大洲神社は大洲城下の東、肱川畔の神楽山に鎮座する。古くは太郎宮と称し、元弘元年(1331)宇都宮豊房が大洲城を築いた際、城内の鎮守として宇都宮二荒山神社より勧請したことに始まる。以後、歴代領主の崇敬を受けた。大正3年(1914)久米神社と恵比須神社を合祀、大洲神社と改称した。
正式名称 | 大洲神社〔おおず じんじゃ〕 |
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御祭神 | 大国主命 事代主命 |
社格等 | 旧県社 |
鎮座地 | 愛媛県大洲市大洲417 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | https://oozujinja.jp/ |
御朱印
(1)
(2)
(1)平成20年拝受の御朱印。揮毫は「大洲市神楽山/大洲神社」。中央上の朱印は「大洲神社御璽」で、戦前に使われていた印とほぼ同じ。下は「大洲神社々務所印」。右上と左下は「大洲神社宮司印」。
(2)令和4年拝受の御朱印。揮毫は「伊予乃国大洲市大洲神楽山/大洲神社」。中央上の朱印は「大洲神社御印」、下は「大洲神社神楽山」。右上と左下は「大洲神社宮司印」。
昔の御朱印
(3)
(3)昭和16年(1941)の御朱印。上の朱印は「大洲神社御璽」、下は「縣社大洲神社社務所」。
御由緒
御祭神
■大国主命(大國様)
■事代主命(ゑびす様)
公式サイトや由緒書による。愛媛県神社庁の公式サイトには大国主命・事代主命・木花開耶姫命他6柱とある。
神社境内の掲示には大国主神・高皇産霊神・天照皇大神・高皇産霊神・神速須佐能男神・大物主神・少彦名神・大山積神・木花開耶姫神・事代主神とある。
『平成「祭」データ』は大国主神・事代主神・天照皇大神を主祭神とし、高皇産霊神・神速須佐能男神・大物主神・少彦名神・大山積神・木花咲耶姫神を合祀の神とする。大国主神は太郎宮、事代主神は恵比須神社の祭神なので、天照皇大神は久米神社の祭神ではないかと思われるが未確認。
御由緒
大洲神社は、大正3年(1914)古くから大洲城下に鎮座していた太郎宮・久米神社・恵比寿神社を合祀、大洲神社と改称したものである。
太郎宮は元弘元年(1331)伊予国守護に任じられた宇都宮豊房が地蔵ヶ岳城(後の大洲城)を築いた際、城内鎮守として故郷・宇都宮の二荒山神社より御分霊を勧請し、城内松の台に祀ったことを創祀とする。
もともと宇都宮氏は始祖の藤原宗円が前九年の役に際して戦勝を祈願し、その功によって宇都宮明神(宇都宮二荒山神社)の座主となって以来、宇都宮検校職として宇都宮二荒山神社を統括していた。
以後、歴代宇都宮氏はもちろん、宇都宮氏滅亡後に大洲城に入った戸田勝隆・藤堂高虎・脇坂安治らも当社を深く崇敬し、大洲藩の初代藩主となった加藤貞泰は当社を藩の祈願所とした。
宝永2年(1705)3代藩主・加藤泰恒は、一般の人々が参拝できるよう社殿を三の丸に遷座した。その後、さらに浮舟山・松岡へと遷された。
明治維新を迎えると太郎神社と改称し、郷社に列格した。しかし明治27年(1894)火災のため社殿等すべて焼失、明治39年(1906)小さな社殿が造営されたという。『明治神社誌料』では所在地が久米村大字大洲となっているので、現在の西大洲に鎮座していたようだ。
久米神社は明治4年(1871)旧藩主・加藤泰秋によって神楽山に創建された。現社地に鎮座していたものと思われる。
恵比須神社の創建は詳らかでない。当初は大洲城下の東端・比地町に鎮座していたが、文化4年(1807)10代藩主・加藤泰済が本町三丁目の角に遷したという。
