池尻稲荷神社は、明暦年間(1655~58)池尻村・池沢村の鎮守として勧請された。古くから「火伏せの稲荷」「子育ての稲荷」として信仰を集めた。また、大山道沿いに鎮座していたことから、旅人たちが道中の安全を祈願、感謝したという。境内の「薬水の井戸」は伏見の稲荷山の薬力明神の託宣による霊水と伝えられ、渇水のときも涸れることがないという。
正式名称 | 稲荷神社〔いなりじんじゃ〕 |
---|---|
通称 | 池尻稲荷神社〔いけじり いなりじんじゃ〕 |
御祭神 | 倉稲魂命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都世田谷区池尻2-34-15 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.ikejiri-inari.com/ |
御朱印
平成17年拝受の御朱印。上の朱印は社頭風景(鳥居と「かれずの井戸きねんぞう」)に「池尻稲荷」「大山旧道かれずの井戸記念像」。下の印は「池尻稲荷神社」。
御由緒
池尻稲荷神社は、社伝によれば、明暦年間(1655~58)池尻・池沢両村の鎮守として、大山道沿いの常光院(廃寺)の境内に勧請された。因みに池沢村は慶安(1648~52)から元禄8年(1695)の間に池尻村から分村して成立した村で、明治12年(1879)再び池尻村に合併されている。
古くから「火伏せの稲荷」「子育ての稲荷」と呼ばれ、霊験あらたかなことで村人の信仰を集めた。江戸時代の随筆集には、池尻村の産土神による氏子の加護の奇瑞が記されているという。また、矢倉沢往還(大山道、現在の国道246号線)や津久井往来(現在の世田谷通り)の旅人たちが道中の安全を祈願し、感謝したと伝えられる。
境内にある「薬水の井戸」は伏見稲荷大社の稲荷山に鎮座する薬力明神の託宣による霊水とされ、神の道の薬として飲めば病気が快癒すると伝えられる。大山道には赤坂一ツ木村から当地まで良質の飲用水がなく、農民はもとより往来の人々が頼りにした。大正年間(1912~26)の渇水の時、周辺の井戸が涸れても、この井戸だけは豊富に水が湧いていたという。
別当の常光院は、『新編武蔵風土記稿』には浄光庵として記載されている。もともと常光院は日蓮宗で、碑文谷の南ノ坊と称し、妙光山法華寺(現・目黒区碑文谷の経王山円融寺)の末寺・隠居所だった。元禄年間(1688~1704)不受不施派の弾圧により法華寺は天台宗に改宗して円融寺と改称し、末寺もすべて他の寺に属することとなった。このため常光院も天台宗寛永寺末となり、浄光院と改めた。
ところがいつの頃からか衾村の日蓮宗常円寺(目黒区八雲)の触下に加わり、祖師堂再建の動きが起こった。これが訴訟となり、寺社奉行の裁定によって院の名を浄光庵に改め、無本寺とされたという。再建された祖師堂には日蓮上人が自ら彫ったという「除剣難日蓮菩薩」が安置され、広く信仰を集めた。『江戸名所図会』にも「除剣難日蓮大士堂」として描かれている(現存しない)。
明治の神仏分離により常光院は廃寺となり、当社は村社に列した。昭和20年(1945)の戦災で周囲一帯は被災したが、境内の2本の大ケヤキによって風向きが変わり、焼失を免れたという。
写真帖
メモ
東急田園都市線の池尻大橋駅南口から国道246号線を西に5分ほど歩いたところに鎮座している。境内の北と南に鳥居があるが、南側が旧街道筋で本来の参道のようである。北側の鳥居は国道246号線に面している。こちらにある手水舎の水は、薬水の井戸から引かれているとのこと。向かいには水神社が祀られている。
池尻稲荷神社の概要
名称 | 稲荷神社 |
---|---|
通称 | 池尻稲荷神社 火伏せの稲荷 子育ての稲荷 |
御祭神 | 倉稲魂命〔うがのみたまのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都世田谷区池尻二丁目34番15号 |
創建年代 | 明暦年間(1655~58) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月第3土・日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 第2日曜日/技芸事始め祭 2月3日/節分祭 2月初午の日/初午祭 2月11日/紀元節 2月17日/祈年祭 3月2日/稲荷講社大祭 4月第2日曜日/勧学祭 6月23日/大祓 7月7日/七夕祭 11月15日/子育て祈願祭 11月23日/水神大祭・新嘗祭 12月第2日曜日/技芸事納め祭 11月23日/かがり火・大祓 12月31日/大祓厄祓い・除夜祭 |
交通アクセス
□東急田園都市線「池尻大橋駅」より徒歩約5分