寛政7年(1795)浄土真宗の順拝帳(3)

寛政7年真宗順拝帳表紙

寛政7年(1795)浄土真宗の順拝帳。寛政2年(1790)の順拝帳とともに真宗の順拝帳としてはごく初期のものと考えられ、参拝記念の刷り物から順拝帳の御判へと移行していく過程がよくわかる貴重な資料である。

真宗寺院を中心とする51ヶ所の御判・納経が収められているが、ここでは終盤の15ヶ所を紹介する。15ヶ所のうち3ヶ所分は順拝帳に挟まれていた刷り物である。そのうち2ヶ所は見開きサイズで、貼り付けることができなかったと思われる。

順拝帳の概要については寛政7年(1795)浄土真宗の順拝帳(1)寛政年間 浄土真宗の順拝帳を参照。

目次

月津興宗寺/小松本覚寺

但馬興宗寺/小松本覚寺の御判

【右】月津興宗寺
牛鼻山 但馬興宗寺(牛鼻山 興宗寺) ※通称/月津興宗寺・加州興宗寺
宗派:真宗大谷派(東派)
所在地:加賀国江沼郡月津村(石川県小松市月津町)

■刷り物を貼り付けている。版木押しで「加州江沼郡月津/牛鼻山 但馬興宗寺/祖師聖人御直弟行如法師開基也/霊宝如別記/役者 正念寺」、日付は「七月朔日」。黒印が二つ押されているが、判読できない。
※「霊宝如別記」とあるので、これとは別に霊宝を記した刷り物があったのだろう。

★福井市の興宗寺(浄土真宗本願寺派)と寺基を同じくする。福井の興宗寺を福井興宗寺、当寺を月津興宗寺と呼ぶこともある。

★開基は行如で、『慕帰絵』第10巻に本願寺3世・覚如上人の教えを受けた者として、その名が見える。寺伝によれば、俗名を北条時村といい、源実朝の一周忌に出家し、名を行念と改めて諸国を行脚、常陸で親鸞聖人の弟子となり、正応5年(1292)覚如より行如の名と興宗寺の号を賜って、越前国長畝郷但馬(坂井市坂井町田島)に寺坊を建立したという(『石川県江沼郡誌』)。『二十四輩順拝図絵』によれば、北条時政の玄孫・北条宗之で、京都在番の時に親鸞聖人の弟子となり、名を行円と改めた。聖人滅後、越前に下っていたが、覚如より行如の名を与えられたという。『三河念仏相承日記』によれば、高田の顕智の教えを受けた円善の弟子。応長元年(1311)覚如が大町道場(後の大町専修寺)に滞在したとき、その教えを受けて本願寺に帰属した。

★5代円慶は越前に下向した蓮如上人を支え、吉崎御坊の建立や教化活動に尽力した。その項を認められて「牛鼻山」の山号を賜った。文明7年(1475)蓮如の吉崎退去とともに河内国出口に移るが、翌文明8年(1476)越前但馬に戻り、文明9年(1477)加賀国江沼郡月津に隠居、興宗寺の掛所とした。本願寺の東西分立に際し、福井城下に移転していた越前但馬の興宗寺は西本願寺に、加賀月津の掛所は東本願寺に帰属した。

★当番の正念寺は加賀市小塩辻町の正念寺であろう。

【左】小松本覚寺
足羽山 本覚寺 ※通称/小松本覚寺
宗派:真宗大谷派(東派)
所在地:加賀国能美郡小松城下(石川県小松市寺町)
公式サイト:http://hongakuji.moo.jp/

■墨書は「加州小松足羽山/和田本覚寺/當番 役者」、日付は「七月朔日」。左下の朱印は判読できない。

★『二十四輩順拝図絵』には「鳳凰山本覚寺」とある。福井市の和田本覚寺(浄土真宗本願寺派)と寺基を同じくする。『石川県能美郡誌』の記す寺伝によれば、波多野出雲守義重の嫡男・義性が道元禅師に帰依して名を道義と改め、越前国足羽郡和田郷西方寺に一宇を建立して足羽山本覚寺と称した。正元元年(1259)越後に下向する親鸞聖人の教えを受け、弟子となって名を親性と改めたという。永正3年(1506)越前の一向一揆が朝倉氏に破れた後、寺基を加賀に移す。永禄11年(1568)朝倉氏と一向一揆の和睦により、本覚寺の本坊は越前に戻が、加賀にも通寺(掛所)が残った。第11代顕正が早世して無住となったため、本願寺11世顕如上人は三男の阿茶丸(准如)を住職とし、荒川興行寺の門徒を併せて本行寺と号した。しかし文禄3年(1594)阿茶丸が本願寺に戻ると、教如上人は前田又十郎を得度させて住職とし(教賢)、寺号を本覚寺に復した。本願寺の東西分立に際し、越前の本坊は西本願寺に属したが、加賀の通寺は教如の東本願寺を支持して分立。慶長9年(1604)現在地に移転した。

