関野天神社 | 東京都小金井市

関野天神社

小金井市東町に鎮座する天神社は関野新田南割(南関野)の鎮守。享保7年(1722)正月、関野新田の開発にあたり、守護神として創建されたと伝えられる。地名に因んで一般には関野天神社、あるいは南関野天神社と呼ばれる。

正式名称 天神社〔てんじんしゃ〕
御祭神 菅原道真公
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都小金井市東町2-12-8 [Mapion|googlemap]
あわせて読みたい
東都神社御朱印集 東京は江戸時代以来、約400年にわたり日本の中心として繁栄してきた。そのため、江戸幕府や明治政府から特別の崇敬を受けた重要な神社がいくつもある。また、多くの庶民...
目次

御朱印

関野天神社の御朱印

(1)

(1)令和3年(2021)拝受の御朱印。中央の朱印は「天神社印」、左下の印は「関野天神社」。

※御朱印は山王稲穂神社にていただける。

御由緒

社号額

御祭神

■菅原道真公…文道の祖神

『小金井市史』によれば、御神体は高さ約30cmの木像であるという。

由緒

境内

関野天神社は、関野新田南割(南関野)の鎮守。『神社明細帳』には「里老ノ口碑ニ享保7年正月中ノ創建ナリト申伝」とある。旧別当は北関野(現・関野町2)の慈眼山真蔵院(真言宗豊山派)であった。

関野新田は享保9年(1724)下小金井村の名主・関勘左衛門によって開発されたと伝えられる。大きく北と南の二ヶ所に分かれ、開発当初はそれぞれ北割(後に北関野)、南割(南関野)と呼ばれた。北関野は五日市街道の北側、現在の関野町1・2丁目あたり、南関野は連雀通りの北側、現在の東町2・3丁目あたりである。

天神社は、新田の開発にあたり、南関野の鎮守として享保7年(1722)の正月に創建されたとされる。特に由緒では触れられてないが、下小金井村の鎮守は天満宮(小金井神社)であり、そこから勧請された可能性も考えられるだろう。

文政13年(1830)の『新編武蔵風土記稿』には「除地一段歩、南の方飛地(南関野)の内にあり。上屋二間半に二間、中に小祠を置く。南向。例祭九月廿五日、南関野の鎮守なり。村内真蔵院の持なり」とある。

写真帖

社前風景
社前風景
庚申塔
庚申塔
手水舎
手水舎
参道
参道
御神木の梅
御神木の梅
拝殿
拝殿
神額
拝殿に掲げられた神額「天神社」
本殿(覆殿)
本殿(覆殿)

メモ

通称については鎮座地の旧称から関野天神社・南関野天神社、現在の町名から東町天神社などと呼ばれるが、ここでは御朱印に押されている印に従って「関野天神社」としておく。

連雀通りの北側に南面して鎮座する。斜め向かいには笠森稲荷神社がある。

境内に入ると庚申塔や御神木の梅がある。御神木の梅は昭和53年(1978)太宰府天満宮の飛び梅の枝を拝戴し、接ぎ木をしたものという。本殿は大きな覆殿の中にあり、中は見えない。

関野天神社の概要

名称 天神社
通称 関野天神社 南関野天神社 東町天神社
御祭神 菅原道真公〔すがわらのみちざねこう〕
鎮座地 東京都小金井市東町二丁目12番8号
創建年代 享保7年(1722)
社格等 旧無格社
例祭 9月25日に近い日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月節分/節分祭
2月25日/祈年祭
11月23日/新嘗祭
※『平成「祭」データ』による

交通アクセス

□西武多摩川線「新小金井駅」より徒歩約4分
□JR中央線「東小金井駅」より徒歩約14分

あわせて読みたい
北多摩地域の神社 旧官国幣社 大國魂神社 正式名称:大國魂神社 鎮座地:府中市宮町 府中市 小野神社 正式名称:小野神社 鎮座地:府中市住吉町 小金井市 山王稲穂神社 正式名称:稲穂神...

※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。
※掲載されている古い資料画像(納経帳、絵葉書等)について、特に引用元を明示したもの以外は管理者が所有する資料であり、無断使用はご遠慮ください。使用を希望される場合は管理者までご連絡ください。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次