明和6年(1769)六十六部の納経帳(3)

明和6年(1769)六十六部の納経帳表紙

明和6年(1769)に浄円坊という六十六部廻国聖が近畿から山陽、四国を巡拝した納経帳の紹介。数が少ない18世紀中頃の納経帳である。ここでは120ヶ所分ある納経のうち中盤の24ヶ所を紹介する。西国三十三所の巡拝路に沿って京都市中から丹波・摂津・播磨の寺社を巡る。
明和6年(1769)六十六部の納経帳

※各寺社の概要説明のうち、寺社名や所在地は当時のもの、御祭神・御本尊・宗派は現在のものとする。

江戸時代 明和6年(1769) 六十六部の納経帳 文化10年(1813) 西国三十三所の納経帳 ...
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東寺/頂法寺六角堂

東寺・頂法寺の納経

【右】東寺
八幡山 東寺(教王護国寺)
御本尊:薬師如来
宗派:東寺真言宗 総本山
所在地:山城国葛野郡八条村(京都市南区九条町)
公式サイト:https://toji.or.jp/

■墨書は「奉納大乘妙典 一部/弘法大師 御寶前/京都東寺 執行/納所/行者丈」、日付は「明和六己丑歳五月廿七日」。中央に宝印はない。左下の印は判読できない。

★延暦13年(794)の平安遷都の後、羅城門の東西に東寺と西寺という二つの官寺が造営された。弘仁14年(823)弘法大師は嵯峨天皇より東寺を勅賜され、真言密教の根本道場となった。皇室や武門の崇敬篤く、江戸幕府も寺領2030石を安堵するなど厚く保護した。また京都三弘法の一として広く庶民の信仰も集めた。

【左】六角堂頂法寺
紫雲山 頂法寺 ※通称:六角堂
御本尊:如意輪観世音菩薩
宗派:天台系単立(江戸時代は天台宗山門派)
所在地:洛中下京堂之前町(京都市中京区堂之前町)
公式サイト:https://www.ikenobo.jp/rokkakudo/

■墨書は「奉納經/西国第十八番札処/本尊如意輪観世音御宝前/京都六角堂頂法寺/役者/行者丈」、日付は「明和六年己丑五月廿七日」。中央に宝印はない。左下の印は「池坊」。

★西国三十三所の第18番札所。用明天皇2年(587)聖徳太子によって創建されたと伝えられる。本堂が六角形をしていることから六角堂の通称で知られる。親鸞聖人が参籠し、聖徳太子の夢告によって法然上人の専修念仏に帰依したことは有名である。室町時代には上京の革堂に対して下京の町堂としての性格を持つようになり、江戸時代末まで祇園祭の山鉾巡行の順番を決める鬮取り式は六角堂で行われた。

★本坊の池坊は華道の家元として知られる。この納経には「池坊」の印が押されており、池坊で納経したことがわかる。

北野天満宮/御室御所 仁和寺

北野天満宮・仁和寺の納経

【右】北野天満宮
北野天満宮
御祭神:菅原道真公
宗派:(江戸時代は天台宗山門派)
所在地:洛中上京馬喰町(京都市上京区馬喰町)
公式サイト:https://www.kitanotenmangu.or.jp/

■墨書は「奉納大乘妙典一部/京北野/天滿宮 御宝殿者也/當番/行者丈」、日付は「明和六年丑五月二十七日」。中央に宝印はない。左下の黒印は判読できない。

★太宰府天満宮と並ぶ天神信仰の中心で、天満宮の総本社を称する。天暦元年(947)多治比文子や比良宮の神主・神良種、北野朝日寺の最珍らが当地に神殿を建立し、菅原道真公をお祀りしたことに始まる。朝野の尊崇を集め、二十二社の下八社に列した。江戸時代末まで曼殊院門跡が別当を務めた。

【左】御室御所 仁和寺
大内山 仁和寺 ※別称:御室御所
御本尊:阿弥陀如来
宗派:真言宗御室派 総本山
所在地:山城国葛野郡御室門前村
公式サイト:https://ninnaji.jp/

