稲足神社 | 東京都あきる野市

稲足神社

稲足神社は、江戸時代には第六天社と称し、葛飾郡亀戸村(現・江東区亀戸)にあって普門院が管理していた。明治6年(1873)稲足神社と改称、明治35年(1902)に亀戸香取神社の境内に遷座。昭和63年(1988)現社地に遷座、独立の神社となった。平成13年(2001)神社が管理する公園墓地としては全国初の稲足神社霊園を開設している。

正式名称 稲足神社〔いなたりじんじゃ〕
御祭神 面足尊 惶根尊
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都あきる野市菅生871 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 秋川(JR五日市線)
小作(JR青梅線)
バス停:鯉川橋・菅瀬橋
公式サイト http://www.inatari.or.jp/
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目次

御朱印

稲足神社の御朱印

(1)

稲足神社の御朱印

(2)

稲足神社韋駄天尊神の御朱印

(3)

(1)平成21年拝受の御朱印。中央の朱印は「稲足神社」、左下は「社務所印」。

(2)平成30年拝受の御朱印。中央と左下の朱印は平成21年のものと同じ。右上の印は丸に抱き稲と違い橘の神紋。

(3)境内社・韋駄天尊神の御朱印、平成30年拝受。中央の朱印は「韋駄天尊神」、右上と左下の印は本社と同じく神紋と「社務所印」。

御由緒

稲足神社一の鳥居
一の鳥居

御祭神

■面足尊
■惶根尊

神代七代のうち第六代の神。面足尊は男神、惶根尊は女神で、自然界における陽と陰を表すとされる。

由緒(歴史)

亀戸香取神社稲足神社
亀戸香取神社境内の稲足神社

稲足神社は、昭和63年(1988)江東区の亀戸香取神社境内に鎮座していた稲足神社を秋川市(現・あきる野市)菅生に遷座、独立の神社としたものである。

創建年代については詳らかでないが、亀戸香取神社境内の土中から発見された石碑の銘から、寛文9年(1670)であろうと考えられている。当時は第六天社と称し、真言宗の福聚山普門院(御府内八十八ヶ所40番)が別当として管理していた。

明治元年(1868)神仏分離により普門院から離れ、亀戸香取神社の兼務社となった。明治6年(1873)社号を稲足神社に改称。しかし明和年間に建てられた石祠があるのみで社殿はなく、しかも境内は民家の裏手で参拝にも不便であったことから、明治35年(1902)亀戸香取神社境内に遷座した。

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ただし、当時の申請書類を見ると「境内末社編入願」に打ち消し線を引いて「稲足神社移転願」と訂正しており、香取神社の末社になったわけではない。また、昭和21年には宗教法人の登記をしているので、戦後においても宗教法人としては独立していたようだ。

稲足神社野村専太郎・ます夫妻像
野村専太郎・ます夫妻像

昭和63年(1988)亀戸香取神社の社殿建て替えに際し、敬神家・野村専太郎氏の寄進を受けて現社地に遷座、完全に独立した神社となった。

平成13年(2001)神社による管理としては全国初の公園墓地である稲足神社霊園を開設、平成15年(2003)には石造りの納骨堂を備えた御霊殿が完成した。平成16年(2004)には鉄筋コンクリート造の現社殿が造営された。

平成21年(2009)には韋駄天尊神殿を建立、本殿に祀られていた韋駄天尊神の尊造を遷し祀った。

韋駄天尊神

稲足神社韋駄天尊神像
韋駄天尊神像

稲足神社の社地を寄進した野村専太郎氏は小田急建設社長や衆議院議員を歴任した実業家・政治家で、明治神宮の責任役員総代や東京都神社総代会顧問を務めた。夫妻ともに神仏に対する信仰が篤く、特に生地・角筈(現・新宿区西新宿)で信仰されていた韋駄天堂を明治以来4代にわたって守護してきた。

韋駄天尊はスカンダという古代インドの神であったが、仏教に入って護法神・伽藍守護神として尊崇されるようになった。民間信仰では俊足・盗難除けの神として信仰を集め、特に腰部から足先にかけての疾患に霊験があるとされる。

