隅田稲荷神社は、社伝によれば天文年間(1532~55)堀越公方・足利政知の遺臣・江川善左衛門雅門が一族とともに当地に逃れて善左衛門村を開いた際、伏見稲荷より御分霊を勧請し、村の鎮守としたことにはじまるとされる。文政13年(1830)伏見稲荷より神璽を受けての帰途、美濃国で悪鬼に襲われたが、8人の僧により助けられた。これに因んで八僧稲荷とも呼ばれ、災難除けの信仰を集める。
正式名称 | 稲荷神社〔いなりじんじゃ〕 |
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通称 | 隅田稲荷神社〔すみだ いなりじんじゃ〕 |
御祭神 | 宇迦之御魂命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都墨田区墨田4-38-13 [Mapion|googlemap] |
御朱印
平成19年に拝受した御朱印。中央上の朱印は「隅田稲荷社」、下は飛龍と「隅田川稲荷神社」。
御由緒
旧善左衛門村の鎮守。
社伝によれば、天文年間(1532~55)堀越公方・足利政知の家臣であった江川善左衛門雅門が主家滅亡後、一族郎党とともに当地に逃れて土地を開墾して村を開いた(善左衛門村)。善左衛門は信仰心篤く、伏見稲荷より御分霊を勧請し、村の鎮守とした。慶長年間(1596~1615)社殿を改築する。
文政13年(1830)関東惣司・妻恋神社の神主・斎部宿禰守俊の仲介により、山城国伏見稲荷の神璽を請い受けることとなり、氏子の人々が田地を奉納し、社殿を改築、境内を整備した。神璽を拝受して江戸へ帰る途中、美濃国で山賊に遭ったが、8人の僧が現れて危難を救った。戦前までは、この霊験に因んで八僧稲荷と称したという。
大正2年(1913)荒川の改修工事のため、現在地に遷座。昭和7年(1932)村社に昇格した。現在の社殿は昭和18年(1943)に改築されたものである。
当社は上記の伝承から災難除けの信仰が篤いほか、初午祭で授与される蒟蒻護符でも知られる。その昔、ノドケ(扁桃腺炎?)で苦しんでいた老婆が当社に祈願したところ、一人の老翁が現れ、コンニャクを青竹に刺して煮たものを与えられた。家に帰ってこれを食したところ、喉の痛みが取れて気持ちがよくなったため、同じものを拵えて神前に供え、お下がりをいただいて服用したところ、いつの間にか全快した。同じ病に苦しむ人にこれを教えると、皆快癒したので、毎年初午祭に授与するようになったという。
例大祭に渡御する万灯神輿は江川善左衛門の遺徳をたたえ、元治年間(1864~65)善左衛門開拓由来の錦絵を描いた万灯を神輿として担いだことに始まると伝えられる。大正4年(1915)中止されたが、昭和50年(1975)60年ぶりに再興された。
補足
八僧稲荷の由来について、神社の由緒書などでは文政13年に伏見稲荷の神璽を請い受けたとするが、昭和6年(1931)の『隅田町誌』などでは伊勢神宮外宮の神符としている。『隅田町誌』が編纂された昭和初期という時代背景を考えれば、伏見稲荷の神璽というのが本来の伝承であろうと思われる。
また、現社地への遷座について、神社の由緒では大正2年(1913)とするが、『隅田町誌』は大正5年(1916)とする。大正2年(1913)は荒川放水路の開削工事が始まった年であるが、万灯神輿が大正4年(1915)に中止されていることを考えると、同年まで旧地にあった神社で祭礼が行われ、同5年に新しい境内に遷ったと考えるのが妥当だろう。
写真帖
メモ
荒川(元の荒川放水路)近くの住宅街に鎮座する。境内は緑が多く、木造瓦葺きの拝殿とともに落ち着いた印象を与える。
隅田稲荷神社の概要
名称 | 稲荷神社 |
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通称 | 隅田稲荷神社 |
旧称 | 善左衛門稲荷神社 八僧稲荷 |
御祭神 | 宇迦之御魂命〔うがのみたまのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都墨田区墨田四丁目38番13号 |
創建年代 | 天文3年(1534) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 6月15日前の土・日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月上午の日/初午祭 6月30日/大祓 9月9日/鎮座祭 12月31日/大祓 |
交通アクセス
□東武伊勢崎線「鐘ヶ淵駅」より徒歩7分
□京成押上線「八広駅」より徒歩7分