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石岡神社 | 愛媛県西条市

石岡神社

石岡神社は石岡八幡宮とも称し、祭ヶ岡と呼ばれる岡の上に鎮座する。神功皇后が三韓征伐の帰途、武内宿禰とともに皇子を奉じてこの岡に上陸し、天神地祇を祀った。その後、宇佐八幡より八幡神を勧請したと伝えられる。西条藩祈願所六社の一。旧別当は四国霊場63番札所の密教山吉祥寺

正式名称 石岡神社〔いわおか じんじゃ〕
御祭神 誉田別命 気長足姫命 宗像三女神
社格等 旧県社
鎮座地 愛媛県西条市氷見乙1345-1 [Mapion|googlemap]
愛媛県の神社
愛媛県の神社の御朱印、由緒(歴史)、アクセスなどの紹介。伊豫豆比古命神社・阿沼美神社・伊佐爾波神社・湯神社・雄郡神社・東雲神社・日尾八幡宮(松山市)、大山祇神社・野間神社・多伎神社・別宮大山祇神社(今治市)、和霊神社・宇和津彦神社・南豫護國神社(宇和島市)、黒島神社(新居浜市)、伊曽乃神社・石鎚神社・石岡神社(西条市)、大洲神社(大洲市)など
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御朱印

石岡神社の御朱印 石岡神社の御朱印 none
(1) (2)

(1)平成20年拝受の御朱印。朱印は「石岡宮」。

(2)令和4年拝受の御朱印。中央の朱印は「石岡宮」、上の印は三つ巴の神紋。右に「伊予西条だんじり発祥の地」。

御由緒

拝殿

御祭神

■誉田別命(応神天皇)
■気長足姫命(神功皇后)
■宗像三女神

『愛媛県新居郡誌』には「誉田別尊、気長足姫尊、足中彦尊」とあり、『明治神社誌料』には「誉田別尊、気長足姫尊、三女神(足仲津彦尊)」とある。

由緒

境内

石岡神社は石岡八幡宮とも称し、西条市の氷見・橘地区の氏神。旧別当の密教山吉祥寺は紫黒霊場63番札所である。

氷見は伊予国内でも有数の大村で、橘地区の坂元・楢ノ木・西泉・野々市等も江戸時代初めに氷見村から分村した村々である。

由緒については、境内にある旧社家・玉井家の前の掲示に詳しい。神社でいただいた御由緒書とは食い違う部分があるが、ここでは玉井家の掲示を基本にして整理したいと思う。

社伝によれば、往古、当社が鎮座する岡は橘島という島であったという。神功皇后が三韓征伐からの凱旋の帰途、武内宿禰とともに皇子(誉田別命、応神天皇)を奉じてこの橘島に上陸し、天神地祇を奉斎した。これに因んでこの岡を祝いが岡と呼ぶようになり、後に転じて石岡となったとされる。

貞観元年(859)紀氏出身の大安寺の僧・行教上人が宇佐八幡より山城国の男山に八幡神を勧請した(石清水八幡宮)。この時、同族の紀貞範・紀長谷雄父子も紀氏の氏神として勧請・奉斎したという。これを当社の創祀とするようである。
(※神社でいただいた由緒書等では貞観元年宇佐神宮より勧請とある)

承平6年(936)紀長谷雄の次男・紀淑人は伊予守・南海追捕使に任じられ、瀬戸内海の海賊追討のために伊予に下向、当地に八幡神を奉斎(遷祀?)した。その後、紀淑人の弟・紀淑光の子孫によって奉祀されたという(社家・玉井氏の祖)。

延久5年(1073)後冷泉天皇の御違勅により、国司・源頼義が伊予国中に十八社準八幡宮を建立した際、その一社として再興された。

以後、源義経が宝剣を寄進するなど(寄進状が現存)社頭は繁栄するが、戦国時代の元亀~天正の頃(16世紀後半)数度の兵火にかかり、社殿宝物等悉く焼失、多くの神人も離散した。しかし長職である玉井氏の一人が御神体を守護し、後に玉井民部忠良が田地に仮殿を設けて御神体を奉斎した。

寛文10年(1670)松平頼純が西条藩主として入部すると、石岡八幡宮に社領2石を寄進。伊曾乃神社黒島神社・一宮神社とともに藩の祈願所とされた(後に村山神社周敷神社を加えて西条藩祈願所六社とする)。八幡宮は源氏の氏神であったことから歴代藩主の深い崇敬を受けた。

元禄2年(1689)社殿が再建され、ほぼ現在のような姿となった。

明治5年(1872)郷社に列格。明治17年(1884)県社に昇格。

昭和21年(1946)南海地震で拝殿等が倒壊したが、昭和29年(1954)に再建された。

秋の例大祭には、伊曾乃神社と同様の「だんじり」「御輿」20台余が登場する。

この西条地方のだんじりの発祥については、享保19年(1734)当社の宮司・玉井忠幸が河内の誉田八幡宮と応神天皇陵を参拝した際、同宮のだんじりを見て帰り、別当・吉祥寺の住職と協力して竹のだんじりを作った。これが石岡神社の1番だんじり・寺の下のはじまりで、以後、西条・周桑地方に広まったという(旧社家・玉井氏宅前の掲示による)。

