよし」と書いている。

写真帖

東山藤稲荷神社旧社地

旧社地

社号標

社号標「正一位東山藤稲荷大明神」

社号標

社号標「東山藤稲荷神社」

一の鳥居

一の鳥居

二の鳥居

二の鳥居

境内

境内

藤棚

藤棚

石造物

境内の石造物

石仏

石のお地蔵様

神狐

神狐

手水鉢

寛延3年(1750)の手水鉢

社殿

社殿

メモ

新目白通り方面からおとめ山通りに入ると、すぐ左側に東山藤稲荷神社の旧社地があり、社号標が建っている。古いほうには「正一位東山藤稲荷大明神」と刻まれているが、古い鳥居の柱を再利用したもののように思われる。さらに少し進むと参道入り口がある。マンションに挟まれた、生活感あふれる空間である。

小さな朱の鳥居を潜り、石段を上ると再び朱の鳥居が現れる。右側には藤棚が、左側には江戸時代の石造物がある。その正面に鉄筋コンクリート造神明造の社殿が建っている。

境内から南側を見ると、高台ではあるがすぐそばにマンションが建ち、あまり開けた感じがしない。その先も見渡す限り家屋やマンション、ビルが立ち並んでいる。

文化・文政の頃、藤稲荷に遊んだ十方庵敬順は「一面に田畑が広がり、四季折々の風色は絶景で言葉に尽くしがたい。ただ恨むべくはよろずの買物に不便なことだが、それも逆に侘びて風流か」と述べているが、今は逆になっているようだ。

一方、社殿の背後は緑豊かなおとめ山公園で、都会の真ん中の小さなお社でありながら、そのような雰囲気を感じさせない。

東山藤稲荷神社の概要

名称 稲荷神社
通称 東山藤稲荷神社 東山稲荷神社 藤稲荷神社 富士稲荷社 藤森稲荷社
御祭神 宇迦之御魂大神〔うかのみたまのおおかみ〕
大宮能売大神〔おおみやのめのおおかみ〕
佐田彦大神〔さだひこのおおかみ〕
鎮座地 東京都新宿区下落合2-10-5
創建年代 延長5年(927)
社格等 旧無格社
例祭 5月8日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月上午の日/初午祭
※『平成「祭」データ』による

交通アクセス

□JR山手線・西武新宿線・東京メトロ東西線「高田馬場駅」より徒歩約10分
□JR山手線「目白駅」より徒歩約10分

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