茶ノ木稲荷神社は、弘法大師が東国に下向した際に創建したと伝えられる。寛永年間(1624~44)市谷亀岡八幡宮が境内に遷座してきたため、当社は地主神・摂社とされた。古くから眼病平癒の霊験で信仰を集めている。
正式名称 | 市谷亀岡八幡宮摂社 茶ノ木稲荷神社〔ちゃのきいなりじんじゃ〕 |
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御祭神 | 稲荷大神 保食神 |
社格等 | - |
鎮座地 | 東京都新宿区市谷八幡町15 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.ichigayahachiman.or.jp/engi/chanoki.html |
御朱印
平成22年拝受の御朱印。中央の朱印は「茶ノ木稲荷神社」、左下は白抜きで「武蔵國稲荷山」。揮毫の「稲嶺山」は市谷八幡の旧別当・東圓寺の山号でもある。
御由緒
茶ノ木稲荷神社は市谷亀岡八幡宮の正面石段の左側に鎮座する。境内を囲むように連なっている赤い提灯がよく目立つ。因みに、正面の石段を男坂、茶ノ木稲荷の左の坂を女坂と呼ぶそうである。
社伝によれば、弘法大師が関東に下向した際に創祀したとされ、もともとこの地域の鎮守であった。この岡が稲荷山と呼ばれたのもその由緒によるという。後に亀岡八幡宮が稲荷山に遷座し、当社は地主神として、亀岡八幡宮の摂社となった。
当社は古来、眼病平癒の神徳で広く信仰を集めていた。伝承によれば、ある時、稲荷山の稲荷大神の神使である白狐が、誤って茶の木で目をついてしまった。そのため、崇敬者は茶を忌み、正月の三日間は茶を飲まない習慣があったという。
また、眼病の人は一七日(7日間)・三七日(21日間)・七七日(49日間)などの間、茶を断って祈願すれば霊験があらたかであったという。その神徳は広く伝わり、戦前までは麹町・牛込はもとより、日本橋の魚河岸や大伝馬町の問屋街にも講があったとのことである。
写真帖
メモ
摂社とはいえ、鉄筋コンクリート製の拝殿があり、小規模な神社並みの構えである。境内には茶筅塚などもある。
御朱印は市谷亀岡八幡宮の社務所にて拝受できる。
茶ノ木稲荷神社の概要
名称 | 茶ノ木稲荷神社 |
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御祭神 | 稲荷大神〔いなりおおかみ〕 保食神〔うけもちのかみ〕 |
鎮座地 | 東京都新宿区市谷八幡町15番地 |
創建年代 | 平安時代初期 |
社格等 | 旧郷社市谷八幡神社摂社 |
例祭 | 2月初午日(初午祭) |
神事・行事 | 5月11日/五月の中祭 9月11日/長月の中祭 10月10日(眼の日)に近い日曜日/慈眼正観眼病平癒祈願祭 12月23日/餅つき |
交通アクセス
□市ヶ谷駅(JR・有楽町線・都営新宿線)より徒歩3分
□市ヶ谷駅(南北線)より徒歩すぐ