皇大神宮別宮 伊雑宮

伊雑宮

垂仁天皇の御代、皇大神宮が五十鈴川の畔に鎮座すると、倭姫命は天照大御神の神饌を採るための御贄地を求めて志摩国を訪れ、伊佐波登美命に迎えられた。倭姫命は当地を御贄地と定め、伊雑宮を創建したと伝えられる。

正式名称 皇大神宮別宮
伊雑宮〔いざわのみや〕
御祭神 天照大御神御魂
社格等 皇大神宮別宮 式内論社(大) 志摩国一宮
鎮座地 三重県志摩市磯部町上之郷374 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 上之郷(近鉄)
公式サイト http://www.isejingu.or.jp/about/naiku/izawa.html
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御由緒

皇大神宮(内宮)が五十鈴川の畔に鎮座された後、倭姫命〔やまとひめのみこと〕が天照皇大神に供える神饌を採るための御贄地〔みにえどころ〕を求めて志摩国を訪れたとき、伊佐波登美命〔いざわとみのみこと〕が出迎えた。倭姫命はここを御贄地と定め、伊雑宮を創建されたという。古くから「天照大神の遥宮〔とおのみや〕」と称され、延暦23年(804)の『皇大神宮儀式帳』にもその名が見える。

延喜式神名帳所載の粟島坐伊射波〔あわしまにますいざわ〕神社に比定され、志摩国の一宮とされるが、伊雑宮ではなく鳥羽市安楽島の伊射波神社だとする説もある。

養和元年(1181)源氏に味方した熊野の衆徒が平氏の地盤である伊勢・志摩に侵攻、伊雑宮は破壊され、神宝を奪われた。また享禄4年(1531)には九鬼氏に神領を横領されるなど、苦難の歴史を辿った。

江戸時代に入ると、伊雑神人を中心とする神領回復運動が起こり、その中で伊雑宮こそ本来の内宮であるとの主張がなされるようになった。その主張を裏付けるための偽書を作成し、さらに『先代旧事大成経〔せんだいくじほんぎたいせいきょう〕』の出版にも関与したとされる。このため、伊雑宮の神職たちは幕府の処罰を受け、伊雑宮は内宮の別宮となった。

伊雑宮の南西約800mには伊雑宮の所管社の佐美長〔さみなが〕神社が鎮座する。佐美長神社は大歳神を祀り、江戸時代までは大歳社〔おおとしのやしろ〕、穂落社〔ほおちのやしろ〕などと呼ばれていた。式内社の粟嶋坐神乎多乃御子神社に比定される。佐美長神社の境内には同じく伊雑宮である所管社・佐美長御前神社四社〔さみながみまえじんじゃししょ〕が鎮座している。佐美長御前神を祀るが、伊佐波登美命とその子孫を祀るともいう。

御朱印

  • 伊雑宮の御朱印

    (1)

  • 伊雑宮の御朱印

    (2)

(1)平成18年拝受の御朱印。朱印は「伊雑宮印」。

(2)平成28年拝受の御朱印。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 忌火屋殿

    忌火屋殿

  • 祓所

    祓所

  • 巾着楠

    巾着楠

  • 勾玉池

    勾玉池

  • 伊雑宮

    別宮 伊雑宮

  • 神田

    神田

  • 千田の御池

    千田の御池

  • 倭姫命旧跡地

    倭姫命旧跡地(天井石と鏡楠)

佐美長神社

  • 佐美長神社

    伊雑宮所管社 佐美長神社

  • 佐美長御前神社四社

    伊雑宮所管社 佐美長御前神社四社

メモ

近鉄志摩線の上之郷駅から歩いてすぐのところに鎮座する。周囲はかつての門前町の風情を残している。宮域のすぐ南側が御料田であり、重要無形民俗文化財で日本三大田植祭に数えられる磯部の御神田〔おみた〕が行われる。さらに北に5分ほど歩くと、倭姫命ゆかりの千田〔ちだ〕の御池や倭姫命御旧跡地などがあり、かつての繁栄を偲ぶことができる。

伊雑宮の概要

名称 伊雑宮
通称 伊雑宮〔いぞうぐう〕 磯部の大神宮さん
御祭神 天照大御神御魂〔あまてらすおおみかみのみたま〕
鎮座地 三重県志摩市磯部町上之郷374番地
創建年代 伝・垂仁天皇の御代(B.C.29~A.D.70)
社格等 皇大神宮別宮 式内社(論) 志摩国一宮
延喜式 志摩國答志郡
粟嶋坐射佐波神社二座 並大
同嶋坐乎多乃御子神社(論:伊雑宮所管社 佐美長神社)
神事・行事 2月20日/祈年祭
6月24~25日/月次祭・御田植式
10月24~25日/神嘗祭
11月26日/新嘗祭
12月24~25日/月次祭
文化財 〈重要無形民俗文化財〉磯部の御神田

交通アクセス

□近鉄鳥羽線「上之郷駅」より徒歩3分


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