杉山神社は平尾村の鎮守で、鶴見川水系に72社あるという杉山神社のうち、最も上流に鎮座しているであろうという。創建年代は不詳だが、元の御神体である不動明王の懸仏に延徳年間(1489~92)の銘があり、この頃に再建されたと考えられている。現在の社殿は大正14年(1925)に造営されたものである。
正式名称 | 杉山神社〔すぎやまじんじゃ〕 |
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御祭神 | 日本武尊 〈配祀〉弟橘姫命 〈合祀〉須佐之男命 猿田彦命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都稲城市平尾1189 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 栗平・黒川(小田急多摩線) 若葉台(京王相模原線) バス停:平尾住宅8号棟前・上平尾 |
御朱印
平成22年拝受の御朱印。中央の朱印は「鎮守之印」、左下の印は「杉山神社」。
御由緒
御祭神
主祭神は日本武尊で、弟橘姫命を配祀する。また、併せて大正8年(1919)に合祀した八坂神社の須佐之男命と日吉神社の猿田彦命を祀る。
御由緒
杉山神社は平尾村の鎮守。旧別当は真言宗の陽谷山宝泉寺(※廃寺)であった。
杉山神社はごくわずかな例外を除いて、全国でも鶴見川流域とその周辺にのみ存在する。『新編武蔵風土記稿』はその数を72社とするが(現在は合祀や社名の変更により40社程度になっている)、当社はそれらの中でも最も上流に鎮座する神社であろうという。
創建年代は不詳だが、室町時代の長禄年間(1457~60)の鎮座という伝承がある。延徳年間(1489~92)に社殿が再建され、「銭丸」と称する鏡を御神体として祀った。
かつての御神体であった銭丸の鏡は、『新編武蔵風土記稿』に「神体は鏡の如き銅物にて径九寸六分。表に不動の像を鋳出し、裏に武州児玉郡金屋村住人中村五郎左衛門家吉敬白、延徳二年壬午五月五日とみゆ」と記されている。しかし天保年間(1837~45)賊によって盗まれ、失われてしまった。そのため、現在は日本武尊と弟橘姫命の御神像が祀られているという。
安政2年(1855)社殿を造営。
明治初年の神仏分離により宝泉寺より独立、当時は椙山神社と表記していた。因みに宝泉寺は明治6年(1873)に廃寺となる。明治43年(1910)社号の表記を杉山神社に改めた。
大正8年(1919)村内に鎮座していた八坂神社と日吉神社を合祀。大正14年(1925)現在の社殿が再建された。
補足1:式内論社
明治12年(1879)の神社明細帳を見ると、明治43年(1910)追加された由緒に、当社を武蔵総社(大國魂神社)に合祭された六社の一・杉山神社(式内社、武蔵国都筑郡)とする言い伝えがあると記されている。
それによれば、平尾村は古来都筑郡に属していたが、近世にいたって郡界の変更のために多摩郡に属することになったことによるという。
補足2:再建年代
延徳年間の社殿再建について、資料によって延徳2年(1492)とするものと延徳4年(1494)とするものがある。これは、かつての御神体であった「銭丸」の銘にある「延徳二年壬午」の問題に由来する。
これを紹介した『新編武蔵風土記稿』は、延徳2年は庚戌であるため、二とあるのは□であり、午は子の誤りとして、延徳四年壬子が正しいのではないかとしている。そのため、銘文通り延徳2年とする資料と、風土記稿に従って延徳4年とする資料があるようだ。
写真帖
メモ
多摩丘陵の一角に鎮座している。周囲は住宅地になっているが、境内は木々に覆われて落ち着いた空間になっている。大正年間の再建という木造社殿も端正な姿で、周囲の雰囲気と調和している。
穴澤天神社の兼務社で、神職常駐の神社ではない。初めて参拝した際、神職さんがいらっしゃったので御朱印をお願いしたところ、書き置きの御朱印をいただくことができた。
杉山神社の概要
名称 | 杉山神社 |
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御祭神 | 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕 〈配祀〉 弟橘姫命〔おとたちばなひめのみこと〕 〈合祀〉 須佐之男命〔すさのおのみこと〕 猿田彦命〔さるたひこのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都稲城市平尾1189番地 |
創建年代 | 不詳 |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月28日(近くの日曜日) |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月節分/節分祭 2月11日/祈年祭 11月23日/新嘗祭 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□小田急多摩線「栗平駅」より徒歩13分、またはバス
■iバスAコース稲城駅行き「平尾住宅8号棟前」下車徒歩2分
□小田急多摩線「黒川駅」より徒歩22分
□京王相模原線「若葉台駅」より徒歩24分
□京王相模原線「稲城駅」よりバス
■小田急バス新百合ヶ丘駅行き「上平尾」下車徒歩徒歩2分