日枝神社は、天正年間(1573~93)の創建だが、日本武尊が東征の砌、当社境内の柊の根元で休息したという言い伝えが残る。この時、「清き土なり」と言ったのが清土という地名になり、それが清戸の名の由来になったといい、地名発祥の地とされる。水天宮は明治に入って勧請され、安産守護の信仰を集めている。
正式名称 | 日枝神社〔ひえじんじゃ〕 |
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通称 | 日枝神社・水天宮 |
御祭神 | 大山咋神 大己貴神 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都清瀬市中清戸2-616 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 清瀬(西武池袋線) バス停:水天宮前 |
公式サイト | http://hiejinja.jp/ |
御由緒
清瀬市に鎮座する日枝神社は、上・中・下清戸村の鎮守で、江戸時代以前は山王社と称した。明治時代に水天宮が勧請されたことから、一般には日枝神社・水天宮の名で知られる。旧別当は天台宗の岳王山正覚寺(廃寺)であった。
天正7年(1579)中島筑後守信尚により創建されたと伝えられる。しかし、清戸の地名についての伝承から、日本武尊による創祀という言い伝えがある。
日本武尊が東征の際、当地の柊の根元で休息をして「清き土なり」と言ったことに因んで清土と呼ぶようになり、その後、清戸と改められたと伝えられる。当社境内に日本武尊が休息したという柊の古木があったが、昭和の初めに枯れてしまった。現在は根株からひこばえが育っている。
本殿は宝暦9年(1759)の造営で清瀬市の有形文化財に指定されている。また、当社が所蔵する不動明王像は旧別当・正覚寺の本尊で、やはり市の有形文化財。
7月15日前後の日曜日に行われる清戸の獅子舞は、北条氏照が武運長久を願って舞わせたのが始まりと伝えられる。清瀬市指定無形民俗文化財。
水天宮は、福岡県久留米市の水天宮より勧請されたもので、安産守護・水難除・寿命長久の御神徳で信仰を集めている。
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。右の朱印は「日枝神社」、左は「水天宮印」。
写真帖
見どころ
■三猿の石燈籠
清瀬市指定有形文化財。元は2基の燈籠が参道の両側に建っていたが、風化が進んでいるため、覆屋の中に移して永久保存を図っている。
1基は寛文4年(1664)、もう1基は宝永7年(1710)の建立。六角形の竿に「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿が彫られている。猿は山王権現(日枝神社)のお使いである。また、清戸開発の歴史をうかがわせる「山王開闢天正七天中嶋筑後守信尚開之」などの銘が刻まれている。
■御神木の杉
推定樹齢400年、樹高は約21mで、清瀬市指定天然記念物。
■御嶽山
慶長年間(1596~1615)木曽の本社より御分霊を勧請し、文化年間(1804~18)一山講先達・星野佐仲が近郷の信者を結集して築山を築いた。山頂部には御嶽神社が祀られている。
メモ
志木街道沿いに鎮座する。同一境内であるが、日枝神社・水天宮・御嶽神社それぞれの鳥居と参道がある。日枝神社の鳥居は山王鳥居。水天宮は日枝神社社殿よりやや小ぶりだが、一般的な神社の社殿といってもよい規模である。市の文化財の石燈籠や御神木など、見どころも多い。
日枝神社・水天宮の概要
名称 | 日枝神社 |
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通称 | 日枝神社・水天宮 |
旧称 | 山王社 |
御祭神 | 〈日枝神社〉 大山咋神〔おおやまくいのかみ〕 大己貴神〔おおなむちのかみ〕 〈水天宮〉 安徳天皇〔あんとくてんのう〕 底筒男神〔そこつつのおのかみ〕 表筒男神〔うわつつのおのかみ〕 中筒男神〔なかつつのおのかみ〕 |
鎮座地 | 東京都清瀬市中清戸二丁目616番地 |
創建年代 | 天正7年(1579) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 4月15日(春季例祭) 10月5日(秋季例祭) |
神事・行事 | 1月1日/元旦祭 1月5日/初水天宮祭 2月3日/節分祭 2月17日/祈年祭 7月15日前後の日曜日/獅子祭 11月28日/新嘗祭・初穂会 |
交通アクセス
□西武池袋線「清瀬駅」下車徒歩約12分、またはバス
■西武バス台田団地行き「水天宮前」下車すぐ