和霊神社

和霊神社

和霊神社は、宇和島藩の家老で非業の死を遂げた山家清兵衛公頼を祀る。清兵衛暗殺に関わった人々が落雷や海難事故で亡くなったことから清兵衛の祟りとされ、さらに清兵衛の潔白が判明したことから、寛永8年(1631)森安の八面大荒神境内に清兵衛を祀る児玉明神が設けられた。さらに承応2年(1653)檜皮の杜に社殿を造営、山頼和霊社と称した。享保13年(1728)和霊大明神の号を授かり、同20年(1735)現社地に遷座した。

正式名称 和霊神社〔われいじんじゃ〕
御祭神 山家清兵衛公頼命
社格等 旧県社 別表神社
鎮座地 愛媛県宇和島市和霊町1451 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 宇和島(JR)
バス停:和霊神社前
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御朱印

  • 和霊神社の御朱印

    (1)

(1)平成20年拝受の御朱印。揮毫は「山頼社」「和霊神社」。中央の朱印は「和霊神社」。右上の印は「愛媛縣宇和島鎮座」、左下は「和霊神社社務所印」。

昔の御朱印

  • 和霊神社の御朱印

    (1)

(1)昭和11年頃の御朱印。上の朱印は「和霊神社」、下は「和霊神社社務所之印」。

御由緒

和霊神社は、宇和島藩伊達氏の家老・山家清兵衛公頼を祀る。須賀川下流、鎌江城跡の山麓に鎮座する。

清兵衛は伊達政宗の家臣で、厚い信頼を受けていた。そのため、政宗の庶長子である伊達秀宗が別家を立てて宇和島藩の初代藩主となった際、筆頭家老として付けられた。清兵衛は藩政の確立のために尽力し、また租税の軽減や産業の振興などに努めた。

しかし、藩の運営を巡って桜田玄蕃元親らと対立するようになった。藩主・秀宗は政宗の信頼厚い清兵衛を疎んじたために桜田玄蕃を重用し、清兵衛は失脚してしまう。

さらに元和6年(1620)、山家邸が襲撃され、清兵衛と3人の子息が惨殺された。秀宗の意を受けた桜田玄蕃一派の仕業とされる。この時、山家邸に駆けつけようとした隣家に住む娘婿・塩谷内匠と2人の子どもも斬殺された(和霊騒動)。

清兵衛は42才、次男の治部19才、三男の円治14才。四男の美濃はまだ9才で、井戸に投げ込まれ、誰も助けることができないまま亡くなったという。また、塩谷内匠の行年は不詳だが、その長男・帯刀は19才、勘太郎は14才であった。

その後、桜田玄蕃をはじめとする清兵衛暗殺に関わった人々が落雷や海難事故で次々死亡、人々は山家公の祟りと噂した。さらに清兵衛の無実が判明した。

寛永8年(1631)秀宗は清兵衛の霊を慰めるため、城北・森安の八面大荒神の境内に一祠を設け、「児玉〔みこたま〕明神」と称した。清兵衛の3人の子息と塩谷内匠父子も相殿に祀られた。

承応2年(1653)2代藩主・宗利は檜皮の森に社殿を造営し、京都の吉田家に神社創建の議を願い出た。6月23日、吉田家より奉幣使として平野社預神権少副従五位下・猪熊兼古と平野佐兵衛が遣わされ、山頼和霊神社の社号が宣下された。翌6月24日、盛大に遷宮式が行われ、以後、この日が例祭と定められた(明治42年、新暦の7月22~24日に改められた)。

明暦2年(1656)向山に移された後、寛文7年(1667)森安の地に遷座。元禄13年(1700)に明神号、さらに享保13年(1728)和霊大明神の号が授けられた。

享保16年(1731)現社地に社殿の造営を始めるが、翌17年(1732)の大飢饉(享保の大飢饉)のため一時中断した。享保19年(1734)普請を再開、翌20年(1735)遷宮式が執り行われた。