■墨書は「奉納經/御室御所 伽藍/役者」、日付は「明和六丑五月廿七日」。中央に宝印はない。右上の朱印は十六八重菊の御紋。左下の印は判読できない。

★仁和2年(886)光孝天皇が西山御願寺の建立を発願、仁和4年(888)その遺志を継いだ宇多天皇によって完成し、仁和寺と称された。宇多天皇は譲位の後出家、法皇となり、仁和寺に入室した。以来、皇族が住職(門跡)を務め、門跡寺院として最高の格式を誇った。

※六十六部廻国聖は江戸の寛永寺と京都の仁和寺を本所としていた。そのため、六十六部の納経帳では寛永寺か仁和寺を冒頭に置くことが多い。この納経帳はわざわざ寛永寺を冒頭に置いているので、東日本の六十六部は寛永寺、西日本の六十六部は仁和寺というような区分けがあったのかもしれない。

清涼寺/愛宕神社

清涼寺・愛宕神社の納経

【右】清涼寺
五台山 清涼寺 ※通称:嵯峨釈迦堂
御本尊:釈迦如来
宗派:浄土宗
所在地:山城国葛野郡上嵯峨村(京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町)
公式サイト:http://seiryoji.or.jp/

■墨書は「奉納/城州嵯峨/本尊釋迦如來/淸涼寺/役者」、日付は「明和六丑ノ五月廿七日」。中央の宝印は「佛法僧寶」の三宝印。右上の朱印は「三國傳来」、左下は「五臺山淸涼寺」か。

★東大寺の奝然上人は宋に渡り、天台山や五台山を巡拝した後、台州で優塡王所造の栴檀釈迦如来立像を模刻させ、日本に持ち帰った。奝然上人は愛宕山を中国の五台山に見立て、釈如来像を中心として大清涼寺を創建しようとしたが果たせなかった。上人没後、弟子の盛算が嵯峨・棲霞寺の釈迦堂に奉安し、勅許を得て五台山清涼寺と号した。栴檀の釈迦像は釈尊37歳の生身の姿を伝える霊像として信仰を集め、六十六部の代表的な巡拝地の一つでもあった。この経緯から、清涼寺は愛宕権現の山下の別当寺的存在でもあったという。

【左】愛宕神社
愛宕社・朝日山 白雲寺(愛宕神社)
御祭神:伊弉冉尊他4柱、若宮に迦遇槌命他2柱
※江戸時代は本社に愛宕権現(本地仏は勝軍地蔵)、奥之院(若宮)に太郎坊(天狗)。ただし『都名所図会』には「本殿は阿太子山権現にして祭る所は伊弉冉尊・火霊尊なり。本地は勝軍地蔵を垂迹となし」とある。
所在地:山城国葛野郡上嵯峨村(京都市右京区嵯峨愛宕町)
公式サイト:http://atagojinjya.jp/

■墨書は「奉納大乗妙典/愛宕山大権現 御宝前/年預/役者/行者」。日付は「明和六丑五月廿八日」。中央に宝印はない。左下の黒印は「常住」。

★全国の愛宕神社の総本宮で愛宕山上に鎮座する。社伝では大宝年間(701~04)役行者が泰澄上人を伴って愛宕山に登り、朝廷に奏上して朝日峰に神廟を建立したことに始まるとする。神仏習合の進展によって修験の道場として繁栄し、祭神は天狗の姿をした愛宕権現太郎坊と考えられ、火神ともされた。また、本地は勝軍地蔵とされ、軍神としても信仰を集めた。江戸時代には本社を中心に天台宗の勝地院・教学院・大善院・威徳院、天台真言兼学の福寿院があり、白雲寺と総称した。明治の神仏判然令により仏寺は廃絶し、愛宕神社となった。

