明和6年(1769)六十六部の納経帳(4)

明和6年(1769)六十六部の納経帳表紙

明和6年(1769)に浄円坊という六十六部廻国聖が近畿から山陽、四国を巡拝した納経帳の紹介。数が少ない18世紀中頃の納経帳である。ここでは120ヶ所分ある納経のうち中盤後半の24ヶ所を紹介する。播磨から美作に入り、備前・備中を経て四国に渡り、四国八十八ヶ所を中心とした讃岐の寺社を巡拝する。大きな寺社は少ないが、当時の六十六部がどういう寺社を選んで参拝したかがよくわかる部分となっている。
明和6年(1769)六十六部の納経帳

※各寺社の概要説明のうち、寺社名や所在地は当時のもの、御祭神・御本尊・宗派は現在のものとする。

江戸時代 明和6年(1769) 六十六部の納経帳 文化10年(1813) 西国三十三所の納経帳 ...
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山崎八幡神社/伊和神社

山崎八幡神社・伊和神社の納経

【右】山崎八幡神社
正八幡宮(山崎八幡神社)
御祭神:応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
所在地:播磨国宍粟郡山崎城下(兵庫県宍粟市山崎町門前)

■墨書は「奉納大乘妙典/播州宍粟郡山崎/正八幡宮 廣前/神主/行者丈」、日付は「明和六年七月八日」。中央に宝印はない。左下の朱印は判読できない。

★創建年代不詳。元は柏野庄篠丸山麓に鎮座していたという。大同2年(807)柏尾村(宍粟市山崎町加生)の村民が社殿が狭小であることを畏み、同村に遷し祀った。応仁元年(1467)柏尾村の村民全員が同じ夜に同じ霊夢を見たため、現社地に遷座したと伝えられる。江戸時代には山崎藩歴代藩主の崇敬を受けた。

【左】伊和神社
伊和大明神(伊和神社)
御祭神:大己貴神
所在地:播磨国宍粟郡須行名村(兵庫県宍粟市一宮町須行名)

■墨書は「播州一宮/正一位伊和大明神/奉納大乘妙典 一部/神主/常円房」、日付は「丑七月十二日」。中央に宝印はない。左下の朱印は「神」か。

★播磨国一宮。社伝によれば成務天皇14年(144)あるいは欽明天皇25年(564)の創祀と伝えられる。御祭神の伊和大神は『播磨国風土記』にたびたび登場し、大己貴神と同一視されている。延喜式神名帳には伊和坐大名持御魂神社とあり、名神大社に列している。中世以降も守護の赤松氏や歴代藩主によって尊崇された。寛文年間(16961~73)山崎藩主・池田恒元により唯一神道となっている。

円明寺(八幡宮)/中山神社

円明寺・中山神社の納経

【右】八幡宮・円明寺
八幡宮(※不明、大原神社の境内社に合祀か)
御祭神:情報なし(※誉田別尊か)
八幡山 円明寺(佛頂山 蓮華定院 円明寺)
御本尊:薬師如来(現在は聖観世音菩薩)
宗派:高野山真言宗
所在地:美作国吉野郡古町村(岡山県美作市古町)

■墨書は「奉納大乗妙典/八幡宮 御宝前/作州吉野郡八幡村/八幡山 圓明寺/行者丈」、日付は「明和六年丑七月十四日」。中央に宝印はない。左下の黒印は判読できない。

★現在、美作市古町(旧吉野郡古町村)に八幡宮はないが、日本歴史地名大系『岡山県の地名』によれば、氏神である日吉山王宮の他、八幡宮・弁財天社・垢姥宮などがあったという。『英田郡誌』(大正12年)によれば、明治41・42年(1908・09)氏子内の小社を境内神社に合祀したとあり、八幡宮もこの時に合祀されたのではないかと考えられる。ただし『平成「祭」データ』にも境内社に関する情報がないため、現時点では確認できない。

★八幡山円明寺は八幡宮の別当であろう。『英田郡誌』によれば、元は古町村字八幡にあったという。本尊は行基菩薩の御作と伝えられる薬師如来であった。しかし慶応3年(1867)火災で焼失したため、明治13年(1880)無住で退転していた仏頂山慈眼寺と合併し、仏頂山円明寺と改めた。