本蓮寺/西照寺

本蓮寺・西照寺の御判

【右】本蓮寺
津波倉山 本蓮寺(燕山 本蓮寺)
宗派:真宗大谷派(東派)
所在地:加賀国能美郡小松城下(石川県小松市細工町)
公式サイト:http://www.honrenji.net/

■墨書は「加州小松 燕山 本蓮寺/當院開基頓圓鸞藝僧都/本願寺綽如上人御子之由緒如御系圖/并鸞古裏等宝物雖多令略之畢/當番」。日付は「卯七月朔日」。左下の黒印は「燕山」。

★開基は本願寺5世綽如上人の第二子・頓円鸞芸で、越前藤島(福井市藤島町)に超勝寺を創建した後、加賀国江沼郡戸津村(小松市戸津町)に移り、文安元年(1444)能美郡津波倉(小松市津波倉町)に本蓮寺を建立したという。永禄9年(1566)浜田(小松市浜田町)に移転。さらに万治年間(1658~61)前田利常から寺地を寄進されて現在地に移り、加賀藩より真宗東方(東本願寺)の触頭とされた。

【左】西照寺
弓波山 西照寺
宗派:真宗大谷派(東派)
所在地:加賀国能美郡小松城下(石川県小松市大川町)

■墨書は「加賀國小松/蓮如上人御跡/蓮如上人七拾■■御真■御詠歌御掛物/同上人御珠数并御遺骨/祖師蓮師一軸連■之御影等/其外霊寶数多畧之/弓波山西照寺」、日付は「卯七月朔日」。左下の朱印は「小松西照」。

★開基の教明は蓮如上人の直弟子で、山城国山科の人。大永年間(1521~28)蓮如上人巡錫の地を求め、上人七十三歳の寿像や御詠歌の掛け軸などを携え、吉崎の地に数年間滞在した。その後、加賀国江沼郡弓波村(加賀市弓波町)に草庵を結び、本願寺9世実如より本尊・六字名号などを賜った。天文年間(1532~55)能美郡本折八日市(小松市八日市町)に移るが、この時本願寺10世証如より賜った阿弥陀如来画像の裏書きに初めて西照寺の名が見える。正保2年(1645)現在地に移転した。

松任本誓寺/照台寺

松任本誓寺・照台寺の御判

【右】松任本誓寺
坂本山 本誓寺 ※通称/松任本誓寺
宗派:真宗大谷派(東派)
所在地:加賀国石川郡松任町(石川県白山市東一番町)

■墨書は「加州枩任/坂本山本誓寺/祖師聖人御旧跡/霊宝如諸傳記/當番 役者」、日付は「卯七月二日」。左下の黒印は「本誓寺役僧」。

★松任四ヶ寺の一で、東本願寺の院家であった。元は歓喜山無量院無量寿寺と号する天台宗の寺で、養老2年(718)泰澄上人が白山に登った折に開かれたとも、正暦2年(991)円誓坊の開基ともいう。寺伝によれば、天台宗であった頃は若宮八幡宮及び松任金剣宮の神宮寺であったという。承元元年(1207)住職の円政が越後に下向する親鸞に帰依し、坂本山本誓寺と改称した。重要文化財の『大般若経』など多くの寺宝を有する。

寛政2年(1790)の順拝帳にも御判がある。

【左】照台寺
光聖山 照台寺
宗派:真宗大谷派(東派)
所在地:加賀国石川郡野々市村(石川県野々市市本町)

■墨書は「加州野々市/祖師聖人御跡/光聖山照臺寺/役者」、日付は「卯七月二日」。右上の朱印は判読できない。左下は「知事」。

★寺伝によれば、元は天台宗の寺であったという。改宗の開基である念和は越後に向かう親鸞聖人を倉部川のあたりで迎え、専修念仏の要義を聞いて帰依した。2世尚和のとき、寺号を賜ったという。中興開基の尭助は本願寺5世綽如の玄孫、7世存如の孫(『石川県石川郡誌)』。境内に親鸞聖人お手植えという藤がある。

光専寺/常徳寺

光専寺・常徳寺の御判

【右】光専寺
普潤山 光専寺
宗派:真宗大谷派(東派)
所在地:加賀国石川郡金沢城下(石川県金沢市野町)

