正式名称 | 稲荷神社〔いなりじんじゃ〕 |
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通称 | 柳原稲荷神社〔やなぎはら いなりじんじゃ〕 |
御祭神 | 宇迦之御魂神 |
社格等 | 旧無格社 |
鎮座地 | 東京都足立区柳原2-38-1 [Mapion|googlemap] |
【由緒概要】
柳原稲荷神社は葛飾郡柳原村の鎮守。創建年代は不詳だが、社伝によれば慶長11年(1606)当地を訪れた徳川家康の命により、江戸城の鬼門鎮護として創建された。そのため、今も社殿は鬼門(北東)を向いて建っているのだという。
柳原稲荷神社の御朱印
平成17年拝受の御朱印。朱印は「柳原稲荷神社」。
柳原稲荷神社について
名称 | 稲荷神社 |
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通称 | 柳原稲荷神社 子安稲荷 柳原神社 |
御祭神 | 宇迦之御魂神〔うかのみたまのかみ〕 |
鎮座地 | 東京都足立区柳原二丁目38番1号 |
創建年代 | 不詳/社伝では慶長11年(1606) |
社格等 | 旧無格社 |
例祭 | 9月15日 |
神事・行事 | 1月1日/元旦祭 2月節分/節分祭 2月初午/初午祭 5月15日/春例祭 6月15日/慰霊祭 6月28日/大祓 7月1日/浅間神社祭 11月15日/七五三 11月25日/高木神社祭 12月28日/大祓 |
御由緒
柳原稲荷神社は柳原村の鎮守。別当は真言宗の瑠璃山柳原寺理性院であった(※新編武蔵風土記稿の表記では「楊原寺」)。
柳原村は葛飾郡に属した。元禄の頃までは小谷野村と合村で、『武蔵田園簿』には小谷野柳原村として掲載されている。『新編武蔵風土記稿』によれば、分村は元禄10年(1697)の検地の頃という。因みに小谷野村の鎮守も稲荷神社である(現在の小谷野神社)。
明治22年(1889)南綾瀬村の大字となり、昭和7年(1932)の市郡合併に際しても葛飾区に含まれていた。しかし明治44年(1911)から昭和5年(1930)にかけて行われた荒川放水路の開削工事により、旧村域の東半分が河川敷となったため、昭和9年(1934)足立区に編入された。
かつて柳原は風水害の多い土地で、旧記等が流失したため創建年代などは不詳だが、『葛西誌』は慶長4年(1599)の創建とする。
社伝では、慶長11年(1606年)当地を訪れた徳川家康が、楊柳が青々と茂った様子を見て神聖な土地と感じ、京都の鬼門鎮護として比叡山が建立されたことに倣い、江戸城の鬼門除けとして創建させた。そのため、現在も社殿は北東(鬼門)の方角に向かって建っているという。
天明6年(1786)洪水のために流失したが、寛政6年(1794)別当理性院の祐覚法印によって再建された。
境内社の高木神社は、『新編武蔵風土記稿』に「第六天社」として記載されており、今も社殿には「第六天社」の社号額が掲げられている。明治44年(1911)日枝神社を合祀した。
富士塚(浅間神社)は昭和8年(1933)柳原富士講によって築かれたもので、足立区の登録有形民俗文化財。
慰霊碑は昭和27年(1952)の建立で、柳原地区から出征した戦没者158柱を祀るという。
写真帖
メモ
参拝時は秋の夕方、社殿が鬼門に向いているので、写真はちょうど逆光となった。
下町らしい住宅地の中に鎮座する小さなお社。境内はさっぱりとした印象の広場になっており、周囲に神楽殿や境内社が建つ。社殿の脇には立派な公孫樹の大木がそびえている。