黒嶋神宮(黒嶋神社)は、新居浜市黒島に鎮座する延喜式内社で、仁徳天皇の御代の創建と伝えられる。斉明天皇征西の際、大田皇女が海上で産気づき、黒島に上陸して当社に祈願したところ、無事に大伯皇女を出産したといい、古来、安産守護の神として信仰を集める。南北朝時代には南朝の勅願所となり、江戸時代には西条藩祈願所六社の一として高2石を寄進された。
正式名称 | 黒嶋神社〔くろしまじんじゃ〕 |
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通称 | 黒嶋神宮〔くろしまじんぐう〕 |
御祭神 | 大山祇命 木花咲耶姫命 天御中主神 |
社格等 | 式内社 旧県社 |
鎮座地 | 愛媛県新居浜市黒島2-106 [Mapion|googlemap] |
御朱印
(1) |
(1)平成21年拝受の御朱印。上の朱印は菊と桜花に「式内 黒嶋神宮 神璽」、下は「神璽」。
御由緒
御祭神
■大山祇命
■木花咲耶姫命
■天御中主神
上記三柱は社頭掲示板による。神社でいただいた御由緒書は、天ノ御中主大神・天照皇大神・大山祇命・木花咲耶姫命・岩長姫命の五柱を挙げている。『平成「祭」データ』や愛媛県神社庁の公式サイトには御祭神についての記述がない。
『特選神名牒』は『愛媛県注進状』の「大山祇命相殿木花開耶姫命」という記述を引用し、大山祇命とする。『明治神社誌料』も大山祇命・木花開耶媛命とする。
天御中主神(及び由緒書に従えば天照皇大神)は第二次大戦後の増祀であろう。
社号について
『平成「祭」データ』や愛媛県神社庁の公式サイトでは「黑嶋神社(黒嶋神社)」となっているが、一般には「黒嶋神宮」の名が使われている。
由緒書に「宗教法人法により独立を承認され、神社を神宮と改める」とあるので、第二次大戦後の宗教法人法施行時に単立神社となり、神宮を称するようになったのではないだろうか。現在は神社本庁に所属しているので、神社本庁の傘下に入るときに正式名称を神社に戻し、通称として神宮を用いているのではないかと思われるが、未確認。
御由緒
黒嶋神宮(黒嶋神社)は、新居浜市東部の黒島に鎮座する延喜式内社で、古くは新居郡伊王郷(井上郷)の総社であった。旧別当は真言宗の龍宝山明正寺(四国曼荼羅霊場29番)。
現在、神社が鎮座する黒島は本土と陸続きとなっているが、文政6年(1823)島の南部を干拓するまでは小島であった。東の大島との間は天然の良港湾を形成しており、漁業や海運が盛んだった。千石積以上の廻船持ちが多く、民家はすべて瓦葺きだったという。
社伝によれば、仁徳天皇の御代の創建とされる。
斉明天皇7年(611)、天皇が百済への救援に向かう途中、大田皇女が大伯の海と呼ばれていた燧灘の海上で産気いた。黒島に上陸し、当社に安産祈願をしたところ、霊験あらたかにして大伯皇女を安産した。これは木花咲耶姫命の御神徳によるものとされ、以来、安産守護の神として広く信仰を集めている。
延喜の制では小社に列格。菅原道真が太宰府に流される途中に奉幣祈願、また紀貫之は土佐守であったときに勅使として奉幣したと伝えられる。
南北朝時代、黒嶋神社祠官の黒島太夫は南朝の臣・吉野滝口三郎の孫で、祖父の意志を継いで南朝に奉仕、戦勝を祈願した。後醍醐天皇の皇子で征西将軍に任じられた懐良親王は、九州下向の砌、黒島に停泊して「面白と 神も珍らん 烏羽玉の 黒島かけて 出る月影」と詠んだ。現在もその御真筆が社宝として伝わっている。
江戸時代、西条藩主となった松平頼純は伊曽乃神社や一宮神社などとともに黒嶋神社を藩の祈願社六社(伊曽乃・石岡・黒島・一宮・村山・周敷)の一とし、高2石を寄進した。本殿は藩主の寄進によるもので、日向国の欅材を用い、3ヶ年を費やして完成した。
明治初年の近代社格制定に際して郷社に列格、昭和14年(1939)県社に昇格。昭和15年(1945)新居浜市の発展に伴い、当時の市長が当社の国幣社昇格に尽力したが、終戦により中止された。
第二次大戦後、宗教法人登記に際して独立し、黒嶋神宮と改称した。
安産の守り神
黒嶋神宮は、木花咲耶姫命の御神徳により、古くから安産守護の神として近郷の信仰を集める。西条藩の地誌である『西条誌』には「この神安産を守る。昔より当島産に艱ものなしと云。遠方よりも来り禱るもの多し」とある。また胎児の男女の判別の神事でも知られているという。
安産を願う人は、社殿脇にある安産石を一つ持ち帰り、願いが叶った御礼に二つにして返すと子どもが元気に成長すると伝えられる。
年賀厄除け参り
正月に参拝すると、石段を登ったところに赤鬼と青鬼の像が置かれている。年賀厄除け参りと称し、厄年の人は石段を登った後(還暦の人は下段から61段、42歳の人は中段から42段、33歳の人は上段から33段)、男性は青鬼を、女性は赤鬼を年の数だけ叩き払う。その後、拝殿に参入して正面の宝珠三体を順に抱きかかえて福徳を心身に移し、金幣をいただいて退出する。
写真帖
メモ
大島への市営渡海船が発着する黒島港の北側、旧別当明正寺の裏手に回ると黒嶋神社への参道がある。石段の途中にある鳥居は金属製で、平成13年(2001)の芸予地震で元の鳥居が倒壊した後に再建されたものという。
境内の玉垣等にはそうそうたる顔ぶれの寄進者の名が見られ、また、首相経験者をはじめ名士の参拝があり、揮毫も残されているところを見ると、当時の宮司が地方の一神社の枠に留まらない活動を展開していたことが推察できる。
初めての参拝は平成21年1月3日。正月であれば確実に宮司さんがいらっしゃるだろうと思って参拝した。期待通り宮司さんはいらっしゃったのだが、正月でお忙しいとのことで御朱印をいただくことはできなかった。そこで同年8月の規制の際に再び参拝し、無事に御朱印をいただくことができた。
ただしネット上の情報によれば、その後宮司さんが亡くなったようで、平成29年時点で御朱印はいただけなかったようである。
黒嶋神社の概要
名称 | 黒嶋神社 |
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通称 | 黒嶋神宮 |
旧称 | 黒島大明神 |
御祭神 | 大山祇命〔おおやまづみのみこと〕 木花咲耶姫命〔このはなさくやひめのみこと〕 天御中主神〔あめのみなかぬしのかみ〕 |
鎮座地 | 愛媛県新居浜市黒島二丁目106番 |
創建年代 | 伝・仁徳天皇の御代 |
社格等 | 式内社 旧県社 |
延喜式 | 伊豫國新居郡 黒嶋神社 |
例祭 | 旧暦9月8~9日 ※現在は新居浜市統一に合わせている(10月16~18日?) |
神事・行事 | 1月/歳旦祭 2月/祈年祭 6月/夏祭(輪くぐり) 12月/大祓 |
交通アクセス
□JR予讃線「多喜浜駅」より徒歩40分またはバス
■せとうちバス黒島行き「黒島」下車徒歩7分
□JR予讃線「新居浜駅」よりバス
■せとうちバス黒島行き「黒島」下車徒歩7分