白金氷川神社

白金氷川神社

白金氷川神社は白金の総鎮守。社伝によれば白鳳年間の創建とされる。また、景行天皇の御代、日本武尊が東征の際に滞在した際、日々、大宮の氷川神社を遙拝し、深く尊崇する素盞嗚尊に加護を祈った旧蹟であるともいう。
港区の神社

正式名称 氷川神社〔ひかわじんじゃ〕
通称 白金氷川神社〔しろかね ひかわじんじゃ〕
御祭神 素盞嗚尊 〈相殿〉日本武尊 櫛稲田姫命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都港区白金2-1-7 [Mapion|googlemap]
東都神社御朱印集
東京の神社400社以上の御朱印や由緒などの紹介。珍しい江戸時代から昭和戦前までの御朱印も掲載。

御朱印

  • 白金氷川神社の御朱印

平成17年に拝受した御朱印。中央の朱印は「白金氷川神社」、左下は「宮司之印」。 

昔の御朱印

  • 白金氷川神社の御朱印

昭和11年の御朱印。上の朱印は「白金総鎮守氷川神社参拝記念」、下は「白金氷川神社」。

御由緒

白金氷川神社は白金の総鎮守。『新編武蔵風土記稿』には白金村・白金台町・今里村等の鎮守で、別当は天台宗の鎮守山報恩寺(廃寺)とある。

港区内最古の神社とされ、社伝によれば、白鳳年間の創建という。また、景行天皇の御代、日本武尊が大宮の氷川神社から勧請したとも伝えられる。

東国平定を命じられた日本武尊は、この地に滞在した際、日々、武蔵国一宮の氷川神社を遙拝し、深く崇敬する素盞嗚尊に加護を祈って無事に大任を果たしたという。

宝暦2年(1752)権現造りの壮麗な社殿が造営されたが、明和9年(1772)目黒行人坂の大火により焼失した。その後再建された社殿も昭和20年(1945)の東京大空襲の戦禍に遭って焼失。現在の社殿は昭和33年(1958)に造営されたものである。

明治の神仏分離により、明治5年(1872)村社に列格した。

境内社の建武神社は、昭和11年(1936)建武義会によって上大崎に創建された建武神社を戦後に移築・遷座したもののようである(未確認)。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 建武神社

    末社 建武神社

  • 稲荷神社

    末社 稲荷神社

  • 拝殿

    拝殿

メモ

白金高輪の駅から西へ少し歩いたところに鳥居があり、石段を登ると鎮座している。京都あたりの神社を思わせる中門と透塀で社殿を囲む形式で、東京ではちょっと珍しい。

建武神社

境内社の建武神社は、後醍醐天皇や護良親王・楠木正成をはじめとする南朝の忠臣を祀っている。御由緒でも触れたが、昭和11年(1936)に建武義会が上大崎に創建した建武神社を移築・遷座したものと思われる。
国会図書館デジタルライブラリーの『有馬良橘伝』に建武神社に関わる記述がある。それによれば、神社は中央に流造、左右に春日造の三殿から成っていた。中央殿を後醍醐天皇・後村上天皇・長慶天皇・後亀山天皇の神霊遙拝殿とし、左殿に護良親王・尊良親王・宗良親王・恒良親王・懐良親王、右殿に南朝の忠臣百六十二柱を祀るとある。現在は春日造の社殿2棟のみである。

建武神社の御朱印

この御朱印は昭和16年(1941)のもので、建武神社という社号しかわからないが、上大崎にあった建武神社のものではないかと思われる。桜と錦の御旗が描かれている。

白金氷川神社の概要

名称 氷川神社
通称 白金氷川神社
旧称 氷川明神
御祭神 素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕
〈相殿〉
日本武尊〔やまとたけるのみこと〕
櫛稲田姫命〔くしいなだひめのみこと〕
鎮座地 東京都港区白金二丁目1番7号
創建年代 伝・白鳳年間
社格等 旧村社
例祭 9月14・15日
神事・行事 1月1日/朔旦祭
1月12日/形代流し
2月節分/節分祭
2月11日/紀元祭
2月17日/祈年祭
3月春分/春分祭
6月30日/大祓
12月23日/新嘗祭・勤労感謝祭
12月31日/大祓

交通アクセス

□白金高輪駅(南北線・都営三田線)より徒歩4分
□泉岳寺駅(都営浅草線)より徒歩16分

港区の神社
東京都港区の神社の御朱印。虎ノ門金刀比羅宮・芝大神宮・乃木神社・赤坂氷川神社・芝東照宮・西久保八幡神社・麻布氷川神社・御田八幡神社・愛宕神社・春日神社・烏森神社・飯倉熊野神社・幸神社・櫻田神社・十番稲荷神社・天祖神社・白金氷川神社・日比谷神社・元神明宮・神道大教院・出雲大社東京分祠

コメント

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