桜神宮(神習教本祠)

桜神宮

名称 桜神宮〔さくらじんぐう〕
御祭神 天御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神 伊弉諾尊 伊弉冉尊 天照大神 豊受大神 倭姫大神 国常立尊 大己貴命 少彦名命 鐃速日命 底筒男命 中筒男命 表筒男命 伊久魂大神 水天宮大神 正一位稲荷大神 菅原大神
社格等 神習教本祠
鎮座地 東京都世田谷区新町3-21-3 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://www.sakura.jingu.net/

【由緒概要】
桜神宮は、教派神道十三派の一・神習教の本祠。明治16年(1883)初代管長・芳村正秉が神田区今川小路(現在の千代田区神保町)に創建した。大正4年(1915)正秉は帰幽に際し、神託を受けて西に移るよう命じた。大正8年(1919)より現在地への移転を開始、同11年(1922)までに完了した。これによって関東大震災や第二次大戦の被害を免れたことから、火伏せ・災難除けの神徳でも信仰を集める。

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桜神宮の御朱印

  • 桜神宮の御朱印

    (1)

  • 桜神宮の御朱印

    (2)

(1)平成18年拝受の御朱印。書き置きで、社号は印判。中央の朱印は右から順に「伊奘諾尊 高皇産霊神 歴朝皇霊 天御中主神 天照大御神 神皇産霊神 天神地祇 伊奘冉尊」。左下の印は「櫻神宮印」。

(2)平成24年拝受の御朱印。朱印は平成元年のものと同じだが、社号は筆書き。

桜神宮について

名称 桜神宮
御祭神 天御中主神〔あめのみなかぬしのかみ〕
高皇産霊神〔たかみむすびのかみ〕
神皇産霊神〔かみむすびのかみ〕
伊弉諾尊〔いざなぎのみこと〕
伊弉冉尊〔いざなみのみこと〕
天照大御神〔あまてらすおおみかみ〕
豊受大神〔とようけのおおかみ〕
倭姫大神〔やまとひめのおおかみ〕
国常立尊〔くにとこたちのみこと〕(御嶽三神)
大國主命〔おおくにぬしのみこと〕(御嶽三神)
少彦名命〔すくなひこなのみこと〕(御嶽三神)
饒速日命〔にぎはやひのみこと〕
底筒男命〔そこづつおのみこと〕
中筒男命〔なかづつおのみこと〕
表筒男命〔うわづつおのみこと〕
伊久魂大神〔いくたまのおおかみ〕
水天宮大神〔すいてんぐうのおおかみ〕
正一位稲荷大神〔しょういちいいなりおおかみ〕
菅原大神〔すがわらのおおかみ〕
鎮座地 東京都世田谷区新町三丁目21番3号
創建年代 明治16年(1883)創建/大正11年(1922)遷座
社格等 神習教本祠
神事・行事 1月1日/四方拝
1月3日/元始祭
1月30日/孝明天皇祭
2月3日/節分祭
2月4日/祈年祭
2月11日/建国記念日
3月21日/春季皇霊祭
4月3日/神武天皇遙拝日
4月9日/大祭(鎮火式)
6月30日/大祓
7月上旬の日曜日/祖霊祭
9月17日/中祭(探湯式)
9月23日/秋季皇霊祭
10月17日/神嘗祭
12月27日/大祓

御由緒

桜神宮は、明治16年(1883)教派神道十三派の一・神習教の本祠として神田今川小路に創建されたことを起原とする。

神習教の初代管長・芳村正秉〔よしむらまさもち〕は大中臣氏の65代目の後裔で、天保10年(1839)美作国真庭郡上福田村(岡山県真庭市蒜山上福田)に医師・芳村泰治の二男として生まれた。6歳の誕生日に祖母と鎮守に参拝した際、祖母が「芳村氏は大中臣の後裔にして、神道の家系に属し、異日千載不伝の神道を継ぎ、これを天下に明らかにすべし」との神託を受けた。

幕末は勤王の志士として活躍する。安政5年(1858)に安政の大獄が始まると、正秉にも幕府の追求が及び、鞍馬山に逃れた。由岐神社の拝殿に身を隠し、油屋の主人・湯口徳兵衛の助けで生き延びた。この時、眼前に6歳の時に鎮守で託宣を受けた光景が眼前に浮かび、自らの進むべき道が神道家であることを悟った。

維新後は仕官を固辞するが、西郷隆盛や伊藤博文らの勧めにより神祇省に勤める。明治6年(1873)神仏合同の大教院設立に反対するが受け入れられなかったため、神祇省を辞して伊勢神宮に禰宜として奉職。大教院の解散を予見し、神宮司庁東京出張所内に神道事務局を設置するため尽力した。

神宮では神宮教会・神風講社の設立に尽力、また出納課長・常務課長・東京出張所長などを歴任、筆頭禰宜となった。この頃、倭姫命から「汝が一教を立てる時には神習いの教えとせよ」と託宣を受けている。

明治13年(1880)龍田神社宮司の辞令が下りるが、神官と教導職の分離を予知して着任せず、神習教会設立の許可を得た。

明治15年(1882)神道神習派として勅許特立、その後、神習教と改称した。翌16年(1883)大教庁を神田区今川小路二丁目(千代田区神保町)に設立した。同年、関東八州の御嶽先達の要望により、御嶽山の王滝口と黒沢口の社家の許可を得、御嶽三神の御分霊を神殿に合祀した。

大正4年(1915)芳村正秉は帰幽に際し、神託により速やかに西の方角へ移るように命じた。そこで大正8年(1919)に現在地へ本祠・大教庁の移転を開始、同11年(1922)までに遷座を完了した。これにより翌大正12年(1923)の関東大震災、昭和20年(1945)の東京大空襲の被害を免れた。そのため、火伏せ・災難除けの神徳によっても崇敬を集め、現在に至る。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 石祠

    石祠

  • 拝殿

    拝殿

  • 神号額

    神号額

  • 本殿

    本殿

メモ

桜新町の大山道(旧国道246号線)沿いに鎮座する。境内には神習会館・さくら幼稚園などを併設する。町に溶け込んだ印象を受ける。参拝の作法は二礼四拍手一礼である。
※追記:平成18年に初めて参拝したときは、御朱印は授与所で書き置き(文字部分もスタンプのもの)をいただくのみであった。その後、オリジナルの御朱印帳を頒布し、御朱印の対応も社務所で揮毫していただけるようになったようである。


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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