(※伊予氷見駅前の記念碑をはじめ、一般には吉祥寺の住職が誉田八幡宮を参拝した際にだんじりを見て、竹のだんじりを作って石岡神社の祭礼に奉納したという伝承が流布しているが、玉井氏の説明のほうが正しいように思われる)

10月15日早朝にはだんじり・御輿が神社に集まって御神輿を迎え、一日かけて氏子地域を巡行。夕方には境内・桜の馬場で勇壮な宮入りが行われる。

境内社

本殿の周囲には多数のがある。社名と御祭神は社殿の表示や『平成「祭」データ』で確認できたもの。

高良神社

■高良神社…御祭神:武内宿禰

猿田彦神社

■猿田彦神社…御祭神:猿田彦命

地護神社

■地護神社…御祭神:大己貴命

金刀比羅神社・稲荷神社

■金刀比羅神社(左)…『平成「祭」データ』に記載なし
■稲荷神社(右)…御祭神:倉稲魂命

山王神社・桜木神社

■山王神社(左)…御祭神:大山咋神
■桜木神社(右)…御祭神:石川源五

宇賀神社・厳島神社

■宇賀神社(左)…御祭神:素戔嗚尊・倉稲魂命
■厳島神社(右)…市杵島姫命

恵美須神社・杉尾神社

■恵美須神社(左)…御祭神:大国主命、事代主命
■杉尾神社(右)…御祭神:大己貴命

条内神社

■條内神社…御祭神:高龗神

若宮社

■若宮社…『平成「祭」データ』に記載なし

ほかにも『平成「祭」データ』には鹽竈神社の名があるのだが、確認できなかった。また、社殿背後の祭ヶ岡古墳には祭岡神社が祀られているようなのだが、そちらには行ってない。

写真帖

大鳥居

参道の大鳥居と社号標。

桜の馬場

桜の馬場。秋の例大祭では、ここで神輿とだんじり・御輿(太鼓台)が勇壮に練る。小学生の時と成人してからの二回、ここで宮入りの舁き比べを見たことがある。

鳥居

社殿に向かう参道の鳥居。台座が不自然に高くなっているのは、だんじりが通行できるようにしたためであろう。昔、私が見たときは、だんじり等はこの鳥居の手前で練っていた。

狛犬

鳥居の脇の狛犬。

注連柱

注連柱。右の柱には三つ巴の神紋に「敵国」、左側の柱には三つ巴の神紋と「降伏」とある。筥崎宮の伏敵門の勅額に倣ったものではないかと思われる。

神門

神門。

境内

境内。神門を潜った先にも参道が続く。

手水舎

手水舎。

拝殿

昭和29年(1954)再建の拝殿。

本殿

本殿。

メモ

旧西条市の西部、豊かな田園地帯に鎮座する。石岡神社の鎮座する祭ヶ岡の北は江戸時代以来の干拓による新田で、古くは海岸にあったことがわかる。
当社に初めて参拝したのは中学の頃、友人とともに当社の祭礼を見に行ったときである。自分の氏神様である伊曽乃神社の祭礼と重なるためなかなか行く機会がなく、最後に見に行ったのもデジカメ購入前なので、残念ながら写真がない。
初めての御朱印拝受は正月に帰省した際。二度目の拝受は夏の帰省の際。ちょうど数日前に疾風巡拝プロジェクトに参加したとのことで、初日にはバイクでの参拝者が大勢訪れたそうである。

石岡神社の概要

名称 石岡神社
別称 石岡八幡宮
御祭神 誉田別命〔ほんだわけのみこと〕
気長足姫命〔おきながたらしひめのみこと〕
宗像三女神命〔むなかた さんじょしん〕
鎮座地 愛媛県西条市氷見乙1345-1
創建年代 貞観元年(859)
社格等 旧県社
例祭 10月14日・15日(西条まつり)
神事・行事 1月1日/歳旦祭
4月10日近い日曜日/春祭・慰霊祭
7月20日/夏越祭
10月23日/慰霊祭
11月23日/新嘗祭
※『平成「祭」データ』による

交通アクセス

□JR予讃線「伊予氷見駅」より徒歩約6分
□JR予讃線「伊予西条駅」よりバス
■JR松山駅・今治営業所・周桑営業所行「氷見」下車徒歩約8分

更新記録

2022.08.12.公開
2024.06.19.一部修正

諸国神社御朱印集
全国各地の神社を御朱印、由緒、アクセスなどの紹介。伊勢神宮をはじめ旧官国幣社、旧府県社、別表神社、さまざまな由緒を持った神社の由緒と御朱印を都道府県別に紹介する。現代の御朱印の他、江戸時代から明治、大正、昭和戦前の貴重な御朱印、海外廃絶神社の御朱印も掲載。

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