■墨書は「加州金澤野町/祖師聖人御遺骨/蓮如上人御真筆品/顯如上人拝領長刀/普潤山光専寺/役僧」、日付は「卯七月七日」。左下の黒印は判読できない。

★寺伝によれば、文明年間(1469~87)僧・慶縁が蓮如上人に従って布教していたとき、石川郡末村(金沢市末町)に建立したという。天正年間(1573~92)祐照の代に金沢へ移転したが、その後も末の光専寺と呼ばれた。万治4年(1661)野町の現在地に移転。『二十四輩巡礼・親鸞聖蹟』(大正12年)には、親鸞聖人の御遺骨・蓮如上人御形見の名号・石山合戦での戦功に対して顕如上人から拝領した長刀などがあり、金沢でまず最初に参詣したい寺として挙げられている。

【左】常徳寺
鵜川山 常徳寺
宗派:真宗大谷派(東派)
所在地:加賀国石川郡金沢城下(石川県金沢市寺町)

■墨書は「加州金澤常徳寺/當院開基頓圓鸞藝僧都/本願寺綽如上人由書(緒?)如/御系圖并鸞古裏等宝物/雖多略之/當番 実言寺」、小松の本蓮寺とよく似た内容になっている。日付は日付は「卯七月二日」。左下の朱印は判読できない。

★開基は本願寺5世綽如上人の第二子で、藤島超勝寺や小松の本蓮寺を開いた頓円鸞藝。文安元年(1444)能美郡山上郷西山(能美市辰口町)に一宇を開創し、浄徳寺と号した。3世頓祐の時、聖徳太子の夢告により能美郡鵜川村(小松市鵜川町)に移転、さらに元和年間(1615~24)金沢城下に移った。東本願寺15世常如より一字を賜り、常徳寺と改めた。

弘願寺/俱利伽羅不動寺

弘願寺の御判・俱利迦羅不動寺の納経

【右】弘願寺
鳥越山 弘願寺
宗派:浄土真宗東本願寺派(東派)
所在地:加賀国河北郡加賀爪村(石川県河北郡津幡町加賀爪)

■墨書は「當院開基者本願寺御代三世覚如上人之/御舎弟 玄頓僧都也/加州鳥越山弘願寺御堂/宝物畧之/當役  徳願寺」、日付は「寛政七年七月三日」。右上の朱印は「加津弘(加賀津幡弘願寺ということか)」、左下は「勝」。

★寺伝によれば、観応元年(1350)本願寺3世覚如の弟子・玄頓によって建立された。元は河北郡鳥越村(津幡町鳥越)にあった。長享2年(1488)の一向一揆では四ヶ寺の大坊主の一として中心的な役割を果たしたという。天正8年(1580)織田信長勢の佐久間盛政によって寺を焼き払われてしまったため、能登国羽咋郡堀松村(羽咋郡志賀町堀松)に逃れた。その後、金沢を経て慶長14年(1609)現在地に移転したという。

【左】俱利迦羅不動寺
俱利迦羅山 不動院 長楽寺(俱利迦羅山 不動寺) ※通称/俱利伽羅不動寺
宗派:高野山真言宗(江戸時代は仁和寺の末寺)
所在地:加賀国河北郡俱利伽羅村(石川県河北郡津幡町俱利伽羅)
公式サイト:https://www.kurikara.or.jp/

■墨書は「奉納経/加州 俱利迦羅明王/俱利迦羅山 長楽寺/行者丈」、日付は「寛政七何月何日」。中央の朱印は「佛法僧寶」の三宝印、左下は判読できない。

★寺伝によれば、養老2年(718)元正天皇の勅願により、中国より渡来した善無畏三蔵が俱利迦羅不動明王の尊像を奉安したことに始まる。弘仁2年(812)弘法大師が本尊と同体の不動尊像を彫り、お前立ちとして奉安、別当として長楽寺を開創した。寿永2年(1183)俱利伽羅峠の合戦で焼失するが、源頼朝により再興。戦国時代には戦禍で荒廃するが、寛永年間(1624~44)秀雅により再興、前田家の祈願所となる。明治の神仏分離によって手向神社となり、長楽寺は廃された。昭和24年(1949)長楽寺跡に堂宇が建立され、俱利迦羅不動寺として再興された。

専福寺

専福寺の御判

【左】専福寺
北谷山 速成就院 専福寺
宗派:浄土真宗本願寺派(西派)
所在地:越中国射水郡高岡町(富山県高岡市利屋町)

