創建年代は不詳だが、文永3年(1266)田中大夫が田中家の守護神である熊野権現を当社の末社として祀ったという伝承があり、それ以前の鎮座であろうと考えられている。明治5年(1872)住民の協議により大森全体の鎮守としてされた。
正式名称 | 貴舩神社〔きふねじんじゃ〕 |
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御祭神 | 高龗神 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 大森東3-9-19 [Mapion|googlemap] |
御朱印
(1)平成18年拝受の御朱印。中央の朱印は神璽。左下の印は「貴船神社之印」。
(2)平成22年拝受の御朱印。中央の朱印は「貴舩神社之印」。左下の印は「宮司之印」。
御由緒
創建年代は不詳だが、文永3年(1266)6月3日、鎌倉の人・田中大夫が海岸寺(現在の厳正寺)を開創した法円上人(北条重時の六男・時千代)とともに来住し、奉持していた守護神の熊野権現を当社の末社として祀ったという伝承がある。このことから、それ以前の鎮座と推測されるという。以来、村民の篤い尊敬を受けてきた。
『大森町政提要』(昭和2年)によれば、もともと土地の人々によって船王明神と呼ばれていたという。田中大夫が田中家の鎮守・熊野権現を俗地に安置するのは畏れ多いと思っていたところ、船王明神の話を聞き、社殿を改築して合わせ祀ったのが貴舩神社の始まりだという。
以来、農業・漁業・醸造などの神として崇敬され、日照りや長雨、凶作の際には村民がこぞって社殿に参籠し、また海上での祈願を行ったという。三頭の龍が神使として仕えているといわれ、アサリを断って祈願すれば腫れ物が治るという伝承があったという。
明治5年(1872)村社に列格。さらに明治18年(1875)地元住民の協議により、当社を大森総鎮守に決定したとのことである。現在の社殿は昭和30年(1955)の再建である。
写真帖
メモ
参道には末社・貴舩稲荷神社の赤い幟が並んでいる。また、参道のかたわらには『漁業納畢之碑』が建っている。この辺りは江戸時代以来の海苔の産地であり、貴舩神社ではたてかた祭・悪潮祓・海上安全祈願祭などが行われたという。しかし、昭和37年(1962)漁場を全面放棄。その歴史を記念して建てられたものである。
〈追記〉平成17年に拝受した御朱印は神璽であったが、その後、社名の御朱印ができたようである。
貴舩神社の概要
名称 | 貴舩神社 |
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通称 | 大森貴舩神社 |
旧称 | 貴舩社 |
御祭神 | 高龗神〔たかおかみのかみ〕 |
鎮座地 | 東京都大田区大森東三丁目9番19号 |
創建年代 | 文永3年(1266)以前? |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 10月10日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月節分/節分祭 2月初午の日/初午祭 2月11日/水神祭 2月17日/祈年祭 5月第4土曜日/夏季大祭 6月30日/大祓 11月23日/新嘗祭 12月25日/大祓 12月31日/除夜祭 |
交通アクセス
□京浜急行線「大森町駅」より徒歩約9分