
井手神社は松山市の中心部、石手川の北岸に鎮座する。大山祇神・木花開耶姫命に橘諸兄・橘嘉智子(檀林皇后)・橘清友を併せ祀ることから俗に橘神社とも呼ばれる。古くから酒造の祖神・安産守護の神として信仰を集めてきた。境内社の天満宮も松山の天神様として名高く、夏の大祭は非常に賑わったという。
| 正式名称 | 井手神社〔いでじんじゃ〕 |
|---|---|
| 御祭神 | 大山祇神 木花開耶姫命 橘諸兄公 橘清友公 橘嘉智子姫命 |
| 社格等 | 旧県社 |
| 鎮座地 | 愛媛県松山市北立花町2-4 [Mapion|googlemap] |
| 公式サイト | https://www.instagram.com/idejinja/ |

御朱印


(1)平成22年拝受の御朱印。中央の朱印は「山吹水」の神紋。
(2)令和8年拝受の御朱印、書き置き。中央の朱印は(1)と同じ「山吹水」の神紋。
山吹水の神紋について、丹羽基二博士の『神紋総覧』では「山吹流し」とし、「祭神の橘諸兄とその一族を流水に山吹であらわし(後世菊水に転化した)」としている。橘諸兄公は山吹を好み、山城国井手の里に別業(別邸)を構えると邸内や近くの玉川のほとりに山吹を植えた。この井手の玉川のほとりに植えられた山吹を表した紋とされる。
井手神社について

御祭神
■大山積神
■木花開耶姫神
■正一位橘諸兄公
橘氏の祖。正一位・左大臣。山城国井手の里に別邸を構えて拠点としたことから、世に井手の左大臣と呼ばれた。生前正一位に叙されたのは橘諸兄を含めて6人しかいないという。
■橘嘉智子皇后(檀林皇后)
嵯峨天皇の皇后、仁明天皇の母。橘諸兄の曾孫、橘清友の娘。
■橘清友公
贈正一位・太政大臣。橘諸兄の孫で、檀林皇后の父。
以上5柱を五社大明神と称する。
御由緒

井手神社は松山市の中心部、石手川の北側に鎮座する。酒造の祖神、安産の守護神として信仰が厚いという。
創建年代は不詳。社伝によれば、往古から橘岡に大山積神と木花咲耶姫命が鎮座していたという。橘清友公が伊予の国司となった時に立花郷に別業(別邸)を構え、当社に橘氏の祖・橘諸兄公を合祀し、井手大明神と称して崇敬した。その後、橘清友公・橘嘉智子皇后が合わせ祀られたことから、俗に橘神社とも呼ばれる。
『愛媛面影』には「俚諺集に云く、山州梅宮(梅宮大社)の勧請なるべし」とある。
梅宮大社は橘諸兄の母・県犬養三千代が橘氏の氏神として山城国相楽郡井手庄(現在の京都府綴喜郡井手町)に創建したと伝えられ、大山積神・木花咲耶姫命・瓊瓊杵尊・彦火々出見尊の本殿四座と橘清友・橘嘉智子・嵯峨天皇・仁明天皇の相殿四座を祀る。
橘清友の奥方が懐妊した時、木花咲耶姫命の御神徳を仰ぎ、当社の砂を奥方の床の下に敷き、安産で女子を授かった。その子が嘉智子と名付けられ、嵯峨天皇の皇后となったという。
元は石手川の南側に鎮座していたが、慶安年間(1648~52)現社地に遷座した。
明治初年、郷社に列格し、明治27年(1894)県社に昇格。
安産守護大神

古くから安産守護の神として信仰を集め、文政12年(1829)には甘露寺大納言国長の娘・按察使典侍妍子の臨月にあたり、当社より安産御守・産砂を奉り、淑子内親王の安産があった。天保2年(1831)には正親町中納言実光の娘・権典侍雅子(後の新待賢門院)懐妊にあたって産砂と御守を奉り、統仁親王(後の孝明天皇)をご安産になったという。
継宮様(上皇陛下)、浩宮様(今上陛下)、礼宮様(秋篠宮皇嗣殿下)のご出産に際しても、安産御祈願御神札を献上したとのことである。
天満宮