※この八幡宮へは「八幡の八幡宮」として参拝したものであろう。この納経帳の概要にも書いたが、当時の六十六部は八幡村にある八幡宮(八幡の八幡宮)を「一国一社八幡宮」に見立てて参拝していたようである。八幡村が見当たらない場合、字八幡の八幡宮に参拝しており、当社もそれに該当すると思われる。納経には吉野郡八幡村とあるが、八幡が一村としての扱いを受けていた時期があったのか、「八幡の八幡宮」として字八幡を八幡村と書いたのかは不明。

【左】中山神社
中山太神宮(中山神社)
御祭神:鏡作神(江戸時代以前は諸説あり、明治から戦前は金山彦神とされた)
所在地:美作国苫田郡西一宮村(岡山県津山市一宮)

■墨書は「美作國一宮/中山太神宮/大乗妙典全 社納者/神主中嶋源太夫/行者丈」、日付は「明和六年丑八朔」。中央に宝印はない。左下の黒印は違い鷹の羽の紋に「中嶋」。

★美作国一宮。社伝によれば慶雲4年(707)の創建。延喜の制では美作国唯一の名神大社とされ、『今昔物語集』や『粱塵秘抄』にもその名が見える。御祭神は大己貴命や吉備津彦命など諸説あり、明治以後は金山彦命と定められたが、戦後、社伝に基づいて鏡作神と改められた。

美作誕生寺/円寿院

誕生寺・円寿院の納経

【右】美作誕生寺
栃社山 誕生寺
本尊:圓光大師(法然上人)
宗派:浄土宗(鎮西派)特別寺院
所在地:美作国久米南条郡北庄里方村(岡山県久米郡久米南町里方)
公式サイト:https://www.tanjoji.or.jp/

■墨書は「美作国稻岡庄/淨土宗祖大師誕生寺/令奉納経〓/知事/行者」、日付は「明和六己丑八月四日」。中央の宝印、左下の朱印、ともに判読できない。

★法然上人の生誕地である久米南条稲岡庄、父・漆間時国の邸跡と伝えられる。本堂(御影堂)は建久4年(1193)熊谷法力房蓮生の創建と伝えられる。現在の本堂は三代目で元禄8年(1695)の再建。本尊の法然上人像は江戸や京都で出開帳が行われ、多くの老若男女が集まったという。法然上人二十五霊場の第1番。

【左】円寿院
金光山 善教寺 円寿院
御本尊:薬師如来
宗派:真言宗御室派
所在地:備前国赤坂郡馬屋村(岡山県赤磐市馬屋)

■墨書は「奉納大乗妙典 全軸/本堂薬師如来御寶前/備前國赤坂郡馬屋村金光山/圓寿院/願主某」、日付は「明和六年丑ノ八月初九日」。中央と左下に朱印が押されているが、判読できない。

★創建年代は不詳。馬屋村には備前国分寺跡があり、本尊の薬師如来は国分寺焼失後にその本尊を継承したものと伝えられる。山号の金光山もこれに因むとのこと。備前国分寺の後継寺院として参拝したものであろう。

備前八幡宮/吉備津彦神社

備前八幡宮・吉備津彦神社の納経

【右】備前八幡宮
八幡宮 ※通称:備前八幡宮
御祭神:神功皇后・応神天皇・玉依姫命
所在地:備前国上道郡八幡村(岡山市中区八幡東町)

■墨書は「備前国/八幡宮/奉納大乘妙典 全/光岡權少輔/行者丈」、日付は「明和六年八月九日」。中央に宝印はない。左下の黒印は判読できない。

★備前の一国一社八幡宮としての参拝と思われる。円寿院のある赤坂郡馬屋村(赤磐市馬屋)に国分寺八幡宮があるが、八幡村の八幡宮である備前八幡宮と考えるのが妥当であろう。

★備前八幡宮は元和元年(1615)岡山城主・池田忠雄により創建されたとされるが、『吉備温故秘録』によればそれ以前から八幡宮があり、村名もそれによるという。その後衰微したが、池田綱政が再興に努め、延宝4年(1676)石清水八幡宮より御分霊を勧請、社殿を造営して社領60石を寄進。その後も歴代藩主の崇敬を受けた。

【左】吉備津彦神社
吉備津宮(吉備津彦神社
御祭神:大吉備津彦命
所在地:備前国津高郡一之宮村(岡山市北区一宮)
公式サイト:https://www.kibitsuhiko.or.jp/

