白峰宮 | 香川県坂出市

白峰宮

白峰宮は、保元の乱に破れて讃岐に流された崇徳天皇を祀る。長寛2年(1164)二条天皇の宣旨により崇徳院を祀る御廟が営まれたことに始まる。江戸時代以前は摩尼珠院妙成就寺(天皇寺)と一体で、四国霊場79番札所であったが、明治の神仏分離により摩尼珠院は廃され、白峰宮となった。

正式名称 白峰宮〔しろみねぐう〕
御祭神 七十五代崇徳天皇
社格等 旧県社
巡拝等 四国八十八ヶ所旧79番札所 さぬき十五社9番
鎮座地 香川県坂出市西庄町1712 [Mapion|googlemap]
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目次

御朱印

  • 白峰宮の御朱印

    (1)

(1)平成19年拝受の御朱印。上の朱印は「白峰宮印」、下は「崇徳天皇社印」。

昔の御朱印

  • 摩尼珠院の納経

    (1)

  • 摩尼珠院の納経

    (2)

  • 摩尼珠院の納経

    (3)

  • 白峰宮の御朱印

    (4)

  • 白峰宮の御朱印

    (5)

(1)享保11年(1726)、崇徳天皇社・摩尼珠院の納経(御朱印)。揮毫は「奉納普門品 一巻 崇徳天皇本地/十一面大士宝前 讃州阿野郡/金花山/摩尼珠院/行者伊兵衛殿」。中央に朱印はない。左下の黒印は「華山」。

(2)明和6年(1769)、崇徳天皇社・摩尼珠院の納経(御朱印)。揮毫は「奉納經/崇徳院 御鎮座/本地十一面大士宝前/讃州/摩尼珠院/役人」。右上の朱印は「金華山」と勅願所であることを示す十六八重菊の御紋。左下は「天皇」か。

(3)万延2年(1861)、崇徳天皇社・摩尼珠院の納経(御朱印)。文字は版木押しで「奉納経/本尊十一面觀世音/崇德天皇御鎮座所/讃岐國金花山/摩尼珠院/行者丈」。中央の朱印は十六菊の御紋。右上は「四國七十九番」、左下は一文字だが判読できない。

(4)明治6年(1873)、白峰宮の納経(御朱印)。揮毫は「讃岐国/崇徳天皇鎮座所/野沢井執事」。中央の朱印は「白峰宮」(白の字が宝珠になっている)。右上は「七十九番跡」、左下は「野澤家廳」。
※四国八十八ヶ所の納経帳。明治の神仏分離で79番摩尼珠院が廃寺となり、住職が復飾して白峯宮の社司となった。79番札所は筆頭末寺の高照院(現在の天皇寺)が引き継いだが、当時は離れた場所にあったため、白峯宮の社司も79番旧跡として対応していたようだ。

(5)明治9年(1876)白峰宮の納経(御朱印)。文字は版木押しで「崇德天皇御鎮座所/弘法霊神/野澤井執事」。中央の朱印は菊の御紋。右上は「第七十九番旧跡」、左下は「野澤家廳」。
※四国八十八ヶ所の納経帳。向かいのページには七十九番札所として高照院の納経がある。当時は79番旧跡として、両方に参拝する遍路もいたのだろう。

御由緒

白峰宮は保元の乱に敗れ、讃岐に流されて「讃岐院」とも呼ばれた崇徳院を祀る。「白峰」の名は、崇徳院の白峰御陵に因むものであろう(京都には明治天皇の勅によって崇徳天皇の御霊を迎えた白峯神宮がある)。

崇徳院は、保元元年(1156)讃岐に流された。初めは当社近くにあった雲井御所〔くもいごしょ〕に滞在し、その後、讃岐国庁の木丸殿〔このまるでん〕に移された。

長寛2年(1164)8月、崇徳院が崩御されると、残暑の季節であったため、葬儀について朝廷からの指示を待つ間、当社近くにある弥蘇場〔やそば〕(八十場)の泉に御尊体を安置した。

この泉は野沢井とも称し、景行天皇の御代、南海の悪魚退治を命じられた讃留霊王〔さるれおう〕(日本武尊の子・武穀王〔たけかいこおう〕)が、八十八人の部下とともに悪魚の毒から蘇生したという伝説のある霊泉である。現在、弥蘇場の泉のそばには「崇徳天皇御殯斂〔ごひんれん〕御遺蹟」の碑が建てられている。

その後、朝廷からの指示により、御尊体は白峰山上で荼毘〔だび〕に付され、白峯寺に御陵が営まれたが、その間、当地の霊木に神光があった。そこで同年10月、二条天皇の宣旨により、崇徳院を祀る御廟が営まれ、金華山妙成就寺摩尼珠院が別当とされた。

それ以来、朝廷・武門の崇敬篤く、高倉天皇は讃岐国の稲税千束を寄進し、後土御門天皇は当社を勅願所とした。後嵯峨天皇は社殿を再建し、荘園を寄進している。

江戸時代までは妙成就寺摩尼珠院と一体となっており、四国霊場の79番札所であった。最古の四国遍路の案内書とされる真念法師の『四国辺路道指南』には「崇徳天皇」とある。また、妙成就寺は天皇ゆかりの寺ということで「天皇寺」と称されるようになった。

しかし、明治の神仏分離によって崇徳天皇社野沢井宮または崇徳天皇社明の宮〔あかりのみや〕となり、妙成就寺は廃寺となった。明治5年(1872)県社に列格し、白峰宮と改称した(神社明細帳には白峰神社となっていたようだ)。

なお、摩尼珠院の旧本尊・十一面観音(崇徳天皇の本地仏)と79番札所は筆頭末寺の高照院が引き継いだ。明治20年(1887)には現在地に移転し、金華山天皇寺を再興した。白峰宮と天皇寺高照院の境内がほぼ一体となっているのはそのためである。

境内にある御神木の楠は樹齢約500年で、香川県より保存木に指定されている。

写真帖

  • 三輪鳥居

    三輪鳥居

  • 御神木の楠

    御神木の楠

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

  • 「崇徳天皇御殯斂御遺蹟」の碑

    「崇徳天皇御殯斂御遺蹟」の碑

  • 弥蘇場の霊泉(野沢井)

    弥蘇場の霊泉(野沢井)

メモ

朱塗りの三輪鳥居をくぐると、参道の両側が四国79番霊場・天皇寺高照院の境内となっている。白峰宮の境内とほぼ一体のようになっているため、とまどうお遍路さんも多いようだ。
御朱印は平成19年の四国八十八ヶ所巡拝時、神社裏手の宮司さん宅でいただいた。しかし、夕刻であったためよい写真が撮れなかったため、後日、天皇寺の奥の院である金山の薬師に参拝した際、写真を撮るために参拝した。

白峰宮の概要

名称 白峰宮
旧称 崇徳天皇社野沢井宮 崇徳天皇明の宮 白峰神社 (崇徳天皇社・摩尼珠院)
御祭神 七十五代 崇徳天皇〔すとくてんのう〕
鎮座地 香川県坂出市西庄町1712番地
創建年代 長寛2年(1164)
社格等 旧県社
例祭 10月第1日曜日
神事・行事 1月1日/元旦祭
1月成人の日/トンド祭
5月第1日曜/春祭
9月21日/御霊祭(命日)
12月31日/年越祭
巡拝 四国八十八ヶ所旧79番札所 さぬき十五社9番

交通アクセス

□JR予讃線「八十場駅」より徒歩約5分

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