近代社格制度における神宮及び官国幣社の御朱印の紹介。近代社格制度が制定された明治4年(1871)から廃止された昭和20年(1945)までの御朱印を掲載する。
ここでは官幣中社全23社のうち生田神社以下の12社の御朱印を紹介する。
神社の順序、掲載する御朱印の基準、各神社の説明の内容についてはこちらを参照。
各神社の画像はいずれも資料として収集した戦前の絵はがきである。
神宮及び官国幣社の御朱印一覧
生田神社
■生田神社
御祭神:稚日女尊
鎮座地:兵庫県神戸市神戸区下山手通(神戸市中央区下山手通)
社格:式内社(名神大 月次相嘗新嘗)
国史所載の神階:従三位勲八等
昇格:明治29年10月19日
※明治4年県社→明治18年官幣小社→明治29年官幣中社
公式サイト:https://ikutajinja.or.jp/
※絵はがき…昭和20年(1945)戦災で焼失した旧本殿
(1)明治9年(1876)の御朱印。中央の朱印は「璽」か。右上の印は「生田森」、左下は「活田」と思われる。墨書は「摂津國生田森/生田神社/社務所」。
(2)明治12年(1879)の御朱印。朱印は中央のみで(1)と同じ「璽」。墨書は「摂津國神戸港/生田神社/社務處」、(1)と同じ人の筆のようだ。
(3)大正8年(1919)の御朱印。中央の朱印は「生田神社」。右上の印は八重桜の神紋、左下は「官幣中社 生田神社 参拝之章」。墨書は「神戸市生田杜鎮座/官幣中社/生田神社」。
※令和元年(2019)の御代替記念に授与された御朱印は、この大正8年(1919)に授与された御朱印を元に復刻されたものである。
(4)大正12年(1923)の御朱印。中央の朱印は「生田神社」。上と下の印は(3)と同じ八重桜の神紋と「官幣中社 生田神社 参拝之章」。
(5)昭和4年(1929)の御朱印。朱印は(3)で使われているものと同じ八重桜の神紋と「官幣中社 生田神社 参拝之章」。
(6)昭和9年(1934)の御朱印。朱印は(3)出使われているものと同じ八重桜の神紋と「生田神社」。
(7)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。この印は昭和10年代半ばの一時期に使われていたようで、私の手許にはないが、おかもと氏の「昔の集印帖」に掲載されている。
長田神社
■長田神社
御祭神:事代主神
鎮座地:兵庫県神戸市林田区長田町(神戸市長田区長田町)
社格:式内社(名神大 月次相嘗新嘗)
国史所載の神階:従四位下勲八等
昇格:明治29年12月18日
※明治4年県社→明治18年官幣小社→明治29年官幣中社
公式サイト:https://nagatajinja.jp/
※絵はがき…寛文元年(1661)造営の旧社殿。大正13年(1924)火災で焼失し、昭和3年(1928)現在の社殿が造営された。手前には「チキンテンプル」の通称の由来となった鶏の姿も見える。
(1)明治12年(1879)の御朱印。書き置き。中央の朱印は判読しづらいが「摂津國〓〓〓長田社」と思われる。左下の印は判読できない。墨書は「摂津國八部郡/縣社/長田神社/社務所」。
(2)大正8年(1919)の御朱印。上の朱印は「官幣中社 長田神社」。下の印(スタンプ)は神使の鶏と「官幣中社長田神社 参拝紀念」。
※当時、長田神社の境内には鶏が神の使いとして放し飼いにされており、外国人からは「チキンテンプル」の名で親しまれたという。
(3)大正12年(1923)の御朱印。中央の朱印は「官幣長田社印」。上の印(スタンプ)は(2)と同じ神使の鶏と「官幣中社長田神社 参拝紀念」。下は「官幣中社長田神社」。
(4)昭和9年(1934)の御朱印。上の朱印は「長田神社」。下は「長田神社々務所」。
(5)昭和12年(1937)頃の御朱印。中央の朱印は(4)と同じ「長田神社」。右上は「官幣中社」。
(6)昭和10年代半ばから後半のものと思われるの御朱印。上は菊菱の神紋、下の朱印は「長田神社」。昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。
(7)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。
海神社
■海神社
御祭神:底津綿津見命、中津綿津見命、上津綿津見命
鎮座地:兵庫県神戸市須磨区西垂水町(神戸市垂水区宮本町)
社格:式内社(名神大 月次新嘗)
国史所載の神階:従五位上
昇格:明治30年3月9日
※明治4年国幣中社→明治30年官幣中社
公式サイト:http://kaijinjya.main.jp/
(1)明治9年(1876)の御朱印。中央の朱印は判読しづらいが「國幣中社海神社印章」か。左下の印は白抜きで「播磨國海神社社務所」。墨書は「播磨國明石郡垂水村/國幣中社/海神社/社務所」。