■墨書は「備前国 一宮/吉備津宮/奉納大乘妙典 一部/神力寺/行者丈」、日付は「明和六丑年八月十日」。中央と左下に朱印が押されているが、判読できない。

★備前国一宮。吉備の中山の東麓に鎮座する。御祭神の大吉備津彦命は孝霊天皇の皇子で、崇神天皇の御代、四道将軍の一人として山陽道に派遣され吉備を平定した。当社はその邸跡であるという。歴代国司・領主の崇敬を受け、岡山藩主・池田家の尊崇も篤かった。

吉備津神社/川入八幡神社

吉備津神社・川入八幡神社の納経

【右】吉備津神社
吉備津宮(吉備津神社
御祭神:大吉備津彦命
所在地:備中国賀陽郡宮内村(岡山市北区吉備津)
公式サイト:https://www.kibitujinja.com/

■墨書は「備中國 一宮/吉備津宮 社司/奉納大乗妙典 一部/行者丈」、日付は「明和六丑年八月十日」。右上の朱印は判読できない。下の印は「賀陽〓〓〓〓章」のように見える。

★備中国一宮。吉備の中山の北麓、備前国一宮の吉備津彦神社から1km余のところに鎮座する。御祭神は大吉備津彦命。本来は吉備国の総鎮守で、備前一宮の吉備津彦神社・備後一宮の吉備津神社は吉備が三ヶ国に分割されたときに当社の分霊が勧請されたものとされ、三備一宮を称する。延喜の制では名神大社に列し、天慶3年(940)には神階一品を奉授されている。本殿は比翼入母屋造(吉備津造)という独特の様式で、国宝に指定されている。

【左】川入八幡神社
八幡宮(八幡神社)※通称:川入八幡神社
御祭神:応神天皇・神功皇后・玉依姫命
所在地:備中国賀陽郡川入村(岡山市北区川入)

■墨書は「備中国八幡/八幡宮 社司/奉納大乗妙典 一部/行者丈」、日付は「明和六己丑年八月十一日」。中央に宝印はない。下の黒印は判読できない。

★「八幡の八幡宮」としての参拝と思われるが、備中国に八幡村は見当たらない。「備中国八幡」とするのも八幡村ではないからだろう。吉備津神社と備中国分寺の間にはいくつか八幡神社があるが、川入村字八幡西(岡山市北区川入)に鎮座する川入八幡神社とするのが妥当ではないだろうか。

★川入八幡神社は貞観2年(860)宇佐神宮からの勧請と伝えられる。旧庭瀬郷の総鎮守で、歴代庭瀬藩主の崇敬が篤かった。

備中国分寺/郷照寺

備中国分寺・郷照寺の納経

【右】備中国分寺
日照山 総持院 国分寺
御本尊:薬師如来
宗派:真言宗御室派
所在地:備中国窪屋郡上林村(岡山県総社市上林)

■墨書は「奉納大乗妙典/本尊薬師如来御宝前/備中國日照山/國分寺/知事/行者丈」、日付は「明和六丑年八月十一日」。中央の宝印は判読できない。右上、左下の印も判読できない。

★聖武天皇の詔勅によって全国に建立された国分寺の一つ。中世に廃絶、天正年間(1573~92)高松城主・清水宗治の援助により真言寺院として再興されたが、その後衰微。宝永年間(1704~11)領主・蒔田定英の援助により増鉄が再建した。県下で唯一という五重塔は文政3年(1820)の建立である。

【左】郷照寺
仏光山 広徳院 道場寺(仏光山 広徳院 郷照寺
御本尊:阿弥陀如来
宗派:時宗
所在地:讃岐国鵜足郡宇多津村(香川県綾歌郡宇多津町)
公式サイト:https://yakuyoke.org/

■墨書は「奉納大乗妙典 全部/本尊阿弥陀如来弘法大師/御作讃州鵜足郡宇多津/佛光山道場寺/役者/行者丈」、日付は「明和六年八月廿一日」。中央に宝印はない。右上の朱印は「第七十八番」か。左下の印は判読できない。

★四国八十八ヶ所の第78番札所。元は道場寺と称し、寺伝によれば神亀2年(725)行基菩薩の開創。弘仁6年(815)弘法大師が42歳の時に厄除けの誓願をされ、正応元年(1288)一遍上人が滞在して教えを広めたと伝えられる。

