三吉神社は、明治11年(1878)秋田県出身者が故郷の太平山三吉神社の御分霊を祀ったことに始まる。明治30年(1897)郷社、昭和5年(1930)県社に昇格。札幌市の氏神として例祭の神輿渡御は人気を集めたという。戦争で中断するが、昭和60年(1985)に復活した。
正式名称 | 三吉神社〔みよし じんじゃ〕 |
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御祭神 | 大己貴神 少彦名神 藤原三吉神 〈配祀〉金刀比羅宮 天満宮 |
社格等 | 旧県社 |
鎮座地 | 札幌市中央区南1条西8丁目17 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | https://miyoshi-sapporo.or.jp/ |
御朱印
(1)平成21年拝受の御朱印。中央の朱印は「札幌三吉神社」、上は三つ吉の神紋。
※近年は藤原三吉神の御神姿の御朱印で人気を集めているようである。
昔の御朱印
(1)昭和4年(1929)の御朱印。県社昇格の前年である。上の朱印は「札幌市守護神」、左下は「札幌郷社三吉神社社務所印」。
御由緒
御祭神
■大己貴神
■少彦名神
■藤原三吉神
〈配祀〉
■金刀比羅宮
■天満宮
秋田市に鎮座する太平山三吉神社の御分霊を奉斎する。
藤原三吉神は、太平山三吉神社の社伝では太平の城主・鶴壽丸藤原三吉が敵に欺かれて領地を失い、太平山に籠もって修行を重ね、力を得て人々から神と崇められるようになったという。曲がったことが嫌いで、弱きを助け、邪悪のものをくじく神、勝利成功・事業繁栄の神として信仰を集める。
『明治神社誌料』に、明治11年(1878)秋田県神道事務局が札幌神社(北海道神宮)からの問い合わせに対して返答した文書が引用されている。他地方の人にとっては聞き慣れない神名なので、どのような神であるか、公認の神社の御祭神としてよいかを確認したのだろう。
由緒
三吉神社は、明治11年(1878)秋田県出身の木村藤吉が豊平川東詰に祠を設け、故郷・秋田の太平山三吉神社の御分霊を祀ったことを創祀とする。5月8日に遷宮祭を執り行い、以後、毎月8日を月次小祭と定め、崇敬者が集まって祭典を行うようになった。
しかし「地所火除地に接するを以て除宮すべし殊に広く参詣人を許さず」との達しがあったため、翌明治12年(1879)4月、渡島通121番地(現・中央区南一条西八丁目)の現社地に遷座。神道説教所の許可を得て拝殿を設けた。
明治13年(1880)11月29日、公認の神社となり、明治15年(1882)10月31日村社に昇格。明治25年(1892)本殿を改築し、明治30年(1897)には郷社に昇格した。
明治36年(1903)から神輿が市内を渡御するようになった。当初の例祭日は5月8日であったが、この日は雨が多いため、大正13年(1924)より5月15日に変更された。札幌市の氏神として市民の人気を集めたという。
昭和5年(1930)県社に昇格。
戦争のため、昭和15年(1940)神輿の渡御を中止する。翌年から子ども神輿の巡行が行われるようになったが、昭和37年(1962)交通事情のため中止となった。
昭和52年(1977)鎮座百年の記念事業として社殿を新築。翌昭和53年(1978)百年記念大祭を執り行った。
昭和54年(1979)現地遷座百年を機に子ども神輿を復活。さらに昭和60年(1985)には45年ぶりに神輿渡御が復活した。
写真帖
メモ
参拝は平成21年の9月。雨上がりの日曜日だった。事前の知識はあまりなかったのだが、街中にありながらビルの間に緑の木々が茂り、思っていた以上に立派な神社が鎮座していた。
三吉神社の概要
名称 | 三吉神社 |
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御祭神 | 大己貴神〔おおなむちのかみ〕 少彦名神〔すくなひこなのかみ〕 藤原三吉神〔ふじわらみよしのかみ〕 〈配祀〉 金刀比羅宮〔ことひらぐう〕 天満宮〔てんまんぐう〕 |
鎮座地 | 札幌市中央区南1条8丁目17番地 |
創建年代 | 明治11年(1878) |
社格等 | 旧県社 |
例祭 | 5月15日 ※5月14日/宵宮祭 |
神事・行事 | 1月1日/元旦祭 1月15日/どんど祭 2月節分/節分祭 2月上午の日/初午祭 2月11日/紀元祭 3月春分/春分祭 6月30日/大祓式 7月25日/天満宮祭 9月秋分/秋分祭 10月2日/秋祭り 11月23日/新穀感謝祭 12月31日/大祓式・除夜祭 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□市電「西8丁目」より徒歩1分
□市営地下鉄東西線「西11丁目駅」より徒歩5分
□市営地下鉄東西線「大通駅」より徒歩7分
□JR函館本線「札幌駅」より徒歩約15分