出雲大神宮/鍬山神社

出雲大神宮・矢田八幡宮の納経

【右】出雲大神宮
出雲大明神(出雲大神宮)
御祭神:大国主命・三穂津姫命
所在地:丹波国桑田郡出雲村(京都府亀岡市千歳町出雲)
公式サイト:http://izumo-d.org/

■墨書は「奉納中臣祓/正一位出雲大明神/神主/〓〓〓〓守/行者丈」、日付は「明和六丑年五月廿八日」。中央に宝印はない。右上の黒印は「丹波國一之宮」、左下は判読できない。

★創建年代は不詳だが、社伝によれば和銅2年(709)初めて社殿を造営したとされる。弘仁8年(817)名神に預かり、延喜の制では名神大社に列する。正応5年(1292)雨乞いの効験により正一位に極位した。中世には丹波国一宮として尊崇された。

【左】鍬山神社
矢田宮・矢田八幡宮(鍬山神社)
御祭神:大己貴神(鍬山宮)・誉田別尊(八幡宮)
所在地:丹波国桑田郡上矢田村(京都府亀岡市上矢田町)
公式サイト:http://www.kuwayama-jinjya.jp/

■墨書は「奉納経/矢田正八幡宮御神前/丹波囶桒田郡矢田宮別當/大智院/役者/行者丈」、日付は「明和六丑年五月卅日」。中央に宝印はない。左下の黒印は「積善坊」か。

★同一境内に鍬山宮と八幡宮が並んで建つ。鍬山宮は矢田宮とも称し、和銅2年(709)の創祀と伝えられる。社伝によれば、太古、亀岡盆地は湖で、黒柄山に降臨した八柱の出雲の神々が現在の保津峡を開削して山城へ水を抜き、肥沃な耕地を造った。この時使った鍬が山のように積み上がったので鍬山と呼ばれたという。誉田別尊は、永万元年(1165)天岡峯に降臨し、八幡宮として祭られたという。

穴太寺/善峯寺

穴太寺・善峯寺の納経

【右】穴太寺
菩提山 穴太寺
御本尊:薬師如来/札所本尊:聖観世音菩薩
宗派:天台宗(山門派)
所在地:丹波国桑田郡穴太村

■墨書は「奉納経/聖観世音御寶前/西國廿一番札所/菩提山 穴太寺/行者丈」、日付は「明和六年丑五月三十日」。中央に宝印はない。左下の印は「寶」。

★西国三十三所の第21番札所。御本尊は薬師如来で、慶雲2年(705)文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したと伝えられる。札所本尊の聖観音は『今昔物語』などの身代わり観音の説話で知られ、古くから観音霊場として信仰を集めていた。

【左】善峯寺
西山 善峯寺
御本尊:十一面千手観世音菩薩
宗派:善峰観音宗(※江戸時代は天台宗山門派)
所在地:山城国乙訓郡小塩村(京都市西京区大原野小塩町)
公式サイト:http://www.yoshiminedera.com/

■墨書は「奉納大乘妙典一部/西國第廿番札所/本尊千手觀世音菩薩/西山善峯寺/役者/行者丈」、日付は「明和六歳己丑六月二日」。中央に宝印はない。左下の印は「善峰教寺」。

★西国三十三所の第20番札所。長元元年(1028)恵心僧都源信の弟子・源算上人が自作の観世音菩薩を小堂に安置したことに始まるという。長元7年(1034)後一条天皇の勅願所となり「良峯寺」の寺号を賜った。長久3年(1042)後朱雀天皇の勅命により鷲尾寺にあった弘法大師御作の千手観音を遷し、本尊とした。

石清水八幡宮/総持寺

石清水八幡宮・総持寺の納経

【右】石清水八幡宮
石清水八幡宮
御祭神:応神天皇・比売大神・神功皇后
所在地:山城国綴喜郡八幡(京都府八幡市八幡高坊)
公式サイト:http://iwashimizu.or.jp/

■墨書は「奉納大乗妙典/右 石清水八幡宮灵場/所蔵如件/執行岩本坊/役者」、日付は「明和六年丑六月三日」。中央に宝印はない。右上の朱印は「雄徳山」、左下は判読できない。

