瀧原宮は皇大神宮(内宮)の別宮で、垂仁天皇の御代、古くから「遙宮〔とおのみや〕」として崇敬されている。天照大御神を奉戴した倭姫命が磯宮から宮川を遡り、「大河の瀧原の国」に宮殿を造立してお祀りしたことを起原とすると伝えられる。
正式名称 | 皇大神宮別宮 瀧原宮〔たきはらのみや〕 瀧原並宮〔たきはらのならびのみや〕 |
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御祭神 | 天照皇大御神御魂 |
社格等 | 皇大神宮別宮 式内社(大) |
鎮座地 | 三重県度会郡大紀町滝原872 [Mapion|googlemap] |
御朱印
(1)平成18年拝受の御朱印。朱印は「瀧原宮印」。
(2)平成28年拝受の御朱印。
昔の御朱印
(3)文政6年(1823)の納経(御朱印)。墨書は「伊勢上宮/奉納経/瀧原/並/両皇太神宮/野後山 神宮寺」。中央と左下の朱印は判読できない。右上の印は「御宮」か?
御由緒
瀧原宮は皇大神宮(内宮)の別宮で、宮域内に瀧原宮と瀧原竝宮〔たきはらのならびのみや〕が並んで鎮座する。御祭神はいずれも内宮と同じ天照坐皇大御神〔あまてらしますすめおおみかみ〕。
第10代崇神天皇の御代、皇居内に祀られていた天照坐皇大御神を、豊鋤入姫命〔とよすきいりひめ〕を御杖代〔みつえしろ〕として大和の笠縫邑〔かさぬいむら〕(現在の檜原神社)に祀らしめた。
垂仁天皇の御代、その後を継いで御杖代となった倭姫命〔やまとひめのみこと〕は大神の神託により、各地を巡行し、伊勢の磯宮に留まった。さらに磯宮を発って宮川を上流に向かったところ、「大河の瀧原の国」という麗しい土地があり、ここに宮を建立した。
その後、再び伊勢の地に向かい、五十鈴川の畔に鎮座されたのが皇大神宮であるが、瀧原の地においても、そのまま大神を奉斎した。これが瀧原宮の創祀で、「大神の遥宮〔とおのみや〕」と称される。
瀧原竝宮の創建については詳らかでないが、平安時代の中期には瀧原宮と同じく式年遷宮の制度が定まっていたという。
宮域内には瀧原宮の所管社・若宮神社と長由介〔ながゆけ〕神社が鎮座する。若宮神社の御祭神は不明だが、瀧原の地に縁のある水の神を祀るといい、天水分神ともいう。長由介神社には同じく所管社の川島神社が御同座されているが、どちらも詳細は不明である。
また、倭姫命が磯宮から瀧原の地に向かう途中、宮川の急流に難儀した一行を真奈胡神が出迎え、無事にお渡しした。そこで倭姫命は、その地に真奈胡神を祀る御瀬社を定めた。これが現在の皇大神宮摂社・多岐原神社の起こりであるという。
写真帖
メモ
鬱蒼とした杉林に覆われた森厳な宮域は、まさに神域・聖地と呼ぶにふさわしい。比較的朝早い参拝であったので、杉林に霧がかかり、参拝者もほとんどなく(地元の人らしい方が何人か参拝されていた)、清浄な神域の気をしばし堪能した。
杉林の中の参道を進むと、宿衛屋のところで川原に下りる道があり、その先に御手洗場〔みたらし〕がある。ここで手水を使う。さらに奥へ進むと瀧原宮と瀧原並宮、その先が一段高くなり、内宮摂社で瀧原宮所管の長由介神社と若宮神社がある。若宮神社の隣にあるのは御船倉〔みふなぐら〕で、御神体を納める御船代〔みふなしろ〕を納めている。
神職さんの話によれば、普段は静かな瀧原宮も、初詣のときには津市や松阪市の人が伊勢神宮の混雑を避けて瀧原宮へ参拝するため、大駐車場がいっぱいになるほどの混雑になるという。
瀧原宮の概要
名称 | 瀧原宮 瀧原並宮 |
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御祭神 | 〈瀧原宮〉 天照大御神御魂〔あまてらすおおみかみのみたま〕 〈瀧原並宮〉 天照大御神御魂〔あまてらすおおみかみのみたま〕 |
鎮座地 | 三重県度会郡大紀町滝原872番地 |
創建年代 | 垂仁天皇の御代(B.C.29~A.D.70) |
社格等 | 皇大神宮別宮 式内社 |
延喜式 | 伊勢國度會郡 瀧原宮 大 月次新嘗 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月3日/元始祭 2月11日/建国記念祭 2月20日/祈年祭 5月14日/風日祈祭 6月22~23日/月次祭 7月22日/夏の御祭 8月4日/風日祈祭 10月22~23日/神嘗祭 10月22日に近い日曜日/秋の御祭(瀧原宮大祭) 11月26日/新嘗祭 12月22~23日/月次祭 |
交通アクセス
□JR紀勢本線「滝原駅」より徒歩20分
□JR・近鉄「松阪駅」よりバス
■南紀特急バス尾鷲行「滝原宮前」下車すぐ
更新履歴
2007.02.11.公開
2017.01.12.更新、WPへ移行、御朱印・画像を追加。
2024.08.03.更新、江戸時代の御朱印を追加。