白鬚神社は旧寺島村の鎮守。社伝によれば、天暦5年(951)慈恵大師良源が神託を受け、近江国比良山麓の白鬚大明神(滋賀県高島市の白鬚神社)の御分霊を勧請したという。文政年間、江戸の文人らが隅田川七福神詣でを考案した時、付近の寺社に寿老人だけが見当たらなかった。そこで鎮守の当社に目をつけ、白髭明神であれば白い髭の老翁であろうから寿老人にふさわしいとし、無事に七福神が揃った。そのため隅田川七福神では「寿老神」と書く。
正式名称 | 白鬚神社〔しらひげじんじゃ〕 |
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御祭神 | 猿田彦大神 〈相殿〉天照大御神 高皇産霊神 神皇産霊神 大宮能売神 登由気神 〈合祀〉建御名方神 |
社格等 | 旧郷社 |
鎮座地 | 東京都墨田区東向島3-5-2 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | https://shirahigejinja951.wixsite.com/shirahigejinja |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「白鬚神社」。右上に「隅田川七福の一」、左下は鹿に「白鬚神社」、鹿は寿老神のシンボルなので、どちらも隅田川七福神の寿老人であることに因むものである。
(2)隅田川七福神、寿老神の御朱印。平成19年拝受。
昔の御朱印
昭和11年の御朱印。中央の印は「白鬚神社」。右上は白抜きの「白鬚社」で、上の隅田川七福神の御朱印に使われているものとほぼ同じ(外枠がない)。左下は「白鬚社務所印」。
御由緒
白鬚神社は寺島村の鎮守で、旧別当は寺島大師として知られる真言宗の清瀧山蓮花寺。
社伝によれば、天暦5年(951)慈恵大師良源(元三大師)が関東に下向した折、神託を受けて近江国比良山麓に鎮座する白鬚大明神(滋賀県高島市鵜川の白鬚神社)の御分霊を勧請したことにはじまる。天正19年(1591)徳川氏より社領2石を寄進された。
文政の頃、江戸の文人墨客らが向島近辺の神社仏閣で七福神を揃え、新春の楽しみとすることにしたが、寿老人だけが見つからなかった。そこで寺島村の鎮守・白鬚明神に目をつけ、白鬚というからには白い髭の老翁であろうから寿老人に相応しいとして目出度く七福神が揃った。そのため、隅田川七福神では「寿老人」ではなく「寿老神」と書く。また、明治になって建立された七福神碑には「白鬚大神」と揮毫されている。
明治40年(1907)諏訪神社を合祀した。昭和12年(1937)郷社に昇格。
旧社殿は関東大震災や第二次大戦の戦災を免れた貴重な江戸時代の建造であったが、平成2年(1990)過激派の放火により焼失。同4年(1992)現在の社殿が再建された。
写真帖
メモ
白鬚橋東詰の交差点から少し南、墨堤通り沿いに鎮座する。かつて向島はのどかな江戸近郊の行楽地であった。当社も向島八景、隅田川二十四景の一に数えられたという。今は住宅地に囲まれた街中の神社となっているが、境内の石碑群に文人墨客らが好んで訪れたという往時の面影を偲ぶことができる。
白鬚神社の概要
名称 | 白鬚神社 |
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旧称 | 白鬚大明神 |
御祭神 | 猿田彦大神〔さるたひこのおおかみ〕 〈相殿〉 天照大御神〔あまてらすおおみかみ〕 高皇産霊神〔たかみむすびのかみ〕 神皇産霊神〔かみむすびのかみ〕 大宮能売神〔おおみやのめのかみ〕 登由気神〔とゆけのかみ〕 〈合祀〉 建御名方神〔たけみなかたのかみ〕 |
鎮座地 | 東京都墨田区東向島三丁目5番2号 |
創建年代 | 天暦5年(951) |
社格等 | 旧郷社 |
例祭 | 6月第1土・日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月1日~7日/隅田川七福神詣 1月3日/元始祭 2月3日/節分祭 3月1日/祈年祭 5月5日/ぼんでん祭 6月30日/大祓 10月17日/神嘗祭 11月3日/明治祭 11月23日/新嘗祭 12月1日/神札頒布祭 12月31日/大祓・焼納祭 |
巡拝 | 隅田川七福神(寿老神) |
交通アクセス
□東武伊勢崎線「東向島駅」より徒歩約10分