★貞観元年(859)宇佐八幡に参詣した大安寺の僧・行教上人が「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との神託を受け、朝廷に奏上して男山に宝殿六宇を建立、貞観2年(860)八幡宮を勧請して鎮護国家を祈願したことに始まる。伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟として朝廷や武家から尊崇された。

【左】総持寺
補陀洛山 総持寺
御本尊:千手観世音菩薩
宗派:高野山真言宗
所在地:摂津国島下郡総持寺村(大阪府茨木市総持寺)
公式サイト:http://sojiji.or.jp/

■墨書は「奉納大乗経/西国廿弌番摂津補陀洛山/本尊千手観世音御寶前/総持寺/役者/行者丈」、日付は「明和六丑六月七日」。中央の宝印は奉授に「大悲」。右上の印は「補陀洛山」か。左下の印は判読できない。

勝尾寺/中山寺

勝尾寺・中山寺の納経

【右】勝尾寺
応頂山 菩提院 勝尾寺
御本尊:十一面千手観世音菩薩
宗派:高野山真言宗
所在地:摂津国島下郡粟生村(大阪府箕面市粟生間谷)
公式サイト:https://katsuo-ji-temple.or.jp/

■墨書は「奉納経/津國 勝尾寺/勅願所西國廿三番/應頂山観音霊場/知事/行者」、日付は「明和六丑六月七日」。中央に宝印はない。右上の朱印は「應頂山」、左下は「〓学」。

★西国三十三ヶ所の第23番札所。神亀4年(727)善仲・善算という双子が草庵を結んで修行したことを起源とし、宝亀6年(775)光仁天皇の皇子・開成が一寺を建立して弥勒寺と号した。6代行巡上人が清和天皇の病気平癒の祈祷を行って効験があったことから「勝王寺」の号を賜ったが、「王」の字を「尾」に控えて「勝尾寺」とし、勝運の寺として信仰を集めたという。

【左】中山寺
紫雲山 中山寺
御本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗中山寺派大本山(江戸時代は仁和寺末)
所在地:摂津国川辺郡中山寺村(兵庫県宝塚市中山寺)
公式サイト:https://www.nakayamadera.or.jp/

■墨書は「奉納大乗妙典/西國廿四番中山寺/本尊十一面観音寶前/摂州紫雲山 花藏院/行者丈」、日付は「明和六年丑六月九日」。中央に宝印はない。左下の印は「華藏院印」。

★西国三十三所の第24番札所。寺伝によれば聖徳太子の創建で、日本最初の観音霊場という。閻魔大王のお告げで西国三十三所を開創した徳道上人は、閻魔大王の御宝印を中山寺の石の櫃に納めた。御本尊の十一面観音は、勝鬘夫人が女人救済の誓願を立て、自らの姿を模して刻んだという三国伝来の尊像とされる。

西宮神社/廣田神社

西宮神社・廣田神社の納経

【右】西宮神社
西宮太神宮(西宮神社
御祭神:西宮大神(蛭子命)
所在地:摂津国武庫郡西宮町(兵庫県西宮市社家町)
公式サイト:https://nishinomiya-ebisu.com/

■墨書は「摂州/奉納/日本一躰/西宮太神宮 御神前/當番社人」、日付は「明和六年丑六月十一日」。中央に宝印はない。左下の黒印は判読できない。

★社伝によれば、鳴尾の漁師が和田岬の沖に出現した蛭子命の御神像を引き上げ、神託によって西宮の地に祀ったとされる。元は廣田神社の境外摂社・南宮境内の戎社であった。室町時代になると福徳の神として広く信仰を集め、諸国に御分霊が勧請されて社頭は繁栄を極めた。明治になって、廣田神社から分離独立した。

【左】廣田神社
廣田神社
御祭神:天照大神荒魂・住吉大神・八幡大神・建御名方神・高皇産霊神
所在地:摂津国武庫郡広田村(兵庫県西宮市大社町)
公式サイト:http://www.hirotahonsya.or.jp/

