小平神明宮は、寛文元年(1661)小川九郎兵衛が小川新田(後の小川村)の鎮守として、延喜式内社・阿豆佐味天神社の摂社で、岸村(現・武蔵村山市岸)に鎮座していた神明社を勧請したことに始まる。
正式名称 | 小平神明宮〔こだいら しんめいぐう〕 |
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御祭神 | 大日孁貴尊 〈合祀〉菅原道真公 大山祇神 軻遇土神 |
社格等 | 旧郷社 |
鎮座地 | 東京都小平市小川町一丁目2573 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 東大和市(西武拝島線) バス停:小川寺前・小川三叉路 |
公式サイト | http://kodaira-shinmeigu.jp/ |
御朱印
(1)平成18年拝受の御朱印。朱印は「小平神明宮」。
(2)平成28年拝受の御朱印。中央の朱印は雲に「小平神明宮」、左下も「小平神明宮」。右に「大日孁貴尊」「守里給比幸衣給布(まもりたまひ さきはえたまふ)」。
御由緒
小平神明宮は小川村の鎮守。
かつて、この近辺は「逃げ水の里」と呼ばれるほどの水の乏しい荒野であった。青梅街道は田無村(現・西東京市)から箱根ヶ崎村(現・西多摩郡瑞穂町)までの5里の間に村がなく、行き交う人馬も難儀したという。
しかし、承応3年(1654)玉川上水が開通、翌明暦元年(1655)野火止用水が開削されたことを受け、明暦2年(1656)岸村(現在の武蔵村山市岸)の小川九郎兵衛が幕府に新田開発を願い出た。
この新田は、小川九郎兵衛の名字を取って小川新田と名付けられ、寛文9年(1669)の本検地によって正式に小川新田村が成立した。九郎兵衛はその功績により、屋敷畑6町余の除地(年貢諸役を免除された土地)を認められ、以後、小川家が名主を世襲した。
享保10年(1725)村の東に新たに新田が開発されたことに伴い小川村と改名、新しく開発された新田を小川新田と称するようになった。
神明宮は、寛文元年(1661)小川九郎兵衛が新田の鎮守として、岸村の神明ヶ谷に鎮座していた神明社を勧請したことを創祀とする。この神明社は、殿ヶ谷村(現・瑞穂町殿ヶ谷)の延喜式内社・阿豆佐味天神社の摂社であった。初代神主には、勧請に当たって九郎兵衛に協力した阿豆佐味天神社の社家・宮崎主馬が就いた。
当初の社地は野火止用水の南の高台にあったが、天和元年(1681)村民の要望により現社地に遷座したという。
因みに小平神明宮近くにある日枝神社・医王山小川寺なども小川九郎兵衛による創建である。国分寺市の瑞雲山妙法寺は明治に小川村から移転したもので、九郎兵衛と吉野又兵衛の開基と伝えられる。小平市仲町の熊野宮も、元は九郎兵衛が阿豆佐味天神社の摂社を小川家の邸内に勧請したものであった。
明治6年(1873)村社に列格、明治17年(1884)郷社に昇格。明治43年(1909)小川下宿の天満宮・天王宮・愛宕社を合祀した。
本殿は唯一神明造で、江戸時代の建築。拝殿は文政年間(1818~31)の造営である。
写真帖
メモ
青梅街道沿いに鳥居があり、参道には欅などが茂る。境内には小川村開拓碑、乃木将軍の筆になる戦捷碑、かつて青梅街道沿いに置かれていた常夜灯などが残る。向かいにある小川九郎兵衛開基の小川寺や、武蔵野の新田らしい短冊形の地割りなども歴史を偲ばせる。参道に石の撫で牛があるのは、菅原道真を合祀していることによるとのこと。
境内末社は東殿に春日神社・八雲神社・八幡神社の3社、西殿に稲荷神社・秋葉神社・熊野神社・白山神社の4社を祀る。また、参道脇には御井神・水波能売神を祀る石祠があり、御神水を汲むことができる。
小平神明宮の概要
名称 | 小平神明宮 |
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旧称 | 神明宮 |
御祭神 | 大日孁貴尊〔おおひるめむちのみこと〕 〈合祀〉 菅原道真公〔すがわらのみちざねこう〕 大山祇神〔おおやまづみのかみ〕 軻遇土神〔かぐつちのかみ〕 |
鎮座地 | 東京都小平市小川町一丁目2573番地 |
創建年代 | 寛文元年(1661) |
社格等 | 旧郷社 |
例祭 | 9月17日 |
神事・行事 | 1月1日/平安祭・元旦祭 2月節分/節分祭 2月17日/祈年祭 4月第4土・日曜日/八雲祭 6月30日/夏越しの大祓 7月上旬/七夕まつり・大祓形代流し 11月17日/新嘗祭 12月冬至/星祭 12月31日/年越しの大祓・除夜祭 |
交通アクセス
□西武拝島線「東大和市駅」より徒歩約18分、またはバス
■都バス花小金井駅北口行き「小川三叉路」下車徒歩2分
□JR武蔵野線「新小平駅」より徒歩約20分、またはバス
■都バス青梅車庫行き・西武バス小平営業所行き「小川寺前」下車徒歩2分
□西武新宿線「小平駅」よりバス
■西武バス小平営業所行き「小川寺前」下車徒歩2分