野毛六所神社は上野毛・下野毛両村の鎮守。その昔、多摩川の洪水で府中のほうから祠が流れ着き、榎の枝に引っかかった。村人たちはこれを六所明神(大国魂神社)と崇め、鎮守として祀った。明治31年(1898)村内の天祖神社・山際神社・日枝神社・八幡神社・北野神社を合祀、現在地に遷座した。
正式名称 | 六所神社〔ろくしょじんじゃ〕 |
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御祭神 | 伊邪那岐命 伊邪那美命 天照皇大神 誉田和気神命 大山都見神命 菅原道真命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都世田谷区野毛2-14-2 [Mapion|googlemap] |
御朱印
(1)平成23年拝受の御朱印。朱印は「六所神社之印」。
(2)平成28年拝受の御朱印。中央上の朱印は神璽、下は「六所神社之印」。
御由緒
野毛六所神社は、上野毛村・下野毛村(現在の世田谷区上野毛・野毛・川崎市高津区下野毛)の鎮守。元和年間(1615~24)の遷座と伝える。旧別当は影光山善養寺。
社伝によれば、その昔、多摩川の洪水の時に府中の方から祠が流されてきて、榎の枝にひっかかった。府中のほうから流されてきたということから、村人たちはこの祠に納められた御神体を六所明神(現在の大国魂神社)と崇め、一社を創建して村の鎮守とした。
元は上野毛・下野毛両村の境に鎮座していたが、明治31年(1898)村内の天祖神社・山際神社・日枝神社・八幡神社・北野神社を合祀、現社地に遷座した。ただし、合祀の諸社は明治23年(1890)天祖神社に合祀され、さらに六所神社に合祀されたものという。
現在の社殿は昭和44年(1969)に造営された。
境内にある水神社の御神体は、元は多摩川沿いの「水神鼻」といわれるところに祀られていたが、明治43年(1910)の洪水で流出してしまった。大正になり、多摩川では砂利の採掘が盛んになったが、大正11年(1922、大正10年という資料もあり)砂利採掘の作業中に御神体が発見された。そこで村内の篤志家により、六所神社境内に社殿を建立、奉安されたという。現在の社殿は昭和58年(1983)の建造。
この頃から7月の水神祭では多摩川での勇壮な水中渡御が行われたが、戦後、途絶えてしまった。昭和52年(1977)一度だけ復活したが、現在は祭礼のみで、水中渡御は行われていないとのことである。
補足
天祖神社への合祀は明治13年の可能性があり、確認が必要。また、この時に合祀された日枝神社は昭和16年に東玉川町に遷座し、現在の東玉川町になったという下野毛の日枝神社と思われる。六所神社の御祭神に大山咋神(日枝神社の御祭神)がないことを考え合わせると、後に分祀されたのではないだろうか。
写真帖
メモ
環八通りと多摩川のほぼ中間に鎮座する。南側には旧別当の善養寺がある。周囲は閑静な住宅街である。高台にあり、日当たりがよい。興味深いのは水神社で、見事な龍が彫られた水盤や石でできた砂利舟などがあり、格別の崇敬が寄せられていることを感じさせる。
神職常駐の神社ではないが、宮守の方から御朱印をいただくことができる。気持ちのよい対応をしていただき、感謝である。
野毛六所神社の概要
名称 | 六所神社 |
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通称 | 野毛六所神社 |
旧称 | 六所明神社 |
御祭神 | 伊邪那岐命〔いざなぎのみこと〕 伊邪那美命〔いざなみのみこと〕 天照皇大神〔あまてらすおおみかみ〕 誉田和気神命〔ほんだわけのかみのみこと〕 大山都見神命〔おおやまつみのかみのみこと〕 菅原道真命〔すがわらみちざねのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都世田谷区野毛二丁目14番2号 |
創建年代 | 元和年間(1615~24) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月第4土・日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/元旦祭 2月26日/祈年祭 7月20日/大祓 7月20日近い日曜日/玉川水神祭 11月26日/新嘗祭・大祓 12月31日/除夜 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□東急大井町線「等々力駅」より徒歩約13分