■墨書は「摂州/奉納/廣田八幡宮 御神前/當番社人」、日付は「明和六年丑ノ六月十一日」。中央に宝印はない。左下の黒印は判読できない。
※『二十二社本縁』には広田社は神功皇后とも八幡同体ともいうとある。「廣田八幡宮」とするのはそのためではないかと思われる。

★神功皇后が凱旋の砌、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(天照大神の荒魂)の神託を受けて創建されたと伝えられる。延喜の制では名神大社、二十二社の制では下八社に列した。神祇伯や公家たちが廣田社や周辺の諸社を参拝することを西宮参拝と称した。これが西宮の地名の由来とされる。

※江戸時代以前、社家の吉井氏が廣田・西宮の両社を兼帯し、納経は西宮神社の社頭で当番社人が対応していた。納経帳の順番は西宮神社・廣田神社の順だが、参拝経路を考えると実際の参拝は廣田神社が先だっただろうと思われる。

淡路国分寺/伊弉諾神宮

淡路国分寺・伊弉諾神宮の納経

【右】淡路国分寺
護国山 国分寺 ※通称:淡路国分寺
御本尊:釈迦如来
宗派:律宗
所在地:淡路国三原郡国分村(兵庫県南あわじ市八木国分)
公式サイト:http://www.awaji-kokubunji.com/

■墨書は「奉納大乗妙典/本尊釈迦文佛/淡州護國山/國分寺/行者丈」、日付は「明和六己丑年六月十七日」。中央の宝印は釈迦宝印。右の印は鼎。左下は判読できない。

★聖武天皇の詔勅によって全国に建立された国分寺の一つ。『日本霊異記』に、宝亀6年(775)淡路島に流れ着いた紀州の祖父麿が淡路国分寺に入って僧となったという説話があり、それ以前に完成していたことがうかがわれる。本尊の釈迦如来座像は国の重要文化財。

【左】伊弉諾神宮
多賀神社(伊弉諾神宮)
御祭神:伊弉諾尊・伊弉冉尊
所在地:淡路国津名郡多賀村(兵庫県淡路市多賀)
公式サイト:https://izanagi-jingu.jp/

■墨書は「奉納大乗妙典/一宮二柱尊神/淡州多賀神社/社司」、日付は「明和六己丑年六月」。3種類の印が5ヶ所に押されているが、判読できない。

★『日本書紀』には、国産み・神産みを終えた伊弉諾尊は淡路の洲に幽宮を造り隠れたとある。その御陵の地に神社を創建したのが当社の始まりであるという。延喜の制では名神大社に列し、中世は淡路国一宮として尊崇された。江戸時代には藩主・蜂須賀家の崇敬も厚く、社領10石を寄進、社殿の修復や葺き替えなど度々であった。

柿本神社/播州清水寺

柿本神社・播州清水寺の納経

【右】柿本神社
柿本大明神(柿本神社)
御祭神:柿本人麻呂公
所在地:播磨国明石郡明石城下寺町(兵庫県明石市人丸町)
公式サイト:http://www.kakinomoto-jinja.or.jp/

■墨書は「奉納大乗妙典/正一位柿本大明神御宝前/播州明石人丸山別當/月照寺/行者丈」、日付は「明和六丑年六月?日」。中央に宝印はない。右上と左下の黒印は判読できない。

★仁和3年(887)明石の人丸山(明石城本丸あたり)にあった楊柳寺(後の月照寺)の僧・覚証が夢で人麻呂の霊が明石に留まることを感得し、人麻呂を祀る祠を建立したことを創祀とする。元和4年(1618)小笠原忠真が人丸山に明石城を築いた際、寺と祠を現在地に遷し、社殿を造営した。享保8年(1723)人麻呂一千年祭にあたって「正一位柿本大明神」の神階神号が宣下され、3月18日盛大に一千年祭が営まれた。