■墨書は「越中高岡/聖徳太子御開基/北谷山速成就院/専福寺/役者」、日付は「卯七月四日」。右上の朱印は「北谷山」、中央は「専福」、左下は判読できない。

★寺伝によれば、元は天台宗の寺で婦負郡二ツ屋村(富山市八尾町二屋)にあったという。正慶元年(1332)慶順(土岐高頼)の代に真宗に改宗。天文元年(1532)射水郡黒河村(射水市黒河)に移転。射水・婦負地方の代表的な真宗寺院として繁栄し、神保長職・神保氏俊・羽柴秀吉から禁制を与えられている。天正17年(1589)前田利長より守山城下(高岡市守山)に寺地を寄進されて移転。さらに利長に従い、慶長3年(1598)富山城下へ、慶長14年(1609)高岡城下の現在地に移転した。

勝興寺

勝興寺の御判(刷り物)

【全】勝興寺
雲龍山 勝興寺
宗派:浄土真宗本願寺派(西派)
所在地:越中国射水郡古国府(富山県高岡市伏木古国府)
公式サイト:https://www.shoukouji.jp/

■刷り物で、順拝帳に貼り付けられていない。版木押しで
「雲龍山/勝興寺/祖師聖人創建一宇於佐渡。當時順徳帝勅賜號殊勝誓願興行寺。且賜御筆額。法嗣信念上人初名彦成王。實帝第三子也。上人特窮真宗安心之蘊奥。以故祖師許以北陸七州化度。法孫信興上人繼而相承。後縷罹兵燹。幾垂荒廢。於是蓮如宗師 本山八世 深察時運。令遷之於越中蠏谷郷。至實如宗師 本山九世 繼祖師志以北陸七州緇素隷屬此寺。約法三章。以爲永制。如其支院典章。及屬派法令。悉統于此。天正九年。由蠏谷郷遷於今地。奉食禄二百石。其年。某太守附與稲米年五百石。綿綿至于今日也。嗚呼宗派弘化福應。隆隆乎盛哉。今聊識其一端于此云爾。/越中古国府勝興寺/役僧」
左下の黒印は「執事」であろう。

■上記の内容を簡単にまとめると、
・親鸞聖人は佐渡に一宇を創建し、順徳帝(承久の乱の後、佐渡に流されていた)より殊勝誓願興行寺の号と額を賜った。
・親鸞聖人の弟子・信念上人は元の名を彦成王といい、順徳帝の第三子である。真宗安心の蘊奥を極め、親鸞聖人より北陸道七州の化度を免許され、その子・信興上人が継承した。
・その後、たびたび兵火にかかって荒廃した。
・本願寺8世蓮如上人は、これを惜しんで越中国蟹谷郷に遷した。
・本願寺九世実如上人は親鸞聖人の遺志を継いで、北陸七州の僧俗をこの寺に帰属せしめた。三ヶ条の制札を下して永制とし、支院の典章、属派の法令とし、ことごとく統治した。
・天正9年(1581)蟹谷郷より今の地に遷った。
・もともと寺領二百石を寄進されていたが、その年、某太守(加賀藩10代藩主・前田治脩)が合力米年五百石を付与し、綿々として今日に至る。

★文明3年(1471)蓮如上人が礪波郡蟹谷庄土山(南砺市福光土山)に開創した土山御坊を起源とする。蓮如の四男・蓮誓が入寺、以後、蓮如の子孫が住職を務めた。永正14年(1517)佐渡にあった順徳上皇の勅願所・殊勝誓願興行寺を再興相続して勝興寺と号した。永正16年(1519)安養寺村(小矢部市末友)に移転する。井波瑞泉寺とともに越中一向一揆の中核として勢威を振るった。しかし天正9年(1581)木舟城主・石黒成綱の放火により堂舎が炎上。天正12年(1584)佐々成政が古国府一円を寄進、翌13年(1585)現在地に移転した。江戸時代には藩主前田家の庇護を受け、越中国における真宗の触頭とされた。西本願寺においても連枝並の座配を免許された。正保4年(1647)には西本願寺12世准如の六男・円周が入寺、その室は藩主・前田利常の養女であった。

超願寺

超願寺の御判

【全】超願寺
飛龍山 超願寺
宗派:真宗大谷派(東派)
所在地:越中国射水郡高岡町(富山県高岡市末広町)

■刷り物で、順拝帳に貼り付けられていない。版木押しで「越之中州高岡/飛龍山超願寺/抑當院 聖人嫡弟 普済上人/四拾九歳于時人皇八十六代 四條院/御宇嘉禎元己未暦 開闢也/靈寶品目縁記畧之/大谷御分骨地/凡日本三ヶ所其一也/本願寺院家/執事」、日付は判読できない。

