昔の納経帳・集印帖– category –
江戸時代・明治・大正・昭和の納経帳や集印帖に収められた納経・御朱印の紹介
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昔の納経帳・集印帖
明治39年(1906)はがきアルバムの御朱印(2)
明治後期のはがきアルバムに収められたはがき・絵はがきの御朱印の紹介。102枚収められているうちの35枚目から68枚目まで。ただしアルバムに収められた順番で、拝受した順番というわけではない。このはがきアルバムには明治39年から41年にかけてのはがき・... -
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明治39年(1906)はがきアルバムの御朱印(1)
明治後期のはがきアルバムに収められたはがき・絵はがきの御朱印の紹介。102枚収められているうちの1枚目から34枚目まで。ただし拝受した順番というわけではない。このはがきアルバムには明治39年から41年にかけてのはがき・絵はがきが収められているが、... -
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天保15年(1844)六十六部の納経帳(6)
天保15年(1844)から弘化4年(1847)にかけて、信濃国の人と思われる六十六部廻国行者が信濃から東海、紀州、四国、中国、丹後、若狭を経て信濃に戻った巡礼の納経帳。そのうち伯耆国から信濃に至る最後の部分を紹介する。 伯耆国から因幡・但馬を通って... -
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天保15年(1844)六十六部の納経帳(5)
天保15年(1844)から弘化4年(1847)にかけて、信濃国の人と思われる六十六部廻国行者が信濃から東海、紀州、四国、中国、丹後、若狭を経て信濃に戻った巡礼の納経帳。そのうち出雲国内の寺社の納経を紹介する。 出雲国内で納経を受けた寺社は前回紹介し... -
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天保15年(1844)六十六部の納経帳(4)
天保15年(1844)から弘化4年(1847)にかけて、信濃国の人と思われる六十六部廻国行者が信濃から東海、紀州、四国、中国、丹後、若狭を経て信濃に戻った巡礼の納経帳。そのうち美作・伯耆・出雲の寺社、及び書き置きの納経を紹介する。 美作国の寺社は2ヶ... -
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天保15年(1844)六十六部の納経帳(3)
天保15年(1844)から弘化4年(1847)にかけて、信濃国の人と思われる六十六部廻国行者が信濃から東海、紀州、四国、中国、丹後、若狭を経て信濃に戻った巡礼の納経帳。ここでは四国の納経を紹介する。 讃岐国が5ヶ所、伊予国が8ヶ所、阿波国が4ヶ所だが、... -
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天保15年(1844)六十六部の納経帳(2)
天保15年(1844)から弘化4年(1847)にかけて、信濃国の人と思われる六十六部廻国行者が信濃から東海、紀州、四国、中国、丹後、若狭を経て信濃に戻った巡礼の納経帳。ここでは伊勢から紀伊の寺社の納経を紹介する。 伊勢国の寺社が5ヶ所、志摩国の寺社が... -
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天保15年(1844)六十六部の納経帳(1)
天保15年(1844)から弘化4年(1847)にかけて、信濃国の人と思われる六十六部廻国行者が信濃から東海、紀州、四国、中国、丹後、若狭を経て信濃に戻った巡礼の納経帳。ここでは信濃から甲斐・駿河・遠江・三河を経て尾張に至る寺社の納経を紹介する。 最... -
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天保11年(1840)四国八十八ヶ所の納経帳(5)
この納経帳は天保11年(1840)旧11月から12月にかけて四国八十八ヶ所を巡拝したものである。冒頭に京都の仁和寺と東寺の納経があることから京都もしくはその近辺の人であろうと考えられる。四国霊場の納経は第78番道場寺(現在の郷照寺)から順打ちしてお... -
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天保11年(1840)四国八十八ヶ所の納経帳(4)
この納経帳は天保11年(1840)旧11月から12月にかけて四国八十八ヶ所を巡拝したものである。冒頭に京都の仁和寺と東寺の納経があることから京都もしくはその近辺の人であろうと考えられる。四国霊場の納経は第78番道場寺(現在の郷照寺)から順打ちしてお...