★別当の人麿山月照寺は、弘仁2年(811)弘法大師が人丸山に楊柳寺を建立したことに始まる。仁和3年(887)寺僧の覚証は大和の柿本寺が廃寺となっていたため、本尊の船乗十一面観音を勧請して観音堂を建立するとともに、人麻呂を祀る祠を建立し、寺号を月照寺と改めたという。天正3年(1575)曹洞宗に改宗した。

【左】播州清水寺
御嶽山 清水寺 ※通称:播州清水寺
御本尊:十一面千手観世音菩薩
宗派:天台宗(山門派)
所在地:播磨国加東郡下鴨川村(兵庫県加東市平木)
公式サイト:https://kiyomizudera.net/

■墨書は「奉納大乗妙典/西國廿五番/本尊十一面観世音大士/播州御嶽山/清水寺/行者丈」、日付は「明和六己丑年六月廿五日」。中央に宝印はない。左下の黒印は判読できない。

★西国三十三所の第25番札所。寺伝によれば、推古天皇35年(627)勅願により法道仙人が根本中堂を建立し、自ら一刀三礼して刻んだ十一面観音を安置、さらに神亀2年(725)聖武天皇の勅願により行基菩薩が大講堂を建立、御自作の千手観音の丈六像を安置したと伝えられる。

一乗寺/鶴林寺

一乗寺・鶴林寺の納経

【右】一乗寺
法華山 一乗寺
御本尊:聖観世音菩薩(※江戸から明治初期の資料は千手観音とする)
宗派:天台宗(山門派)
所在地:播磨国加西郡法華山(兵庫県加西市坂元町)

■墨書は「奉納經/本尊十一面観音宝前/播州法華山一乗寺/行者」、日付は「明和六年六月廿七日」。中央に宝印はない。右上の朱印は「廿六番靈場」、左下は「弌乘寺印」。

★西国三十三所の第26番札所。古くは法華寺あるいは法華山寺と称した。『播磨名所巡覧図絵』には「法華山一乗寺妙行院」とある。寺伝によれば、天竺より渡来した法道仙人はこの山に留まって常に法華経を誦し、修行をしていた。空の鉢を飛ばして供物を得ていたことから空鉢上人と呼ばれたという。孝徳天皇の病気平癒を祈願し効験があったため、白雉元年(650)勅願により寺を建立したと伝えられる。

※この納経では「本尊十一面観世音」となっているが、一乗寺の御本尊は秘仏の聖観世音菩薩である。そこで調べてみたところ、江戸時代から明治初期の資料では千手観音としているものが多い。例えば『播磨名所巡覧図絵』(文化元年)、『西国三十三所観音巡拝道中図会』(明治13年)、『西国三十三所観音霊場記図会』(明治19年)など。明治19年の『西国三十三所観世音詠歌因偈付妙音集』には「二臂千手観世音」、明治20年の『西国三十三所御詠歌仮名抄』には「聖観音」とあり、この頃から聖観世音菩薩とされるようになったようだ。元々秘仏で千手観世音菩薩と伝えられてきたが、聖観世音菩薩であることが確認されたのであろうか。しかし、いずれにしても十一面観音とする資料は確認できない。とはいえ、納経の対応をした寺の人間が間違えたとは考えられない。18世紀半ばには本尊を十一面観音とする伝承があったのだろうか。

【右】鶴林寺
刀田山 聖霊院 鶴林寺
御本尊:
宗派:天台宗(山門派)
所在地:播磨国加古郡刀田村(兵庫県加古川市加古川町北在家)
公式サイト:https://www.kakurinji.or.jp/

■墨書は「奉納経 一部/本尊薬師如来 御寶前/播州刀田山鶴林寺/役事/行者丈」、日付は「明和六年六月卅日」。中央に宝印はない。左下の黒印は判読できない。

★刀田の太子、西の法隆寺と呼ばれる。寺伝によれば、聖徳太子は物部守屋の迫害を逃れて播磨に逃れていた高句麗の僧・恵便法師の教えを受けるために当地を訪れた。後に秦河勝に命じて寺を建立、刀田山四天王寺聖霊院と名付けたという。養老2年(718)武蔵国の大目・身人部春則が七堂伽藍を建立。天永3年(1112)鳥羽天皇の勅願所となり、「鶴林寺」の勅額をいただいて寺号を改めた。