(2)明治12年(1879)の御朱印。中央の朱印は波に「海神社」。左下の印は(1)と同じ「播磨國海神社社務所」。墨書は「播磨國/國幣中社/海神社/社務所」。
(3)明治15年(1882)の御朱印、木版刷りの書き置き。中央の朱印は(2)と同じ「海神社」。左下の印は(1)と同じ「播磨國海神社社務所」。文字は木版で「播磨國國幣中社/海神社/社務所」。
(4)昭和4年(1929)の御朱印。中央の朱印は「海神社」で、(2)と同じものと思われる。左下の印は(1)と同じ「播磨國海神社社務所」。墨書は「官幣中社 海神社」。
(5)昭和5年(1930)の御朱印。中央の朱印は「官幣中社 海神社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。右上の印は「播磨 官幣中社」、左下は(1)と同じ「播磨國海神社社務所」。墨書は「播州垂水町/官幣中社 海神社」。
(6)昭和15年(1940)の御朱印。中央の朱印は(5)と同じ「官幣中社 海神社」。上の印は波に菊の神紋。
(7)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。
英彦山神社(英彦山神宮)
■英彦山神社
現在の社号:英彦山神宮
御祭神:忍骨命
※現在は正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命と表記
鎮座地:福岡県田川郡添田町英彦山
社格:-
昇格:明治30年3月9日
※明治4年国幣小社→明治23年官幣小社→明治30年官幣中社
公式サイト:https://hikosanjingu.or.jp/
(1)明治15年(1882)の御朱印。中央の朱印は「英彦山神社記」と思われる。左下は「社務所印」。墨書は「國幣小社/英彦山神社/社務所」。
(2)明治22年(1889)の御朱印。朱印は(1)と同じ「英彦山神社記」「社務所印」。墨書は「福岡縣豊前國田川郡彦山村鎮座/國幣小社/英彦山神社/社務所」。英彦山神宮の官幣小社昇格は翌年の明治23年。
(3)昭和9年(1934)の御朱印。中央の朱印は「英彦山神社印」。下の印は「英彦山神社社務所印」、右は「彦山」。
(4)昭和14年(1939)、上津宮(英彦山頂上の御本社)の御朱印。朱印は「英彦山神社上宮」。
(5)昭和17年(1942)、摂社・下津宮の御朱印。朱印は「英彦山神社下宮」。
(6)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。今のところ、写真を含めてこの印の実物を見たことはない。
厳島神社
■厳島神社
御祭神:市杵島姫命
※現在は市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命
鎮座地:広島県佐伯郡厳島町大西町(廿日市市宮島町)
社格:式内社(名神大)、安芸国一宮
国史所載の神階:従四位上
昇格:明治44年1月6日
※明治4年国幣中社→明治44年官幣中社
公式サイト:http://www.itsukushimajinja.jp/index.html
(1)明治11年(1878)の御朱印。中央の朱印は「厳嶋御社印」で、昭和17年の『惟神の礎』にもこれと同じ印影が掲載されている。左下の印は「厳島神社社務所之印」。墨書は「廣島縣安藝國管下厳島/國幣中社/厳島神社/社務所」。
※現在も使われている「厳嶋御社印」の印は、建暦2年(1212)の記載がある申文に押されている印影を復刻したものである。
(2)明治12年(1879)の御朱印。朱印は(1)と同じ「厳嶋御社印」「厳島神社社務所之印」。墨書は「安藝國佐伯郡/國幣中社/厳島神社/社務所」。
(3)明治39年(1906)はがきに押された御朱印(明治39年のはがきアルバム所収)。朱印は「厳嶋御社印」。
(4)大正8年(1919)の御朱印。中央と左下の朱印は(1)と同じ「厳嶋御社印」「厳島神社社務所印」。墨書は「安藝國/官幣中社厳島神社/社務所」。
(5)大正10年(1921)頃の御朱印。朱印は「厳島御社印」。
(6)昭和2年(1927)の御朱印。上の朱印は「厳嶋神社」。下は(1)と同じ「厳島神社社務所之印」。墨書は「安藝國みやじ満/官幣中社厳島神社」。
(7)昭和8年(1933)の御朱印。下の朱印は(6)と同じ「厳嶋神社」。上の印は三つ盛り二重亀甲に剣花菱の神紋、右に「安藝一之宮」。
(8)昭和14年(1939)の御朱印。朱印は「厳嶋御社印」。
(9)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。
住吉神社
■住吉神社
御祭神:表筒男命荒魂、中筒男命荒魂、底筒男命荒魂