新宿韋駄天尊堂

稲足神社新宿韋駄天尊堂
新宿韋駄天尊堂

角筈の韋駄天堂に祀られていた韋駄天尊の立像は江戸時代中頃の作とされ、上州館林藩主・秋元礼朝の守護神として浅草新寺町の藩邸内に祀られていた。明治4年(1871)角筈村の秋元家の下屋敷に遷されたが、広く信仰を集めるようになり参詣者が増えたため、大正8年(1919)独立の仏堂となった。

しかし昭和20年(1945)空襲のために仏堂は焼失、韋駄天尊像は焼け跡に放置されていた。その後、毀石を集めて石蔵に納め、ささやかなお社を設けてお祀りしていた。

昭和30年(1955)頃、地元に復興の気運が高まり、宮原柳遷画伯の筆による板碑として韋駄天尊の像を再興、総檜造りの堂宇が再建された。さらに昭和61年(1986)西新宿の再開発に伴い、周辺環境に相応しい現在の新宿韋駄天尊堂が建立された。

韋駄天尊神殿

稲足神社韋駄天尊神殿
韋駄天尊神殿

昭和63年(1988)に稲足神社が遷座した際、社地を寄進した野村夫妻のたっての願いもあり、日本芸術院会員の雨宮淳氏に依頼して韋駄天尊の板碑の像をブロンズ像に造替し、稲足神社本殿に合祀した。

その後、足腰に不安のある人々やスポーツ愛好家の参拝が増えたことから、より参拝しやすいよう平成21年(2009)新たに韋駄天尊神殿を建立した。

毎年11月8日には、韋駄天尊神殿と新宿韋駄天尊堂で例祭が行われている。

写真帖

稲足神社一の鳥居
一の鳥居
稲足神社神道会館
神道会館
稲足神社御霊殿の鳥居
御霊殿の鳥居
稲足神社御霊殿
御霊殿(納骨堂)
稲足神社野村専太郎・ます夫妻像
野村専太郎・ます夫妻像
稲足神社二の鳥居
二の鳥居
稲足神社手水舎
手水舎
稲足神社参道
参道
稲足神社韋駄天尊神殿
韋駄天尊神殿
稲足神社韋駄天尊神像
韋駄天尊神像
稲足神社拝殿
拝殿
稲足神社社号額
社号額
稲足神社本殿
本殿

新宿韋駄天尊

稲足神社新宿韋駄天尊堂
新宿韋駄天尊堂
稲足神社蛯子稲荷大明神
蛯子稲荷大明神
稲足神社新宿野村専太郎・ます夫妻像
野村専太郎・ます夫妻像
稲足神社韋駄天尊神
韋駄天尊神

メモ

初めて参拝したのは、ちょうど韋駄天尊神殿が新築されて最初の例祭の日。御朱印を拝受した際、韋駄天尊神の御朱印について尋ねると、いずれ準備する予定とのことだった。

その後、韋駄天尊神の御朱印が授与されるようになったことは知っていたのだが、なかなか再訪の機会がなく、平成30年にようやく参拝、韋駄天尊神の御朱印もいただくことができた。

稲足神社の概要

名称 稲足神社
旧称 (第六天社)
御祭神 面足尊〔おもだるのみこと〕
惶根尊〔かしこねのみこと〕
鎮座地 東京都あきる野市菅生871番地
創建年代 寛文9年(1670)/昭和63年(1988)
社格等 (旧無格社)
例祭 9月15日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月5日/新春崇敬者祈願祭
2月3日/節分祭
2月19日/蛯子稲荷例祭
3月春分の日/春御霊まつり
6月30日/夏越の大祓
7月15日/夏御霊まつり
9月秋分の日/秋御霊まつり
10月15日/野村専太郎ご夫妻鎮魂祭
11月8日/韋駄天尊神例祭・新宿韋駄天尊例祭
12月28日/年越しの祓

交通アクセス

□JR五日市線「秋川駅」よりバス
■西東京バス小作駅西口・菅生高校行き「鯉川橋」下車徒歩すぐ
□JR青梅線「小作駅」よりバス
■西東京バス秋川駅行き「鯉川橋」下車徒歩すぐ
□JR青梅線「福生駅」よりバス
■西東京バス五日市・日の出折返場行き「菅瀬橋」下車徒歩10分

更新履歴

2010.04.14.公開
2018.08.18.改定、WPに移行、御朱印・画像追加。

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