正定山 幸國寺(布引祖師)

布引幸國寺

寛永7年(1630)加藤清正の発願により中明院日観上人を開山として開創された。祖師像は日蓮上人が自らの身代わりとして作らせたもので、布引の祖師として知られる。この像の手に御題目を書いた白布を掛け、船に乗せて海にこの白布を引かせて祈願したところ、たちまち疫病が退散したという。元は小湊誕生寺に伝えられていたが、幸国寺開創の際に奉安された。

名称 正定山 幸國寺
通称 布引幸國寺
祖師像 厄除布引祖師
所在地 東京都新宿区原町 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 牛込柳町(都営大江戸線)
早稲田(東西線)
公式サイト http://www.koukokuji.or.jp/
目次

縁起・沿革

寛永7年(1630)熱心な法華信者であった加藤清正の発願により、中明院日観上人を開山として開創された。江戸時代に大火で2度、さらに先の大戦の戦災により合計3回伽藍を焼失しているが、その都度再建されている。現在の本堂は平成23年(2011)に再建されたものである(御首題を拝受したときは、ちょうど工事中であった)。

境内にある大銀杏は、当地が加藤清正の下屋敷の一つであったことから「清正公お手植えの松」と言い伝えられてきたが、実際にはさらに古く、推定樹齢は500年。昭和62年(1987)新宿区の天然記念物に指定された。さらに区の特別保護樹木・景観重要樹木にも指定されている。また山門は御三卿の一・田安家の屋敷から移築されたものと伝えられており、平成23年に区の有形文化財に指定された。

祖師像は「布引の祖師」として知られる。

文永元年(1264)日蓮聖人は興津城主・佐久間重貞の招きにより妙覚寺(千葉県勝浦市。本山・由緒寺院で、当時は興津城の持仏堂であった)で説法を行った。その頃、興津で疫病が流行したが、日蓮聖人が白布に題目をしたためて船で曳かせ、自ら船に乗り込んで祈祷したところ、たちどころに疫病が退散した。喜んだ村人達が聖人を慕って造った祖師像は、今も妙覚寺に伝えられている。

文永7年(1270)、再び疫病が流行した。人々は鎌倉にいた日蓮聖人に祈祷を頼んだが、聖人は鎌倉を離れることができなかった。そこで身代わりとして自身の木像を造り、その手に題目を書いた白布をかけて弟子に持たせた。そして船から白布を曳かせて祈祷を勤めさせたところ、たちまち疫病が治まったという。

その後、この尊像は小湊誕生寺に奉安されていたが、幸国寺の開創に際して遷され、江戸十大祖師の一として広く尊信された。

御首題

  • 布引幸國寺の御首題

御題目の左右に「如説修行」「功徳甚多」。中央の朱印は「厄除布引祖師奉安」、右上は「江戸十祖師」、左下は「正定山幸国寺」。

写真帖

  • 参道

    参道

  • 瑠璃殿

    瑠璃殿(納骨堂)

  • 山門

    山門

  • 大銀杏

    大銀杏

  • 浄行堂

    浄行堂

  • 鐘楼

    鐘楼

  • 本堂

    本堂

メモ

都営大江戸線牛込柳町駅の東口を出て、北側の細い道を西に進むと、すぐ幸國寺の参道がある。参拝時はちょうど境内の工事中で、御本尊や祖師像は庫裏に安置されていた。上の写真は、後日、本堂の完成時期を見計らって参拝したときのものである。

幸國寺の概要

山号 正定山(しょうじょうざん)
寺号 幸國寺(こうこくじ)
院号
通称 布引幸國寺
御本尊 三宝尊
祖師像 布引祖師(厄除布引祖師)
所在地 東京都新宿区原町二丁目20番地
創建年代 寛永7年(1630)
開山 中明院日観上人
開基 加藤清正公
宗派等 日蓮宗

交通アクセス

□牛込柳町駅(都営大江戸線)より徒歩2分
□早稲田駅(東西線)より徒歩10分

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