★寛永4年(1664)高松藩主・松平頼重が再建した際、時宗に改宗して寺号を郷照寺に改めたとされる。しかし、この納経帳も含めて江戸時代の納経帳には「道場寺」とあり、「郷照寺」となるのは明治以降の納経帳である。

白峰宮・摩尼珠院/讃岐国分寺

摩尼珠院・讃岐国分寺の納経

【右】白峰宮・摩尼珠院
崇徳天皇社(白峰宮
御祭神:崇徳天皇
金華山 妙成就寺 摩尼珠院(廃寺、金華山 高照院 天皇寺が法灯を継承)
御本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗御室派
所在地:讃岐国阿野郡西庄村(香川県坂出市西庄町)

■墨書は「奉納経/崇徳院 御鎮座/本地十一面大士宝前/讃州摩尼珠院/役人」、日付は「丑ノ天八月廿一日」。右上に「金華山」と十六八重菊の御紋の朱印。左下の朱印は判読できない。
※十六八重菊の御紋の印は意図的に「崇徳院」の文字に重ねていると思われる。

★四国八十八ヶ所の第79番札所。江戸時代以前は崇徳天皇社が札所の扱いで、摩尼珠院が別当を務めていた。長寛2年(1164)讃岐に配流された崇徳上皇が崩御され、都からの指示を待つ間、御尊体を八十場の霊泉に浸して保存した。その間、付近の霊木に神光があったため、二条天皇の勅により崇徳天皇社が建てられ、摩尼珠院がその別当となった。

★摩尼珠院は行基菩薩の開創、後に弘法大師が中興した。崇徳天皇社が創建されると、後嵯峨天皇の勅により永代別当職の詔を賜り、崇徳天皇寺と呼ばれるようになった。明治の神仏分離で廃寺となり、筆頭末寺の奇香山仏乗寺高照院が法灯を継承、金華山高照院天皇寺を称する。

【左】讃岐国分寺
白牛山 千手院 国分寺 ※通称:讃岐国分寺
御本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗御室派 別格本山
所在地:讃岐国阿野郡国分村(香川県高松市国分寺町国分)
公式サイト:https://sanukikokubunji.jp/

■墨書は「奉納経/本尊千手大士/讃州白牛山/国分寺/行者丈」、日付は「丑ノ八月廿一日」。中央に宝印はない。右上の朱印は「四國第八十番」。左下の印は「千手院」で、現代でも同じデザインの印が使われている。

★四国八十八ヶ所の第80番札所。聖武天皇の詔勅により全国に建立された国分寺の一つ。寺伝によれば、行基菩薩が丈六の十一面観音の像を刻み、本尊として安置したという。

白峯寺/一宮寺

白峯寺・一宮寺の納経

【右】白峯寺
綾松山 洞林院 白峯寺
御本尊:千手観世音菩薩
宗派:真言宗御室派 別格本山
所在地:讃岐国阿野郡青海村(香川県坂出市青海町)
公式サイト:http://www.shiromineji.com/

■墨書は「奉納大乗妙経/千手院御寶前/讃州白峯寺役者/行者丈」、日付は「丑八月廿二日」。中央に宝印はない。左下の朱印は「白峯寺之寶」か。日本ではあまり見かけないが、韓国で印章の意味で「寶」を使っている例を見たことがある。

★寺伝によれば、弘仁6年(815)弘法大師が白峯の山頂に如意宝珠を埋め、衆生救済を祈願して堂宇を建立した。後に白峯大権現の託宣を受けた智証大師が霊木で千手観音を刻み、本尊としたという。長寛2年(1162)崇徳上皇の御陵が営まれ、朝廷や領主の篤い崇敬を受けた。

【左】一宮寺
神毫山 大宝院 一宮寺
御本尊:聖観世音菩薩
宗派:真言宗御室派
所在地:讃岐国香川郡一宮村(香川県高松市一宮町)
公式サイト:https://www.sanuki-ichinomiyaji.or.jp/

■墨書は「奉納大乗妙典/本尊正観音御宝前/讃州一宮寺/行者丈」、日付は「八月廿三日」。中央の宝印は宝珠に聖観音の種字「サ」か。右上の印は「八十三番」、左下は「讀」ではないかと思われる。

