【略縁起】
寺伝によれば行基菩薩の開創とされる。弘仁6年(815)弘法大師が三七日『阿弥陀経』を読誦、修法を行い、満願の日に阿弥陀如来を感得したので、その姿を刻んで本尊とした。ところが、この本尊の発する光が遠く鳴門の沖まで達して漁の妨げとなったため、本堂の前に小山を築いて光を遮った。これに因んで「日照山」と号するようになったという。
名称 | 日照山 無量寿院 極楽寺 |
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御本尊 | 阿弥陀如来 |
本尊真言 | おん あみりた ていせい からうん |
御詠歌 | 極楽の弥陀の浄土へ行きたくば 南無阿弥陀仏口ぐせにせよ |
所在地 | 徳島県鳴門市大麻町桧12 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.tv-naruto.ne.jp/gokurakuji/ |
極楽寺の納経(御朱印)
(1)平成元年に拝受した納経。揮毫は「弥陀如来」。中央の宝印は火炎宝珠に阿弥陀如来の種字「キリーク」。右上は「四国第二番」、左下は「安養閣」。
(2)平成18年に拝受した納経。揮毫は阿弥陀如来の種字「キリーク」と「無量寿」(阿弥陀如来の別名)。朱印は平成元年のものと同じ。
江戸時代の納経
(3)天保11年の納経。揮毫は「奉納経」「本尊無量寿佛」「阿波国日照山」「極楽寺」。中央の宝印は勅願寺であることを示す十六八重菊の御紋。右上の朱印は「四国第二番」、左下は「安養閣」で、現在のものとほぼ同じ。
(4)天保12年の納経。揮毫は「奉納経」「本尊阿弥陀如来」「阿州日照山」「極楽寺」。朱印は天保11年のものと同じ。
明治時代の納経
(5)明治38年の納経。揮毫は「奉納経」「金堂阿弥陀如来」「日照山 極楽寺」。中央の宝印は阿弥陀如来の種字「キリーク」。右上の朱印は「四国第二番」、左下は「安養閣」。
極楽寺について
山号 | 日照山(にっしょうざん) |
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寺号 | 極楽寺(ごくらくじ) |
院号 | 無量寿院(むりょうじゅいん) |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
所在地 | 徳島県鳴門市大麻町桧字段の上12番地 |
創建年代 | 天平年間(729~728) |
開山 | 行基菩薩 |
宗派等 | 高野山真言宗 |
文化財 | 〈重文〉木造阿弥陀如来坐像〈県有形文化財〉両界曼荼羅 |
備考 | 阿波北嶺薬師霊場(11番) 阿波西国三十三観音霊場(東部21番) |
覚え書き
朱塗りの仁王門をくぐると、見事な枯山水の庭園が広がる。本坊の前を過ぎると弘法大師お手植えと伝わる長命杉、さらに石段を登ると本堂と大師堂がある。
開創は行基菩薩とされる。弘法大師御巡錫の折、当寺で21日間にわたって阿弥陀経を読誦する修法を行い、結願の日に阿弥陀如来を感得した。そこで、自らその姿を刻み、本尊として納めたという。
しかし、その御本尊の後光が海上にまで達し、漁の妨げとなった。そこで、困った漁師たちは本堂の前に小山を築いて光を遮った。それに因んで「日照山」の山号がついたと伝えられる。
また、大師の修法により難産の女性が無事に安産したということから、安産・子育ての信仰を集めている。