大正3年(1914)これら3社を合祀。神楽山に奉斎して大洲神社と改称し、県社に昇格した。
平成22年(2010)拝殿を改築した。
1月に行われる十日ゑびすまつりは愛媛県下で行われる唯一の十日えびすとのこと。地元はもとより、県内外から多くの参拝者が訪れ、名物行事の大鯛撒きなどが行われる。
5月の例大祭は、かつては肱川を川船20艘で川下りし、大名行列の祭具で各地区を巡幸したが、現在は神輿3基などで神幸祭を執り行っている。
境内社
境内社の大半は境内北側の門の奥に集められている。
■天満神社
御祭神:菅原道真公
元弘元年(1331)筑前国(福岡県)の太宰府天満宮より勧請
■祖神社
御祭神:彦狭知命・手置帆負命
由緒不詳。一説には元弘元年(1331)の勧請とも。
■火防神社
御祭神:火産霊命
由緒不詳
■若宮神社
御祭神:人見淡雲神(宗忠神)
明治12年(1879)岡山県の宗忠神社より勧請。
■水金神社
御祭神:天御中主命・大穴持命
天御中主神は安政4年(1857)筑後国(福岡県)の水天宮より、大穴持神は慶長4年(1600)讃岐国(香川県)の金刀比羅宮より勧請
■稲荷神社
御祭神:豊受姫命
慶長元年(1596)常陸国(茨城県)の笠間稲荷神社より勧請。
写真帖
メモ
大洲まちの駅あさもやから東を見ると、大洲神社の鎮座する神楽山があり、境内に続く急な石段と昭和燈がある。昭和燈は昭和3年(1928)御大典記念として建立されたもので、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造、高さは12mあるという。肱川を望む境内東側には国の重要文化財に指定されている臥龍山荘がある。
神紋は藩主・加藤家の家紋である蛇の目紋を使っているようである。
境内には石のえびす神像や境内社がある。本社脇には瓦葺きの社殿があるが、瓦に蔓柏の神紋があるので、えびす様(事代主神)を祀っているのではないかと思われる。
初めての参拝は平成20年の正月。当時はまだ瓦葺きの旧拝殿であった。2度目の参拝は令和4年1月。境内は十日えびすの準備中であった。
大洲神社の概要
名称 | 大洲神社 |
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旧称 | 太郎宮 太郎神社 |
御祭神 | 大国主命〔おおくにぬしのみこと〕 事代主命〔ことしろぬしのみこと〕 天照皇大神〔あまてらすおおみかみ〕 〈相殿〉 高皇産霊神〔たかみむすびのかみ〕 神速須佐能男神〔かむはやすさのおのかみ〕 大物主神〔おおものぬしのかみ〕 少彦名神〔すくなひこなのかみ〕 大山積神〔おおやまつみのかみ〕 木花開耶姫神〔このはなさくやひめのかみ〕 |
鎮座地 | 愛媛県大洲市大洲神楽山417 |
創建年代 | 元弘元年(1331) |
社格等 | 旧県社 |
例祭 | 5月1日~3日 ※5月3日/御神幸祭 |
神事・行事 | 1月1日/新年祭 1月9日~10日/十日ゑびすまつり ※1月9日/宵ゑびす ※1月10日/本ゑびす ※1月11日/残ゑびす 2月5日/合祀記念祭 2月11日/紀元祭 7月土用の入り/夏越祭 8月8日/県社記念日祭 11月23日/新嘗祭 |
交通アクセス
□JR予讃線「伊予大洲駅」より徒歩25分、またはバス
■大洲市内循環バス(ぐるりんおおず)まちの駅あさもや下車徒歩約3分
■伊予鉄南予バス八幡浜港行き・大洲病院前行き「大洲本町」下車、徒歩約10分
■宇和島自動車新大洲病院前行き「大洲本町」下車、徒歩約10分
更新記録
2022.01.21.公開
2024.06.20.一部修正