天明3年(1783)大島家の先祖が現社地に勧請したことに始まる。以来、11代将軍徳川家斉をはじめ、武士から町人まで広く信仰を集めたという。明治12年(1879)崇敬者の大総代であった細川潤次郎男爵の協力で神社としての体裁を整えた。
正式名称 | 大國神社〔だいこくじんじゃ〕 |
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御祭神 | 大己貴命 |
社格等 | 旧無格社 |
鎮座地 | 東京都豊島区駒込3-2-11 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 駒込(JR山手線・東京メトロ南北線) バス停:駒込駅南口 |
公式サイト | http://www.daikokujinja.org/ |
御朱印
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(1)平成18年拝受の御朱印。中央の朱印は大判に「大國神社」、右上は「大國神社」、左下は「大國神社社務所印」。
(2)平成24年拝受の御朱印。朱印・揮毫ともに平成18年のものと同じ。
(3)平成28年、甲子の日に拝受した御朱印。中央の朱印は戦前に用いられていた印で、「大國神社(外の円が「大」、中央に「國」)参拝記念 省線駒込驛前」。省線は省線電車のことで、後の国電、現在のJRの大都市圏の近距離路線(山手線や京浜東北線など)を指す。右上は大判に「大國神社」、左下に「大國神社社務所印」。右下は御祭神に因む打ち出の小槌と兎のスタンプ。
(4)平成29年拝受の御朱印。平成28年のものとほぼ同じだが、右下のスタンプのデザインが少し違う。
昔の御朱印
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(1)明治17年(1884)の御朱印。中央と左下の朱印は同じもので、「東京上駒込 妙義坂上 大嶋吉國」。
(2)昭和9年頃の御朱印。中央の朱印は「大國主神社」、右上は「大國神社(外の円が「大」、中央に「國」)参拝記念 省線駒込驛前」、下は「社務所印」。
御由緒
大国神社は、妙義坂上の駒込駅前に鎮座する。氏子を持たない崇敬神社である。
もともと宮司・大島氏の先祖が下野国都賀郡大川島村(現・栃木県小山市大川島)の屋敷内に安置していた。天明3年(1783)に大島平八が下野国から駒込に移住した際、屋敷内に奉斎したことをもって創建とする。
以来、多くの人が参詣するようになり、大田南畝や新門辰五郎、文学博士・細川潤次郎男爵など武家から庶民まで広く信仰を集めたという。11代将軍徳川家斉も内々に崇敬していたと伝えられる。
明治9年(1876)従前通り諸人が参詣できるよう東京府に願い出た。明治12年(1879)5月10日に許可を受け、当時の崇敬者の大総代であった細川男爵の協力により、神社としての体裁を整えた。
なお、明治から戦前の御朱印を見ると「大国主神社」となっているが、『神社明細帳』その他の資料では「大国神社」となっている。
昭和20年(1945)空襲により社殿等が焼失したが、戦後、再建された。さらに平成23年(2011)社殿・社務所の建て替えと境内の整備が行われた。
写真帖
旧観(平成18年)
メモ
駒込駅のすぐそば、旧称・妙義坂上に鎮座する小さな社。氏子を持たない崇敬神社であるが、かつては広く信仰を集め、甲子祭に授与される大國像はよく知られていたようだ。
平成24年の6月の初め、もとの境内に群生していた紫陽花が咲いていないだろうかと思って参拝したところ、社殿が建て替えられ、境内の様子も一変していた。御朱印は変わっていないようである(平成24年現在)。
※その後、珍しい戦前の御朱印が使用されるようになった。また、神社のキャラクターである大吉うさぎと打ち出の小槌の印も押している(平成29年現在)。
大國神社の概要
名称 | 大國神社 |
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旧称 | 大國主神社 |
御祭神 | 大己貴命〔おおなむちのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都豊島区駒込三丁目2番11号 |
創建年代 | 天明3年(1783) |
社格等 | 旧無格社 |
例祭 | 5月10日(創立記念祭) |
神事・行事 | 甲子の日/甲子祭 毎月1日/開運千人講祈祷祭 |
交通アクセス
□JR山手線・東京メトロ南北線「駒込駅」より徒歩すぐ
更新情報
2006.01.29.公開
2009.03.10.更新
2013.02.11.更新、現代と昔の御朱印を追加、画像差し替え。
2017.06.26.更新、WPへ移行、御朱印・画像を追加。