小菅神社は、明治2年(1869)小菅県が設置されたとき、庁内に伊勢神宮の御分霊を勧請したことを創祀とする。小菅県が廃止されると、小菅村の鎮守・田中稲荷の境内に遷され、太神宮(小菅太神宮)と称した。明治7年(1874)村社に列し、明治42年(1909)社号を小菅神社と改めた。
正式名称 | 小菅神社〔こすげじんじゃ〕 |
---|---|
御祭神 | 天照皇大神 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都葛飾区小菅3-1-2 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 綾瀬(東京メトロ千代田線) 小菅(東武スカイツリーライン) 堀切菖蒲園(京成本線) |
御朱印
(1)平成24年拝受の御朱印。朱印は「小菅神社」。
※御朱印は本務社の堀切天祖神社でいただいたが、平成24年時点では、小菅神社でも書き置きのものをいただけた。
※平成29年6月20日追記:平成29年6月時点では、御朱印は小菅神社で授与、堀切天祖神社では書き置きの御朱印を授与という形に変わっていた。
御由緒
小菅神社は、明治2年(1869)小菅県が設置されたとき、河瀬秀治知県事が神夢により伊勢神宮より御分霊を勧請し、県下356ヶ町村の守護神として庁内に祀ったことを起源とする。
小菅県は、武蔵国内の旧幕府領・旗本領を管轄するために設置された県で、管轄区域は足立・豊島・葛飾の3郡(現在の足立区・葛飾区・江戸川区、荒川区のごく一部、千葉県東葛地域)であった。
明治3年(1870)社殿を造営。当時は小菅県社と称していたようである。
明治4年(1871)11月に小菅県が廃止された後、小菅村の鎮守であった田中稲荷神社の境内に遷座。太神宮(小菅太神宮)と改めて小菅村の鎮守とし、田中稲荷は摂社とされた。ただし、明治12年(1879)の神社明細帳では「鎮座ノ義ハ明治七年三月ナリ」とあるので、当初は仮遷座のような形で、明治7年(1874)正式に鎮座したということかもしれない。
明治7年(1874)4月、村社に列する。明治42年(1909)小菅神社と改称した。
昭和30年(1955)拝殿、昭和44年(1969)本殿を改築。昭和54年(1979)現在の社殿が造営された。
当社が勧請された小菅県庁があったのは、寛政年間(1624~44)関東郡代・伊奈氏に下屋敷として与えられたところである。8代将軍・吉宗の時に鷹狩りの際の休憩所が設けられ、小菅御殿と呼ばれた。伊奈氏が所領没収となった後は幕府に召し上げられ、江戸町会所の籾米貯蔵所、代官所、さらに万延元年(1860)幕府の亀戸銭座の別座が設けられた。小菅県が廃止された後には国内初の煉瓦工場が開かれた。明治11年(1878)小菅監獄が設置され、現在は東京拘置所となっている。
田中稲荷神社
田中稲荷神社は小菅神社の摂社、地主神である。『新編武蔵風土記稿』には「稲荷社二。一は村の鎮守、田中稲荷と号す」と記されている。別当は真言宗の常照山正覚寺であった。
御祭神は宇迦御魂命で、慶長年間(1596~1615)小菅村の開拓に当たり、鎮守として祀られたと伝えられる。
田中稲荷の名の由来は不詳だが、一説には文禄4年(1595)堀切村の領主・大胡宮内少輔勝行の家臣の田中某が、小菅村の鎮守として勧請したことによるという。
写真帖
メモ
綾瀬川のほとりに鎮座する。境内のすぐ西側に首都高速道路の小菅ジャンクションがあるため、ちょっと圧迫感を感じる。東は小菅東スポーツ公園になっている。
境内西側の鳥居をくぐると、正面に田中稲荷の社殿がある。本社社殿は左側に南面する形で建っている。それほど大きいわけではないが、風格のある木造の神明造である。
御朱印は本務社の堀切天祖神社で拝受したが、平成24年の参拝時点では現地でも宮守の方から書き置きのものをいただくことができた。
小菅神社の概要
名称 | 小菅神社 |
---|---|
旧称 | 小菅県社 太神宮(小菅太神宮) |
御祭神 | 天照皇大神〔あまてらすおおみかみ〕 |
鎮座地 | 東京都葛飾区小菅三丁目1番2号 |
創建年代 | 明治2年(1869) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月第1日曜日 |
神事・行事 | 1月3日/元旦祭 2月3日/節分祭 2月上午の日/初午祭 4月15日/祈年祭 6月28日/大祓式 11月25日/新穀感謝祭 12月28日/師走大祓式 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□東京メトロ千代田線「綾瀬駅」より徒歩約12分
□東武スカイツリーライン「小菅駅」より徒歩約13分
□京成本線「堀切菖蒲園駅」より徒歩約14分