阿豆佐味天神社は、砂川の新田開発に際し、寛永6年(1629)村山郷の総鎮守である殿ヶ谷の式内社・阿豆佐味天神社から御分霊を勧請したことに始まる。境内社の水天宮は昭和36年(1961)砂川五番から遷座、安産の神として信仰されている。蚕影神社は養蚕の守護神だが、近年はいなくなった猫が帰ってくる「猫返し神社」として知られる。
正式名称 | 阿豆佐味天神社〔あずさみてんじんしゃ〕 |
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御祭神 | 少彦名神 天児屋根命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都立川市砂川町4-1-1 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 武蔵砂川(西武拝島線) 砂川七番(多摩モノレール) バス停:砂川四番 |
公式サイト | http://www.azusami-suitengu.net/ |
御朱印
平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「阿豆佐味天神社之印」、左下は「阿豆佐味天神社社務所之印」。
御由緒
阿豆佐味天神社は砂川地域全体の鎮守で、砂川開拓の際に勧請・創建された。
砂川新田(元文検地で村立てされ、砂川村となった)は村山郷岸村(武蔵村山市)の村野家(後の砂川家)が中心となり、慶長14年(1609)頃に幕府の許可を得て、寛永4年(1627)頃から開拓が始まった。
その精神的中心として、砂川四番に寛永6年(1629)村山郷一帯の鎮守である延喜式内社・殿ヶ谷戸(西多摩郡瑞穂町)の阿豆佐味天神社を勧請したのが創祀である。本殿は元文3年(1738)、拝殿は文久2年(1862)の建造。
明治43年(1910)日枝神社を合祀した。
当社の絵馬には山車行列の様子が描かれている。砂川は幕末から明治にかけて養蚕で栄え、一番から十番まで各地区が豪華な山車を所有し、盛大な祭りをおこなっていた。しかし、養蚕業が多忙のためにすべて売却され、現在では残っていない。しかし、その多くは周辺地域において現役で活躍している。
境内にある水天宮はもと砂川五番にあったが、昭和36年(1961)に遷座した。立川水天宮と称し、安産の守り神として信仰を集めている。
また蚕影〔こかげ〕神社は養蚕の神で、安政7年(1860)常陸国豊浦湊(現・茨城県つくば市)の蚕影山神社から勧請された。養蚕の天敵であった鼠を捕らえることから、猫を神使とする。八雲神社・御嶽神社・疱瘡社・稲荷社・天神社・浅間神社・八坂大神社・金刀比羅社を合祀している。ここで祈願すると行方不明になった猫が帰ってくるといわれ、「猫返し神社」として各地から愛猫家が祈願に訪れるという。
写真帖
見どころ
■蚕影神社(猫返し神社)
境内社の蚕影神社は養蚕の守護神で、蚕の天敵であるネズミを獲る猫を神使とするが、現在では「猫返し神社」として知られている。
ジャズピアニストの山下洋輔氏が立川に引っ越してきたとき、愛猫が行方不明になった。猫を探している最中、蚕影神社にたどり着いたため、引っ越しの報告と猫が無事に帰ってくることを祈願した。すると翌日、猫が帰ってきた。後日、別の猫がいなくなったときにも当社に祈願すると、数日後に帰ってきたという。このことを雑誌のエッセイに書いたところ、「いなくなった猫が帰ってくる御利益がある」と広く知られるようになった。社殿前には「ただいま猫」の石像もある。
メモ
御朱印を拝受したのが11月最初の日曜日で、時折小雨がぱらつく天気にもかかわらず、七五三の参拝客が大勢いたため、何とか社殿の写真を撮り、早々に次の神社へと向かった。そのため、あまりゆっくり境内を見て回ることをせず、蚕影神社と「ただいま猫」を確認していなかった。準備不足が悔やまれる参拝であった。
追記:仕事で近くに行ったので、3年半ぶりに参拝。ただいま猫もきちんと確認した。
阿豆佐味天神社の概要
名称 | 阿豆佐味天神社 |
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御祭神 | 少彦名神〔すくなひこなのかみ〕 〈合祀〉 天児屋根命〔あめのこやねのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都立川市砂川町四丁目1番1号 |
創建年代 | 寛永6年(1629) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月15日 |
神事・行事 | 1月1日/元旦祭 2月3日/節分祭 4月15日/祈年祭 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□西武拝島線「武蔵砂川駅」より徒歩約15分
□多摩モノレール「砂川七番駅」より徒歩約19分
□JR中央線「立川駅」よりバス
■立川バス箱根ヶ崎・三ツ藤・イオン行き「砂川四番」下車徒歩すぐ