江戸時代から明治にかけて四国・中国・九州に和霊信仰が広まり、境内社・邸内社を含めて約130社以上の和霊社が勧請されたという。

明治6年(1873)郷社に列格、大正8年(1919)県社に昇格。

昭和20年(1945)米軍による空襲のため、山本神社と神馬社を除き社殿等全焼したが、昭和25年(1950)拝殿、翌26年(1951)本殿を再建。昭和28年(1953)には神社本庁の別表神社に加列した。

7月の例祭は「和霊大祭」として名高く、勇壮な3基の神輿の海上渡御と走り込みのほか、多数の牛鬼のパレードや花火大会などさまざまな行事が行われる。

写真帖

  • 一の鳥居

    一の鳥居

  • 大鳥居

    大鳥居(二の鳥居)

  • 神門

    神門

  • 社号額

    神門の社号額「山頼社」

  • 参籠所

    参籠所

  • 神馬社

    神馬社

  • 御井神社

    御井神社

  • 山本神社

    山本神社

  • 三島神社

    三島神社

  • 竈神社

    竈神社

  • 注連柱

    注連柱

  • 若宮神社

    若宮神社

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

見どころ

■大鳥居
昭和13年建立。石造りの鳥居としては日本最大とされる。

■神門
内部に日本一という鼻高と於多福の面が掲げられている。

メモ

広い境内と大きな社殿が信仰の厚さを感じさせる。大名の家臣を祀る神社で、これほどの規模のものは他にないのではないだろうか。
和霊信仰は宇和島藩内のみならず中四国に広がっている。坂本龍馬の先祖である坂本益助も和霊神社を勧請しており、龍馬は脱藩の際、その和霊神社に詣でて水杯を交わしたと伝えられる。
初めての参拝は小学生の頃。父が同僚と宇和島に行くのに着いていった。大人が近くの多賀神社を見学する間、子どもは見ることができないということで、妹と2人、和霊神社で待っていた。子どもは見ることができない多賀神社という印象が強くて、和霊神社自体の印象はさほど残っていないが、鳥居が大きいということは覚えていた。
それからン十年にして2度目の参拝。あの時、父を待っていたのは神社の境内ではなく、手前の和霊公園だったようである。もちろん当時から気になっていた多賀神社にも参拝・見学した。

竈神社(八面大荒神)

境内社の竈神社は、児玉明神の祠が設けられたという八面大荒神だと思われる。御祭神は奥津彦命・奥津姫命。
その昔、八幡の里藤江の浦は須賀川の右岸に4、5軒の家があるだけだったが、毎年洪水のため家屋が流失していた。水害を避けるため鎌江城跡の麓に屋敷を拓き、井戸を掘っていると、金色燦爛たる御神体が現れた。そこで、当地に祠を建て、八面大荒神として奉斎したという。

和霊神社の概要

名称 和霊神社
旧称 和霊大明神 山頼和霊神社 児玉明神
御祭神 山家清兵衛公頼命〔やんべ せいべえ きんよりのみこと〕
〈相殿〉
山家治部命〔やんべ じぶのみこと〕
山家丹治命〔やんべ たんじのみこと〕
山家美濃命〔やんべ みののみこと〕
塩谷内匠命〔しおのや たくみのみこと〕
塩谷帯刀命〔しおのや たてわきのみこと〕
塩谷勘太郎命〔しおのや かんたろうのみこと〕
鎮座地 愛媛県宇和島市和霊町1451番地
創建年代 寛永8年(1631)/承応2年(1653)
社格等 旧県社 別表神社
例祭 7月23日・24日(和霊大祭)
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月17日/祈年祭
4月24日/春季大祭
6月30日/大祓
7月12日/夏越祭
10月23日/三島神社祭
11月初卯日/竈神社祭
11月23日/新嘗祭
12月31日/大祓

交通アクセス

□JR予讃線「宇和島駅」より徒歩8分


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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