御祭神は菅原道真。古くから「松山の天神さま」として信仰を集め、特に夏の大祭は賑やかで、木屋町の鍾馗さん(鍾馗寺)、誌駅前のお日切りさん(善勝寺)とともに松山三大夏祭りに数えられる。
写真帖

社頭風景。

注連柱。三輪田米山(日尾八幡神社の神職で、伊予の三筆と称された)の揮毫で「上善」「如水」。

手水舎。二本の御影石の柱に瓦葺きの屋根が載っている。文久2年(1862)に奉納されたもののようだ。

鳥居。

社号標。

安産守護大神の碑。

正岡子規の句碑。「薫風や 大文字を吹く神の杜」
当社境内の天満宮は松山の天神さんとして名高く、夏の祭礼には文字の上達を願って子どもたちが大文字の墨書を奉納したという。

柳原極堂の句碑。「吾生は へちまのつるの行き処」
この句は極堂の辞世の句。極堂は子規の文友で、俳誌『ほとゝぎす』の創刊(後に高浜虚子に譲渡)、松山子規会の発足など、子規の業績の顕彰に努めた。
平成29年(2017)子規・極堂の生誕150年を記念して建立された。

拝殿。向かって左(社殿側から右)にニッポンタチバナの木がある。

拝殿内の扁額「正一位井手神社」。その右に橘の神紋、左に山吹水の神紋の額が掲げられている。

拝殿前の狛犬。慶応3年(1867)の奉納。

ニッポンタチバナの木。

天満宮。松山の天神さまとして名高く、古くから夏の大祭は賑わったとのこと。

河野通有公の像。通有は元寇に際して氏神の大山祇神社に祈願し、防護の石塁を背後にして奮戦したことから「河野の後築地」と呼ばれた。通有が久米郡石井郷を領有していたこと、大山祇神社と井手神社の御祭神が同じであることなどから平成8年(1996)に建立されたという。

祖霊社。御祭神は氏子の祖霊。

橘蛭子神社。御祭神は蛭子神。

橘稲荷神社。祖神社、素鵞神社を併せ祀っているようだ。橘稲荷神社の御祭神は宇迦御魂神。祖神社の御祭神は手置帆負命・彦狭知命、素鵞神社の御祭神は建速須佐之男命と思われる。
メモ

伊予鉄の松山市駅の西約900m、石手川の北岸に鎮座する。松山を代表する商店街の大街道や銀天街からも近い。
初めての参拝は平成22年正月の夕方。滑り込みで御朱印をいただくことができた。女性の宮司さんが神紋の朱印の脇に「山吹水」の文字を書き入れ、説明をしてくださった。
井手神社の概要
| 名称 | 井手神社 |
|---|---|
| 通称 | 橘神社 |
| 旧称 | 井手大明神 |
| 御祭神 | 大山祇神〔おおやまづみのかみ〕 木花開耶姫命〔このはなさくやひめのみこと〕 正一位橘諸兄公〔たちばなのもろえ〕 橘嘉智子皇后(檀林皇后)〔たちばなのかちこ〕 橘清友公〔たちばなのきよとも〕 |
| 鎮座地 | 愛媛県松山市北立花町2番4号 |
| 創建年代 | 不詳 |
| 社格等 | 旧県社 |
| 例祭 | 5月1日(春季例大祭) 10月6日(秋季例大祭) ・10月7日/神幸祭 |
| 神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月10日/十日夷祭 1月25日/初天神祭 2月3日/節分祭 旧2月上旬/三社祭 3月春分/祖霊社祭 6月30日/大祓祭 7月24日・25日/天神祭 12月31日/大祓祭 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□伊予鉄道「伊予市駅」より徒歩約14分。
□伊予鉄道横河原線「石手川公園駅」より徒歩約8分。
参考資料
・井手神社由緒書
・『愛媛面影』半井梧菴
・『明治神社誌料』明治神社誌料編纂所(明治45年)
・『松山市誌』松山市(大正3年)
・『松山地方の地理歴史』愛媛県師範学校(大正8年)
・『愛媛県神社誌』愛媛県神社庁(昭和49年)
・『松山道後案内』高浜虚子・松山市立子規記念博物館(昭和58年)
・『伊予史談 平成6年4月号』伊予史談会
・日本歴史地名大系『愛媛県の歴史』
・『平成「祭」データ』
・愛媛県神社庁公式サイト
・Wikipedhia