尾上神社/播磨国分寺

尾上神社・播磨国分寺の納経

【右】尾上神社
高砂尾上社/住吉大明神(尾上神社)
御祭神:底筒男命・中筒男命・表筒男命・息長足姉命
所在地:播磨国加古郡長田村(兵庫県加古川市尾上町長田)
公式サイト:http://www.eonet.ne.jp/~onoejinja/

■墨書は「奉納中臣祓/播州加古郡/高砂尾上社/住吉大明神/神主/行者丈」、日付は「明和六年丑七月朔日」。中央に宝印はない。左下の朱印は「東宗」か。

★社伝によれば、神功皇后が凱旋の砌、当地に上陸したが長雨で船を進めることができなかったため、鏡の池で斎戒沐浴して住吉大明神を鎮祭し、晴れを祈願したという。謡曲『高砂』に謡われた尾上の松で知られる。初代の松は豊臣秀吉の三木城攻めの際、毛利方の武将が真紀を取るために切り倒してしまったが、慶長9年(1604)池田輝政がその切り株の上に社殿を遷して修築した。三代目の松は天然記念物に指定されていたが昭和24年(1954)に枯死、現在の松は五代目である。

【左】播磨国分寺
牛堂山 国分寺 ※通称:播磨国分寺
御本尊:薬師如来
宗派:高野山真言宗
所在地:播磨国飾東郡国分寺村(兵庫県姫路市御国野町国分寺)

■墨書は「奉納経/播磨國分寺瑠璃閣/知事/行者丈」、日付は「明和六年七月二日」。中央に宝印はない。右上の朱印は「靈牛化現地」、左下は「國分密寺」。

★聖武天皇の勅願によって全国に建立された国分寺の一つ。戦国時代の戦乱で荒廃していたが、天正15年(1587)豊臣秀吉が国分寺村の337石を寄進した。慶長6年(1601)姫路城主・池田輝政の支援を受けて堂宇を再興。慶安元年(1648)徳川家光より朱印地30石を寄進された。山号の由縁ともなった霊牛伝承があるそうだ。

圓教寺

書写山円教寺の納経

【右】圓教寺
書写山 圓教寺
御本尊:如意輪観世音菩薩
宗派:天台宗(山門派)
所在地:播磨国飾西郡東坂本村(兵庫県姫路市書写)
公式サイト:http://www.shosha.or.jp/

■墨書は「奉納經/廿七番札所/書写山摩尼殿/行者」、日付は「明和六丑七月三日」。中央に朱印はない。上の朱印は「書寫山」、下は「圓教寺印」。

★西の比叡山と称される名刹で、西国三十三所の第27番札所。寺伝によれば康保3年(966)性空上人によって開創された。寛和2年(986)花山法皇が行幸。上人の奏請によって圓教寺の号を賜り、院の御願寺となった。長保4年(1002)法皇が再度行幸。書写山と性空上人の名はさらに高まり、多くの公卿や名僧が結縁のために来山した。その後も後白河法皇や後醍醐天皇が行幸するなど、朝野の信仰を集めた。

明和6年(1769)に浄円坊という六十六部廻国聖が、河内国から畿内・山陽を経て四国に入り、四国24番最御崎寺まで巡拝した納経帳。全国を巡...

明和6年(1769)六十六部の納経帳(1)河内・大和・山城
明和6年(1769)六十六部の納経帳(2)山城・近江
■明和6年(1769)六十六部の納経帳(3)山城・丹波・摂津・淡路・播磨
明和6年(1769)六十六部の納経帳(4)播磨・美作・備前・備中・讃岐
明和6年(1769)六十六部の納経帳(5)阿波・土佐


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