喜多見氷川神社は、天平12年(740)の創建と伝えられる。江戸氏の後裔・喜多見氏ゆかりの神社で、永禄13年(1570)江戸頼忠が社殿を再興した。その子・喜多見勝忠は神領5石余りを寄進した。参道の二の鳥居は承応3年(1654)喜多見重恒・重勝兄弟が寄進したもので、世田谷区内最古の石の鳥居である。
正式名称 | 氷川神社〔ひかわじんじゃ〕 |
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通称 | 喜多見氷川神社〔きたみ ひかわじんじゃ〕 |
御祭神 | 素戔嗚尊 〈相殿〉天照大神 稲田姫命 |
社格等 | 旧郷社 |
鎮座地 | 東京都世田谷区喜多見4-26-1 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www5e.biglobe.ne.jp/~hikawa-j/ |
御朱印
(1) | (2) |
(1)平成18年拝受の御朱印。中央の朱印は判読しづらいが、「氷川神社」であろう。
(2)平成29年拝受の御朱印。揮毫はなく朱印のみで、流れ三つ巴の神紋と梅、「喜多見鎮座」「氷川神社」。
御由緒
喜多見氷川神社は、江戸氏の後裔・喜多見氏から氏神として尊崇された。
太田道灌に江戸城を追われた江戸氏は喜多見村に移り、世田谷城主・吉良氏に臣従した。子孫の江戸勝忠は豊臣秀吉の小田原征伐に際して小田原城に籠城、その後、江戸に入った徳川家康に従い、喜多見村の旧領を安堵されて喜多見姓に改めた。その後、徳川綱吉の側用人となった重政の時に2万石の大名となるが、その繁栄は長く続かず、元禄2年(1689)一族の刃傷事件をきっかけとして改易となっている。
社伝によれば天平12年(740)の創建とされる。元は多摩川の岸に近いところにあった。宇奈根氷川神社、大蔵氷川神社とともに三所明神社と呼ばれたともいう。
延文年間(1356~60)に神殿が大破し、さらに多摩川の洪水で古記録が失われたため、創建以来の歴史は詳らかではない。
永禄13年(1570)江戸頼忠が社殿を再興して祈願所とした。その子・喜多見勝忠は神領5石余と当地住藤原繁昌作の槍を寄進している(現存せず)。慶安2年(1649)には三代将軍・徳川家光より朱印領10石2斗を賜る。当時の別当は天台宗の善明山禱善寺(廃寺)であった。
明治6年(1873)村社に列格、同17年(1884)郷社に昇格。同42年(1909)村内の無格社・神明神社(3社?)を合祀した。
大正11年(1922)より社殿の改築が警戒されるが、翌12年(1923)の関東大震災で一時中断。享和3年(1803)建立の社殿を改修して奥殿とし、拝殿を新築して同15年(1926)に落成した。しかし、この社殿は昭和63年(1988)火災で焼失、平成2年(1990)現在の社殿が再建された。
参道の二の鳥居は承応3年(1654)喜多見重恒・重勝兄弟(勝忠の子)が奉納したもの。世田谷区内最古の石の鳥居で、区の有形文化財となっている。また、節分に行われる鬼問答と大国舞は「喜多見氷川神社の節分祭行事と神前神楽」として区の無形文化財に指定されている。
写真帖
メモ
喜多見氷川神社は世田谷区の西端に鎮座する。神社の西側は狛江市である。
境内には鬱蒼とした氷川の杜が広がり、参道は昔ながらの景観を残している。長い参道を通り抜けると、風格のある木造の拝殿が正面に建つ。交通の便がよくないためか、あまり名が通った神社ではないが、規模といい雰囲気といい、また喜多見氏ゆかりの歴史といい、もっと知られてよい神社だと思う。
喜多見氷川神社の概要
名称 | 氷川神社 |
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通称 | 喜多見氷川神社 |
御祭神 | 素戔嗚尊〔すさのおのみこと〕 〈相殿〉 天照大神〔あまてらすおおみかみ〕 稲田姫命〔いなだひめのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都世田谷区喜多見四丁目26番1号 |
創建年代 | 天平12年(740) |
社格等 | 旧郷社 |
例祭 | 10月第3日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/元旦祭 1月成人の日/成人祭 2月節分/節分祭(鬼問答・大国舞) 2月初午の日/初午祭 2月17日/祈年祭 6月30日/大祓 11月23日/新嘗祭 12月31日/大祓 |
交通アクセス
□小田急小田原線「喜多見駅」より徒歩17分
□小田急小田原線「成城学園前駅」より徒歩20分
□小田急小田原線「狛江駅」よりバス
■南口より小田急バス宇奈根行き「こまえ苑」下車徒歩5分
■北口より小田急バス南回「こまえ苑」下車徒歩5分
■北口より小田急バス渋谷駅・二子玉川駅行き「喜多見駅入口」下車徒歩10分
□東急田園都市線「二子玉川園駅」よりバス
■小田急バス狛江駅北口行き「次大夫堀公園前」より徒歩10分