こまいぬ@御朱印研究家– Author –
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大洲神社 | 愛媛県大洲市
大洲神社は大洲城下の東、肱川畔の神楽山に鎮座する。古くは太郎宮と称し、元弘元年(1331)宇都宮豊房が大洲城を築いた際、城内の鎮守として宇都宮二荒山神社より勧請したことに始まる。以後、歴代領主の崇敬を受けた。大正3年(1914)久米神社と恵比須神... -
染井稲荷神社 | 東京都豊島区
染井稲荷神社は上駒込村染井の鎮守。江戸時代の染井は多くの植木屋が集住する園芸の中心地で、特にソメイヨシノの発祥の地として名高い。その名は当社の御手洗であった染井という泉に因むと伝わるが、江戸時代の半ばにはわずかにその跡を残すのみであった... -
駒込日枝神社(朝日山王宮)| 東京都豊島区
駒込日枝神社は旧上駒込村字新屋敷(伝中)の鎮守。社地の東側が開けて朝日が耀くことから朝日山王宮と称された。東側に張り出した崖の上にあり、江戸時代は眼下に田畑が広がる景勝の地であったことから、歌人や俳人がたびたび神主宅に集まって雅宴を開い... -
奥氷川神社 | 東京都西多摩郡奥多摩町
奥氷川神社は景行天皇52年(122)日本武尊により創建されたと伝えられる。无邪志の国造となった出雲臣が祖神・氷川神を祀り、これが所沢市の中氷川神社、大宮の氷川神社に遷されたとも言われる。そのため当社を武蔵の氷川神社の起源とし、中氷川神社・大宮... -
明和6年(1769)六十六部の納経帳(5)
明和6年(1769)に浄円坊という六十六部廻国聖が近畿から山陽、四国を巡拝した納経帳の紹介。数が少ない18世紀中頃の納経帳である。ここでは120ヶ所分ある納経のうち終盤の24ヶ所を紹介する。四国八十八ヶ所の札所を中心に阿波国の寺社を巡拝し、土佐国最... -
明和6年(1769)六十六部の納経帳(4)
明和6年(1769)に浄円坊という六十六部廻国聖が近畿から山陽、四国を巡拝した納経帳の紹介。数が少ない18世紀中頃の納経帳である。ここでは120ヶ所分ある納経のうち中盤後半の24ヶ所を紹介する。播磨から美作に入り、備前・備中を経て四国に渡り、四国八... -
明和6年(1769)六十六部の納経帳(3)
明和6年(1769)に浄円坊という六十六部廻国聖が近畿から山陽、四国を巡拝した納経帳の紹介。数が少ない18世紀中頃の納経帳である。ここでは120ヶ所分ある納経のうち中盤の24ヶ所を紹介する。西国三十三所の巡拝路に沿って京都市中から丹波・摂津・播磨の... -
明和6年(1769)六十六部の納経帳(2)
明和6年(1769)に浄円坊という六十六部廻国聖が近畿から山陽、四国を巡拝した納経帳の紹介。数が少ない18世紀中頃の納経帳である。ここでは120ヶ所分ある納経のうち24ヶ所を紹介する。山城から近江に入り、再度山城に入って、京都市中の寺社の途中までに... -
明和6年(1769)六十六部の納経帳(1)
明和6年(1769)に浄円坊という六十六部廻国聖が近畿から山陽、四国を巡拝した納経帳の紹介。数が少ない18世紀中頃の納経帳である。ここでは120ヶ所分ある納経のうち、最初の23ヶ所分を紹介する。冒頭の寛永寺(東京都台東区)を除くと河内国から始まって... -
札幌 三吉神社 | 札幌市中央区
三吉神社は、明治11年(1878)秋田県出身者が故郷の太平山三吉神社の御分霊を祀ったことに始まる。明治30年(1897)郷社、昭和5年(1930)県社に昇格。札幌市の氏神として例祭の神輿渡御は人気を集めたという。戦争で中断するが、昭和60年(1985)に復活し...