★四国八十八ヶ所の第83番札所。寺伝によれば大宝年間(701~04)義淵僧正により開創され、和銅年間(708~15)行基菩薩により讃岐国一宮・田村神社の第一別当とされた。大同年間(806~10)弘法大師が中興し、自ら刻んだ聖観音の像を本尊として安置した。

★延宝7年(1679)高松藩主・松平頼重により田村神社が唯一神道に改められ、一宮寺は別当職を解かれる。これに伴い、83番札所は田村神社から一宮寺に移された。

※82番根香寺の納経がないのは、六十六部廻国の一環として四国八十八ヶ所を巡拝しているため、四国遍路と違って厳密な巡拝に拘ってなかったためであろう。

田村神社/法然寺

田村神社・法然寺の納経

【右】田村神社
一宮大社(田村神社
御祭神:田村大神(倭迹迹日百襲姫命・五十狹芹彦命・猿田彦大神・天隠山命・天五田根命)
所在地:讃岐国香川郡一宮村(香川県高松市一宮町)
公式サイト:https://tamurajinja.com/

■墨書は「奉納妙典/讃州/一宮大社/一宮寺/行者丈」、日付は「丑八月廿三日」。中央に宝印はない。下の朱印は判読できない。

★讃岐国一宮。古くは「定水井」という井戸に筏を浮かべ、その上に供物を供えて祭祀を行っていたという。和銅2年(709)初めて社殿が設けられたと伝えられる。延喜の制では名神大社に列し、建久元年(1190)正一位を奉授された。歴代領主の崇敬篤く、干ばつの際には必ず領主が祈願したという。延宝7年(1679)高松藩主・松平頼重により唯一神道に改められた。

※唯一神道に改められた際に旧別当の一宮寺とは分離されているが、この納経は一宮寺で受けたもののようである。もし田村神社で受けていれば、他の唯一神道の神社と同じく「奉納中臣祓」となっていたであろう。

【左】法然寺
仏生山 来迎院 法然寺
御本尊:阿弥陀如来
宗派:浄土宗(鎮西派)
所在地:讃岐国香川郡百相村(香川県高松市仏生山町)

■墨書は「奉納經/讃州/来迎院如来前/法然寺/役者/行者丈」、日付は「丑八月廿四日」。中央の宝印は「佛法僧寶」の三宝印。右上の印は「賜紫佛生山」、左下は「役者」。

★法然上人二十五霊場の第2番。寛文8年(1668)高松藩主・松平頼重が、法然上人が讃岐に配流された時に滞在した生福寺の旧跡(現まんのう町)を百相村の現在地に移して伽藍を造営、伝通院の真誉相閑を中興開山に迎えて高松藩主の菩提寺とした。延宝元年(1673)朱印地300石を寄進され、延宝3年(1675)には常紫衣の綸旨を賜った。「賜紫佛生山」の印はこれによるものであろう。

屋島寺/八栗寺

屋島寺・八栗寺の納経

【右】屋島寺
南面山 千光院 屋島寺
御本尊:十一面千手観世音菩薩
宗派:真言宗御室派 准大本山
所在地:讃岐国山田郡屋島村(香川県高松市屋島東町)

■墨書は「奉納大乗妙典経/本尊千手観自在尊 宝前/讃州南面山千光院/屋嶋寺役者/行者丈」、日付は「明和六丑八月廿五」。中央に宝印はない。左下の朱印は判読できない。

★四国八十八ヶ所の第84番札所。天平勝宝6年(754)鑑真和上が屋島の北嶺に創建したと伝えられる。弘仁年間(810~24)弘法大師が南嶺に伽藍を建立して真言宗に改めた。江戸時代には領主の生駒氏や松平氏によって寺領の寄進や堂舎の修築などが行われた。

【左】八栗寺
五剣山 観自在院 八栗寺
御本尊:聖観世音菩薩
宗派:真言宗大覚寺派
所在地:讃岐国三木郡牟礼村(香川県高松市牟礼町牟礼)
公式サイト:http://yakuriji.jp/

■墨書は「奉納御経/本尊正観世音 宝前/讃州五劍山/八栗寺役者/行者」、日付は「丑八月廿五日」。中央に宝印はない。右上の印は「八十五番」、左下は「千手院」。

★四国八十八ヶ所の第85番札所。寺伝によれば延暦23年(804)弘法大師が聖観音を本尊として一寺を建立し、八国寺と名付けた。唐から帰国した後に再び訪れ、渡唐の成功を試みるために植えておいた8個の焼き栗が芽吹いていたことから寺号を「八栗寺」に改めたという。

