三鷹八幡大神社 | 東京都三鷹市

三鷹八幡大神社

八幡大神社は、下連雀村の鎮守。通称・三鷹八幡大神社、下連雀八幡大神社。明暦3年(1657)の大火の後、神田連雀町の住民が火除地として収公された土地の替え地として当地を与えられ、新田を開発したのが下連雀村の始まりである。寛文4年(1664)名主の松井治兵衛らが氏神社の奉斎を願い出、八幡社(八幡大神社)が創建された。

正式名称 八幡大神社〔はちまんだいじんじゃ〕
御祭神 応神天皇
社格等 旧村社
鎮座地 東京都三鷹市下連雀4-18-23 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 三鷹(JR中央線)
バス停:八幡前
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目次

御由緒

八幡大神社は、下連雀村の鎮守。別当は隣接する黄檗宗の霊泉山禅林寺であった。

明暦3年(1657)の振袖大火の後、幕府は防火のため各所に火除地を設けた。神田連雀町も火除地とされ、住民は替え地として与えられた御札茅場千町野で新田を開発することとなった。万治元年(1658)名主の松井治兵衛ら25軒が入植し、連雀町に因んで連雀新田と名付けた。これが下連雀村の起こりである。

寛文4年(1664)治兵衛は村の年寄・組頭らと連署で神社と寺の創建について幕府に誓願した。これに対して老中・松平伊豆守と寺社奉行・石谷将監は代官・野村彦太夫に検地を命じ、社地1万坪と寺地2万坪を除地として寺社の建立を許可した。そこで、八幡社を創建するとともに、築地本願寺より松之坊を迎えた。

元禄12年(1699)台風で松之坊の建物が倒壊、無住となってしまった。そこで本所石原にいた黄檗宗の賢洲元養禅師に依頼、梅嶺道雪を招請開山として禅林寺を開創、賢洲禅師が第一世として入寺した。塔頭には松仙院と円通庵があり、松仙院が八幡社を管理した。

明治の神仏分離によって八幡大神社は独立し、明治6年(1873)村社に列された。現在の社殿は昭和35年(1960)の造営である。

例祭に渡御する2基の神輿のうち、二之宮神輿の屋根の鳳凰の目は3カラットのダイヤモンドで、1994年版のギネスブックに日本一のダイヤモンドとして掲載されたという。

御朱印

  • 三鷹八幡大神社の御朱印

    (1)

(1)平成20年拝受、書き置きの御朱印。中央は「奉拝 八幡大神社」、両脇は右上から「日 天照大神」「月 月読尊」「火 火生霊神」「水 波能知(売?)神」、左上から「木 木々能売(知?)神」「金 金山彦神」「土 土産大神」。朱印は「八幡大神社印」。

写真帖

  • 一の鳥居

    一の鳥居

  • 日露戦役記念碑

    日露戦役記念碑

  • 二の鳥居

    二の鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 御神木

    御神木 スダジイ

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

三鷹駅の南1km余り、三鷹通りと連雀通りの交差点に面して鎮座する。杵築大社の兼務社ではあるが、境内も整備されており、なかなか立派な構えである。
御朱印は、授与所で書き置きのものをいただくことができる(※平成20年時点の情報。平成29年の時点では、毎月1日と15日に直接朱印帳に書いていただけるという情報がある)。
なお、下連雀に隣接する上連雀は、連雀新田が上下に分かれたものではなく、連雀新田の西に連雀前新田が開かれ、後に京都に近い連雀前新田を上連雀(このあたりでは京都寄りが上になる)、連雀新田が下連雀と呼ばれるようになったらしい。

通称について、このページを作成した平成20年の時点では「三鷹八幡大神社」がよく使われており、当サイトでもそれを採用した。ところが、ページをリニューアルした平成29年時点ではあまり使わなくなっているようで、地名を冠さない「八幡大神社」を使っている例が多い。祭礼のポスターなどでは「下連雀八幡大神社」が使われているようだ。

八幡大神社の概要

名称 八幡大神社
通称 下連雀八幡大神社 三鷹八幡大神社
旧称 八幡社
御祭神 応神天皇〔おうじんてんのう〕
鎮座地 東京都三鷹市下連雀四丁目18番23号
創建年代 寛文4年(1664)
社格等 旧村社
例祭 9月第2土・日曜日
神事・行事 1月1日/元旦祭
2月15日/祈年祭
11月23日/新嘗祭
※『平成「祭」データ』による

交通アクセス

□JR中央線「三鷹駅」より徒歩約15分、またはバス
■小田急バス榊原記念病院・車返団地・深大寺行き「八幡前」下車すぐ

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