鎮座地:山口県下関市一宮町(下関市一の宮住吉)
社格:式内社(名神大)、長門国一宮
国史所載の神階:正四位下
昇格:明治44年1月6日
※明治4年国幣中社→明治44年官幣中社
(1)明治14年(1881)の御朱印。中央の朱印は「住吉神社之印」、左下は「社務所印」。墨書は「山口県豊浦郡楠乃村鎮座/住吉荒魂本宮/國幣中社長門國/住吉神社社務所」。
(2)時期不詳、大正から昭和初めのものと思われる御朱印。中央の朱印は「官幣中社住吉神社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。右は「長門國一宮」。
(3)昭和17年(1942)の御朱印。朱印は(2)と同じ「官幣中社住吉神社」。
(4)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。
(5)大正7年~昭和8年に発行された重要文化財(旧国宝)の銅鐘の絵はがきだが、神代文字の朱印が押されている。印文はアヒルクサ文字で「スミノエ オホカミノ ミシルシ(住吉大神之御璽)」。御朱印として使われたものではないかと思われるが、確認できない。
吉備津神社
■吉備津神社
御祭神:大吉備津彦命
鎮座地:岡山県吉備郡真金町吉備中山(岡山市北区吉備津)
社格:式内社(名神大)、備中国一宮
国史所載の神階:二品
昇格:大正3年1月4日
※明治4年国幣中社→大正3年官幣中社
公式サイト:https://www.kibitujinja.com/
(1)明治9年(1876)の御朱印、木版刷りの書き置き。中央の朱印は判読できない。左下の印は「中山?宮」のようであるが、判読できない。文字部分は木版で、「國幣中社 備中國/吉備津彦神社」。
(2)明治12年(1879)の御朱印、木版刷りの書き置き。中央の朱印は判読できないが(1)と同じであろう。右上の印は「吉備中山」、左下は「社務所」。文字部分は木版で、「國幣中社 備中國/吉備津神社」。
(3)大正10年(1921)頃の御朱印。中央の朱印は「官幣中社吉備津神社」、左下は「官幣中社吉備津神社社務所」。
(4)時期不詳、大正期のものと思われる御朱印。中央の朱印は(3)と同じ「官幣中社吉備津神社」。右上は(2)と同じ「吉備中山」、左下は「社務所印」。
(5)昭和6年(1931)の御朱印。中央の朱印は「官幣中社吉備津神社」。右上の印は「三備一宮」、左下は「官幣中社吉備津神社社務所」。
(6)昭和17年(1942)の御朱印。中央の朱印は(3)と同じ「官幣中社吉備津神社」。右上は(5)と同じ「三備一宮」。左下は犬と鳥に「官幣中社吉備津神社 吉備中山」。
(7)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。現在の御朱印と同じだが、戦前・戦中のものは確認できていない。
伊太祁曽神社
■伊太祁曽神社
御祭神:大屋毘古神
※現在は五十猛命とする。大屋毘古神と五十猛命は別神だが同一神とされることもある。
鎮座地:和歌山県海草郡西山東村伊太祁曽(和歌山県和歌山市伊太祈曾)
社格:式内社(名神大 月次相嘗新嘗)、紀伊国一宮
国史所載の神階:従四位上勲八等
昇格:大正7年9月21日
※明治6年県社→明治18年国幣中社→大正7年官幣中社
公式サイト:https://itakiso-jinja.net/
(1)大正8年(1919)の御朱印。中央の朱印は「伊太祁曽神璽」。右上の印は龍の図、左下は「伊太祁曽神社社務所」。墨書は「官幣中社/伊太祁曽神社/社務所」。
(2)昭和4年(1929)の御朱印。上の朱印は「紀伊國山東社」。右下の印は「伊太祁曽神社 参拝紀念」、左下は「伊太祁曽神社社務所」。
(3)昭和15年(1940)の御朱印。朱印は「官幣中社伊太祁曽神社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。
(4)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。
熊野那智神社(熊野那智大社)
■熊野那智神社
※明治4年那智神社、その後熊野夫須美神社と改称、大正10年熊野那智神社と改称。
現在の社号:熊野那智大社
御祭神:家津御子神、熊野速玉神、熊野夫須美神
※熊野夫須美大神を主祭神とし、十二所の神を祀る。
鎮座地:和歌山県東牟婁郡那智町市野々(東牟婁郡那智勝浦町那智山)
社格:-
昇格:大正10年7月16日
※明治6年県社→大正10年官幣中社
公式サイト:https://kumanonachitaisha.or.jp/
(1)明治12年(1879)の御朱印。中央上の朱印は「熊墅夫須美神社」。右の印は「紀伊國牟婁郡那智結宮」、左下は「社務所印」。墨書は「結宮/縣社/熊野夫須美神社/社務所」。
