多伎神社 | 愛媛県今治市

多伎神社

多伎神社は、頓田川の支流・多伎川のほとりに鎮座する。創建年代は不詳だが、多伎川上流にある川上巌という磐座への信仰を起源とする。創建年代は不詳だが、崇神天皇の御代、伊香武雄命が「瀧の宮」の号を奉り、初代の斎宮になったという。江戸時代は今治藩の祈願所となり、雨乞いの祈祷では必ず霊験があったと伝えられる。

正式名称 多伎神社〔たきじんじゃ〕
御祭神 須佐之男命 多伎都比売命 多伎都比古命
社格等 式内社(名神大) 旧県社
鎮座地 愛媛県今治市古谷乙47 [Mapion|googlemap]
あわせて読みたい
愛媛県の神社 ■旧官国幣社 大山祇神社正式名称:大山祇神社鎮座地:今治市大三島町宮浦 伊曽乃神社正式名称:伊曽乃神社鎮座地:西条市中野甲 大山祇神社今治市大三島町宮浦 伊曽乃神...
目次

御朱印

  • 多伎神社の御朱印

    (1)

(1)平成19年拝受の御朱印。朱印は五瓜に唐花の神紋。

御由緒

多伎神社は旧越智郡朝倉村、頓田川の支流・多伎川のほとりに鎮座する。多伎川の上流には川上巌と呼ばれる磐座があり、奥の院とされる。創建年代は不詳だが、この奥の院の磐座信仰に始まるという。境内には古墳群があり、ここに葬られた人々によって奉斎されたのであろう。

社伝によれば、崇神天皇の御代(B.C.97~B.C.29)、饒速日命の六世の孫・伊香武雄命が「瀧の宮」の社号を奉り、初代の斎宮になった。大宝2年(702)多伎神社と改め、位階を賜ったとされる。

文献上の初出は『三代実録』貞観2年(860)で、従五位上瀧神に従四位下を授くとある。以後、累進して貞観8年(866)従四位上、貞観9年(867)正四位下、貞観12年(870)には伊曽乃神社・野間神社・伊豫神社と並んで正四位下に叙されている。他の三社が天平神護2年(766)に初めて神階を受けていることを考えると、急速な昇叙である。

國學院大學21世紀COEプログラムの調査報告では、伊予国府が頓田川流域にあったと考えられることから、水源の神として国司の崇敬を受けたのではないかと推測している。

延喜式では名神大社に列する。伊予国内神名帳には「正一位 多伎不断大願大菩薩」とある。往古は光林寺(玉川町畑寺)・竹林寺(古谷)・歓喜寺(町谷)など別当寺院11坊を数えたという。

建長7年(1255)の『伊予国神社仏閣等免田注記』には免田4反50歩、金剛般若田3町2反などが見え、中世においても多くの社領を有していた。応永年間(1394~1428)には河野氏により社殿が造営された。

江戸時代には多伎宮・瀧宮・瀧宮牛頭天王などと呼ばれ、今治藩の祈願所となった。特に雨乞いの祈願では必ず霊験を得たと伝えられる。その際には藩主が参拝し、7日間の祈願のうち中日までは本殿で、残り3日を奥の院の川上巌で執り行った。

明治4年(1871)郷社に列格、明治13年(1880)県社に昇格。

5月1日に行われる笠鉾祭りは、山口地区の人々が笹に産着を括った笠鉾を持ち寄り、祈願祭の後に「マーマイソカーカイソ牛馬が繁盛するように」などと唱えながら拝殿内を3回、社殿周辺を3回巡るというものである。江戸時代中期、山口村で牛馬の疫病が流行したため、牛馬の疫病封じのために始まったという。

また、5月5日の例大祭には今治地方独特の継ぎ獅子が奉納される。

境内の森の中にある三十数基の古墳は、「多伎神社古墳群」として県の史跡に指定されている。

写真帖

  • 大鳥居

    大鳥居

  • 石鳥居

    石鳥居

  • 八雲橋

    多伎川と八雲橋

  • 松茸石

    松茸石

  • 注連柱

    注連柱

  • 天満神社

    天満神社

  • 越智神社

    越智神社

  • 大仲社

    大仲社

  • 一宮神社と清水社

    一宮神社と清水社

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

  • 古墳群

    多伎神社古墳群

メモ

赤い大鳥居をくぐって山のほうへ進んでいくと、多伎神社の境内が見えてくる。多伎川に架かる八雲橋を渡ると、正面に拝殿、周囲に境内社があり、その周りの森の中には古墳が散在する。奥の院の川上巌を確認したいと思ったのだが、さっぱりわからず断念。実は、けっこう大変なところにあるらしい。(参考サイト:しまなみ隊登山記
社前の松茸石は陰陽石だが、今治藩主の命により江戸藩邸に運ぶと、藩主夫人が病に伏してしまったという。夢占いにより、石が多伎宮に戻りたがっているというので江戸から返すと、夫人の病も快癒したという。
御朱印は今治駅近くにある式内社・姫坂神社で拝受できる。宮司さんは多伎神社が本務社なのだが、諸般の事情により姫坂神社のほうに常駐している。ただ、やはりいずれは多伎神社のほうに帰りたいとおっしゃっていた。

多伎神社の概要

名称 多伎神社
通称 瀧の宮
旧称 多伎宮 瀧の宮 瀧宮牛頭天王 瀧神 多伎不断大願大菩薩
御祭神 須佐之男命〔すさのおのみこと〕
多伎都比売命〔たきつひめのみこと〕
多伎都比古命〔たきつひこのみこと〕
鎮座地 愛媛県今治市古谷乙47番地
創建年代 伝・崇神天皇の御代(B.C.97~B.C.29)
社格等 式内社 旧県社
延喜式 伊豫國越智郡 多伎神社 名神大
例祭 5月5・6日
神事・行事 4月10日前後/祈年祭
5月1日/笠鉾祭り
7月28日/輪越祭
10月第4土・日曜日/秋祭り
12月第3日曜日/新嘗祭
文化財 〈県無形民俗文化財〉獅子舞 〈県史跡〉多伎神社古墳群

交通アクセス

□JR予讃線「伊予富田駅」より徒歩約1時間
□JR予讃線「今治駅」よりバス
■せとうちバス浅地口行き「町谷」下車、徒歩約30分

あわせて読みたい
諸国神社御朱印集 全国には約8万の神社があるといわれる。これは宗教法人となっている神社の数で、旧官国幣社や別表神社など多くの参詣者を集める大きな神社から地域の氏子によって守られ...

※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。
※掲載されている古い資料画像(納経帳、絵葉書等)について、特に引用元を明示したもの以外は管理者が所有する資料であり、無断使用はご遠慮ください。使用を希望される場合は管理者までご連絡ください。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次