創建年代は不詳だが、長元2年(1030)源頼信によって勧請されたという伝承がある。江戸時代以前は妙見菩薩を併せ祀り、妙見八幡あるいは池ノ谷八幡と称していた。元は小山村全体の鎮守であったが、元禄年間(1688~1704)三谷八幡神社を分祀、氏子も二分することになったという。現在、例大祭は三谷八幡神社とともに小山両社祭として盛大に行われている。
正式名称 | 八幡神社〔はちまんじんじゃ〕 |
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通称 | 小山八幡神社 |
御祭神 | 誉田別尊 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都品川区荏原7-5-14 [Mapion|googlemap] |
御朱印
(1)平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は「小山八幡神社之印」。左上の印は三つ巴の神紋、左下は「小山八幡神社」。
(2)平成28年拝受の御朱印。朱印・揮毫ともに平成19年の御朱印と同じ。
(3)荏原七福神・大国天の御朱印、平成23年拝受。
御由緒
日蓮宗の仏母山摩耶寺に隣接する小高い丘に鎮座する。小山の地名はこの丘に由来するという説もある。
創建年代等は不詳だが、口伝によれば長元3年(1030)源頼信が霊威を感得し、当地に誉田別尊を奉斎したという。妙見菩薩を併せ祀り、妙見八幡宮あるいは池ノ谷八幡とも呼ばれた。
なお、当社はもともと小山村全体の鎮守であったが、元禄年間(1688~1704)三谷八幡神社を分祀、氏子も二分することになったという。
明治の神仏分離により、妙見菩薩は旧別当・仏母山摩耶寺に遷された。明治6年村社に列格。
境内の椎の木は品川区の天然記念物に指定されている。また、境内は区内一の高台にあり、眺望がよいことから品川百景に選ばれているとのことである。
例大祭は三谷八幡神社と合わせて「小山両社祭」と称し、両神社の氏子町会による神輿の連合渡御などが盛大に行われる。
補足
当社について、『新編武蔵風土記稿』では妙見社となっており、「妙見八幡宮」という扁額があるので、元は八幡を相殿にしていたのであろうと記している。これについては三谷八幡神社の分祀に関わる伝承と関連するのではないかと考えられる。
三谷八幡神社の社伝(『平成「祭」データ』に基づく)によれば、延宝から元禄の頃(1673~1704)、「宗教上の軋轢」により石井助太夫が妙見八幡社より御神像を持ち出し、出世稲荷社の境内に遷座鎮斎して字三谷の鎮守にしたとする。
その結果、『新編武蔵風土記稿』の編纂された文化・文政の頃には妙見菩薩のみが祀られるようになっていたのではないだろうか。
新編武蔵風土記稿
妙見社
除地三段五畝、字滝ノ原にあり。社は丘の上にあり、三間に四間。妙見八幡宮の五字を扁す、是によれば元は八幡を相殿とするにや。祭礼は年々九月二十八日、神楽を社前に奏す。鳥居あり、両柱の間九尺。前に石階十二級あり。当村摩耶寺の持。
末社稲荷社 第六天社 以上共に小祠。
写真帖
メモ
境内は区内一の眺めのよい高台にあり、しながわ百景に選ばれている。今はビルや家並みしか見えないが、のどかな田園地帯であった頃は東京湾まで見晴らせたと思われる。神社の背後、北西にある坂は江戸見坂といい、江戸の町並みが一望にできたという。
小山八幡神社の概要
名称 | 八幡神社 |
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通称 | 小山八幡神社 |
旧称 | 妙見社 妙見八幡 池の谷八幡 西小山八幡神社 |
御祭神 | 誉田別尊〔ほんだわけのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都品川区荏原七丁目5番14号 |
創建年代 | 長元3年(1030) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月6・7日に近い土・日曜日(小山両社祭) |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月3日/節分祭 旧2月上午の日/初午祭 5月15日/甲子神社例祭 6月28日/大祓式 11月23日/新嘗祭 12月28日/大祓式・除夜祭 |
巡拝 | 荏原七福神(大国天) |
交通アクセス
□東急目黒線「西小山駅」より徒歩約7分