(2)大正10年(1921)頃の御朱印。上の朱印は八稜鏡に「官幣中社熊野那智神社 参拝紀念」。下の印は「熊野那智神社社務所」。
(3)大正15年(1926)の御朱印。上の朱印は「熊野那智神社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。右下の印は「熊野 那智 参拝 記念」で、烏があしらわれている。左下は「紀伊熊野那智山鎮座」。
(4)昭和5年(1930)の御朱印。上、右下、左下の3つの印は(3)と同じ「熊野那智神社」「紀伊熊野那智山鎮座」「熊野 那智 参拝 記念」。右上は宝珠に「官幣中社」。墨書は「紀伊國那智山/熊野那智神社」
(5)昭和12年(1937)の御朱印。中央の朱印は「熊野那智神社」だが、(3)とは書体が違っている。右上は(3)と同じ「官幣中社」、左下は「那智社印」。
(6)昭和16年(1941)の御朱印。中央の朱印は「熊野那智神社」だが、(5)とは書体が違っている。下の印は(5)と同じ「那智社印」。
(7)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。
御上神社
■御上神社
御祭神:天之御影命
鎮座地:滋賀県野洲郡三上村三上(滋賀県野洲市三上)
社格:式内社(名神大 月次新嘗)
国史所載の神階:従三位
昇格:大正13年2月11日
※明治9年郷社→大正2年県社→大正13年官幣中社
公式サイト:http://www.mikami-jinja.jp/
(1)昭和2年(1927)の御朱印。中央の朱印は「官幣中社御上神社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。右上の印は「近江國野洲郡三上村鎮座」。
(2)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。
台南神社(※廃社)
■台南神社
御祭神:能久親王
鎮座地:台湾・台南市南門町
社格:-
列格:大正14年10月31日(大正12年10月27日創立)
※昭和20年廃社
(1)昭和4年(1929)の御朱印。上の朱印は「臺南神社」。下の印は「官幣中社臺南神社社務所印」。
(2)昭和5年(1930)の御朱印。上の朱印は「臺南神社」だが、(1)とは書体が違う。下の印は「官幣中社臺南神社社務所印」。
(3)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。私の手許にこの印はないが、おかもと氏の「昔の集印帖」に掲載されている。
坐摩神社
■坐摩神社
御祭神:生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神
鎮座地:大阪府大阪市東区渡辺町(大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺)
社格:式内社(大 月次新嘗)
国史所載の神階:従四位下勲八等
昇格:昭和11年5月21日
※明治4年府社→昭和11年官幣中社
公式サイト:http://www.ikasuri.or.jp/
※絵はがき…官幣中社昇格に伴って造営された旧社殿。昭和20年(1945)に空襲で焼失した。現社殿はこの時の社殿を模して昭和34年(1959)に再建された。
(1)大正10年代の御朱印。上の印は鷺丸の神紋、下は「坐摩神社」。
(2)昭和3年(1928)の御朱印。下の朱印は「坐摩神社」。上の印は「参拝記念」。
(3)昭和10年(1935)の御朱印。下の朱印は「坐摩宮印」。上は鷺丸の神紋。
(4)昭和10年代の御朱印。下の朱印は「坐摩神社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。上の印は「官幣中社」。
(5)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。
【1】神宮・官幣大社の御朱印(1)
【2】官幣大社の御朱印(2)
【3】官幣大社の御朱印(3)
【4】官幣大社の御朱印(4)
【5】官幣大社の御朱印(5)
【6】国幣大社の御朱印
【7】官幣中社の御朱印(1)
【8】官幣中社の御朱印(2)
【9】国幣中社の御朱印(1)
【10】国幣中社の御朱印(2)
【11】国幣中社の御朱印(3)
【12】官幣小社の御朱印
【13】国幣小社の御朱印(1)
【14】国幣小社の御朱印(2)
【15】国幣小社の御朱印(3)
【16】別格官幣社の御朱印(1)
【17】別格官幣社の御朱印(2)
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