志度寺/長尾寺

志度寺・長尾寺の納経

【右】志度寺
補陀洛山 清浄光院 志度寺
御本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗善通寺派
所在地:讃岐国寒川郡志度村(香川県さぬき市志度)

■墨書は「奉納経/本尊十一面観音/讃州補陀落山/志度寺役者/行者」、日付は「丑八月廿六日」。中央の宝印は蓮華座上の火炎宝珠に十一面観音の種字「キャ」。左下の印は「志度寺」。

★四国八十八ヶ所の第86番札所。寺伝によれば推古天皇33年(625)凡薗子尼が霊木から彫った十一面観音を本尊として開創した。天武天皇10年(681)藤原不比等が妻の海女のために墓を建て、堂宇を建立して「死度道場」と名付けた。持統天皇7年(693)不比等と海女の子の藤原房前が行基とともに訪れて伽藍を拡張し、母の供養のために千基の石塔を建立したと伝えられる

【左】長尾寺
補陀洛山 観音院 長尾寺
御本尊:聖観世音菩薩
宗派:天台宗(山門派)
所在地:讃岐国寒川郡長尾西村(香川県さぬき市長尾西)
公式サイト:https://nagaoji.com/

■墨書は「奉納妙典/本尊聖観世音御宝前/讃岐國補陀落山観音院/長尾寺/行者」、日付は「明和六丑年九月朔日」。中央に宝印はない。右上の印は聖観音の種字「サ」。左下の印は判読できない。

★四国八十八ヶ所の第87番札所。天平11年(739)行基菩薩がこの地を訪れた時、霊夢を見て楊柳に聖観音の像を刻み、一堂を建立して安置したと伝えられる。弘法大師が唐に渡る前に訪れ、年頭七夜五穀豊穣と国家安穏の護摩を修したという。天和3年(1683)高松藩主・松平頼常により真言宗から天台宗に改められた。

大窪寺/白鳥神社

大窪寺・白鳥神社の納経

【右】大窪寺
医王山 遍照光院 大窪寺
御本尊:薬師如来
宗派:真言宗大覚寺派
所在地:讃岐国寒川郡奥山村(香川県さぬき市多和兼割)

■墨書は「八十八ばん 奉納大乗妙典/本尊薬師如来前/讃州醫王山/大窪寺/行者丈」、日付は「明和六丑天九月三日」。中央に宝印はない。左下の印は判読できない。

★四国八十八ヶ所の第88番札所、結願所。寺伝によれば、元正天皇の御代(714~24)行基菩薩の開創。弘仁7年(816)弘法大師が胎蔵ヶ峰で虚空蔵求聞持法を修し、恵果阿闍梨から授かった三国伝来の錫杖を納めたという。

【左】白鳥神社
白鳥大神宮(白鳥神社
御祭神:日本武尊・両道入姫命・橘姫命
所在地:讃岐国大内郡松原村(香川県東かがわ市松原)
公式サイト:https://www.shirotori-jinja.jp/

■墨書は「奉納中臣祓/讃州大内郡/白鳥大神宮  廣前/當番 社家/常圓御房」、日付は「明和六己丑年九月四日」。中央に宝印はない。左下の朱印は判読できない。

★社伝によれば、能褒野の地で薨去された日本武尊が白鶴と化し、大和国琴弾原・河内国旧市邑を経て讃岐国大内郡鶴内に留まった。この地に成務天皇の命により神陵を営み、仁徳天皇の御代に祠が建立されたのが創祀とされる。東讃を代表する大社であり、四国八十八ヶ所を巡拝する遍路でも当社を参拝するものが多かったようだ。

明和6年(1769)に浄円坊という六十六部廻国聖が、河内国から畿内・山陽を経て四国に入り、四国24番最御崎寺まで巡拝した納経帳。全国を巡...

明和6年(1769)六十六部の納経帳(1)河内・大和・山城
明和6年(1769)六十六部の納経帳(2)山城・近江
明和6年(1769)六十六部の納経帳(3)山城・丹波・摂津・淡路・播磨
■明和6年(1769)六十六部の納経帳(4)播磨・美作・備前・備中・讃岐
明和6年(1769)六十六部の納経帳(5)阿波・土佐


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