太子堂八幡神社は、太子堂村の鎮守。旧別当・円泉寺の縁起によれば、文禄年間(1592~96)の創祀という。しかし、奥州に下向する源頼義・義家父子が当地で八幡神社に戦勝を祈願したという伝承があり、文禄以前に遡るという説もある。昭和12年(1937)現在の社殿が造営された。
正式名称 | 八幡神社〔はちまんじんじゃ〕 |
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通称 | 太子堂八幡神社〔はちまんじんじゃ〕 |
御祭神 | 応神天皇 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都世田谷区太子堂5-23-4 [Mapion|googlemap] |
御朱印
(1)平成17年拝受。御朱印はないけれども文字だけでよければと書いてくださったものだが、中央に「八幡神社」の小さな印、右上にはカラフルな蝶と雲の印を押してくださった。
(2)平成23年拝受の御朱印。朱印は「八幡神社」。
(3)平成28年拝受の御朱印。「八幡神社」の朱印の上に三つ巴の神紋と鳩文字の「八」、脇に雲のスタンプ。
御由緒
太子堂八幡神社は、太子堂村の鎮守。旧別当は太子堂の名の由来となった真言宗の聖王山円泉寺であった。
創建年代について、円泉寺の縁起には賢恵僧都によって中興された文禄年間(1592~96)の創祀とある。しかし、源頼義・義家父子が奥州の安倍氏征討に向かった折、この地で八幡神社に戦勝を祈願したという伝承もある。
円泉寺の前身である円泉坊の草創は遅くとも南北朝末期にさかのぼるとの推測もあり、八幡神社もその頃に勧請されたのではないかという説もある。いずれにせよ、文禄以前に石清水八幡宮から御分霊を勧請し、村の鎮守として祀ったものであろうという。
現在の社殿は昭和12年(1937)の造営され、戦災に遭うこともなく現在に至っている。
江戸時代、太子堂村は天領・大名領・旗本領などが入り組んでいたため、八幡神社の祭礼をもって心を一つにしたということである。
写真帖
メモ
東急世田谷線・西太子堂駅から北へ300mほど歩いた住宅地の中に鎮座する。境内は小高い丘のようになっており、昭和12年(1937)建造という社殿と鎮守の森が昔ながらの神社の風情を保っている。
『平成「祭」データ』には、境内社として弁天社と稲荷社が挙げられているが、その他に塩竃大神と出羽三山大神を祀った祠がある。
平成17年に初めて参拝した時は御朱印がないとのことであったが、宮司さんがせっかく来たのだからということで、揮毫をしてくださった。朱印のない神社での墨書のみの対応は初めてだったが、蝶々のスタンプに気遣いが表れていて、非常に嬉しい体験だった。
その後、御朱印ができたようで、あちこちのサイトやブログに掲載されていたことから、平成23年の参拝時に再度拝受。さらに、さらに御朱印が変わったという情報があったため、平成28年に三度目の御朱印をいただいた。
太子堂八幡神社の概要
名称 | 八幡神社 |
---|---|
通称 | 太子堂八幡神社 |
御祭神 | 応神天皇〔おうじんてんのう〕 |
鎮座地 | 東京都世田谷区太子堂五丁目23番4号 |
創建年代 | 文禄年間(1592~96)以前? |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 10月第2日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月節分/節分祭 旧2月上午の日/初午祭 5月5日/弁天社例祭 6月30日/夏越大祓式 12月30日/年越大祓式 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□西太子堂駅(東急世田谷線)より徒歩4分
□三軒茶屋駅(東急田園都市線)より徒歩10分