★寺伝によれば、嘉禎元年(1235)親鸞聖人の直弟子である性信坊普済(二十四輩の第一)が49歳の時、越中国礪波郡岩坪村(高岡市岩坪)に開創したと伝えられる。守山城下(高岡市守山)を経て高岡城下に移転。当初は開発村(高岡市開発本町あたり)にあったが、二番町を経て、寛延年間(1748~51)現在地に移転した。

最勝寺

最勝寺の御判

【全】最勝寺
琶湖山 最勝寺
宗派:真宗大谷派(東派)
所在地:近江国高島郡打下村(滋賀県高島市勝野)

■刷り物で、順拝帳に貼り付けられていない。版木押しで「御開基地在山内/具如縁起寶物數品畧之/蓮如上人御跡/西江州高島郡打下村/琶湖山 冣勝寺」。左下の朱印は「琶湖」であろうか。

★開基の正明は佐々木行実の末裔・山田主水正経豊の子とされる。文明3年(1471)蓮如上人が北陸に向かう途次、山田経豊の屋敷に宿泊した。この時、正明は蓮如の教えを受けて出家、正明の法名を与えられ、一宇を建立したことに始まるという。

勝光寺

勝光寺の御判

【全】勝光寺
孤嶺山 勝光寺(弓波山 勝光寺)
宗派:浄土真宗本願寺派(西派)
所在地:加賀国江沼郡打越村(石川県加賀市打越町)

■刷り物で、順拝帳に貼り付けられていない。版木押しで「加州江沼郡打越邑/孤嶺山 弓波 勝光寺/當山開基ハ 御本廟第五世 綽如上人御子権大僧都法印鸞藝法師ナリ 則ソノ子祐信法師エユツリタマフノ霊場ナリ/一 本尊阿弥陀如来 惠信僧都御作/一 祖師聖人御影 御自畫/一 同聖人御木像 八十二才御自作/一 同聖人愚禿御影御自畫/同聖人御真筆 十字名号/一 蓮如上人御木像 六十一才御自作/一 同上人御遺骨/一 同上人蓮誓法師連座御影 蓮如上人御自畫/同上人六字名号 二幅/一 玉日宮御木像 親鸞聖人御作/一 聖徳太子御木像 蓮如上人御作/一 法然上人円光御影 月輪殿御筆/一 同上人御影一枚起證文 勢観房筆/一 出山釈迦如來 兆典子筆/一 字中書入名号 法然上人御筆/一 紺紙金泥阿弥陀圣 光明皇后御筆/一 同利劔名号 弘法大師御筆/一 同大般若圣切 同御筆/一 曇鸞大師仙教受学御影 唐畫/一 同御影 同/一 道綽禅師御影 同/一 善導大師御影 同/一 唐■瀧見観音 俊仍将来/一 五劫思惟弥陀如来/一 善光寺如来御影 本田善光筆/其外品畧/當役 恩長寺」。右の朱印は「勝」、左下の黒印は「役僧」。

★寺伝によれば、加賀国江沼郡弓波村(加賀市弓波町)にあった諦通院という天台宗の寺院を前身とする。応長元年(1311)当時の住職・了然が本願寺3世・覚如に帰依したという。明徳元年(1390)本願寺5世・綽如が勝光寺と改め、三男の頓円鸞芸(藤島超勝寺や小松の本蓮寺の開基)を住職とした。その後、その子の祐信が継いだ。6世の時、水田丸村(加賀市水田丸町)を経て打越村に移転した。この順拝帳の御判をいただいた寛政7年(1795)には大聖寺藩の触頭を勤めるようになっている。なお、小松にあった支坊は慶長元年(1596)小松城主村上義明より寺地を寄進され、打越山勝光寺(真宗大谷派)として分立した。

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【2】寛政7年(1795)浄土真宗の順拝帳(1)

【3】寛政7年(1795)浄土真宗の順拝帳(2)

【4】寛政7年(1795)浄土真宗の順拝帳(3)

※参考
・日本歴史地名大系(平凡社)
・各寺社公式サイト
・『石川県江沼郡誌』(国会図書館デジタルコレクション)
・『石川県能美郡誌』(国会図書館デジタルコレクション)
・『石川県石川郡誌』(国会図書館デジタルコレクション)
・『金沢市案内記』(国会図書館デジタルコレクション)
・『二十四輩順拝図絵』(国会図書館デジタルコレクション)
・『二十四輩順礼・親鸞聖蹟』(国会図書館デジタルコレクション)
・『本派本願寺寺院名簿』(国会図書館デジタルコレクション)
・『大谷派寺院録』(国会図書館デジタルコレクション)
津幡町観光ガイド
・Wikipedia

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