官幣大社の御朱印(4)

 近代社格制度における神宮及び官国幣社の御朱印の紹介。近代社格制度が制定された明治4年(1871)から廃止された昭和20年(1945)までの御朱印を掲載する。

ここでは官幣大社全64社のうち平安神宮以下の15社の御朱印を紹介する。

神社の順序、掲載する御朱印の基準、各神社の説明の内容についてはこちらを参照。

各神社の画像はいずれも資料として収集した戦前の絵はがきである。
神宮及び官国幣社の御朱印一覧

昔の納経帳・集印帖
これまで資料として収集してきた江戸時代から昭和に至る納経帳や御朱印を紹介する。御朱印の歴史や意義に関する議論の混乱は、実際の資料を見ることなく想像で語る人が多いことが大きな要因だと考える。実物を確認すれば自ずと整理されていくだろう。まだまだ...

平安神宮

平安神宮

大極殿(大正7年~昭和8年)

平安神宮
御祭神:桓武天皇、孝徳天皇
鎮座地:京都府京都市左京区岡崎西天王町
社格:勅祭社
創立・列格:明治27年6月29日(明治28年3月15日鎮座)
公式サイト:http://www.heianjingu.or.jp/

■御朱印

  • 平安神宮の御朱印

    (1)

  • 平安神宮の御朱印

    (2)

  • 平安神宮の御朱印

    (3)

  • 平安神宮の御朱印

    (4)

  • 平安神宮の御朱印

    (5)

(1)明治40年(1907)の御朱印。中央の朱印は「平安神宮」、左下の印は「平安神宮社務所之印」。墨書は「京都市岡崎町鎮座/官幣大社/平安神宮/社務所」。

(2)大正15年(1926)の御朱印。上の朱印は「官幣大社平安神宮」、下は「大極殿」。

(3)昭和10年(1935)頃の御朱印。上の朱印は「平安神宮」、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。下は「大極殿」。

(4)昭和17年(1942)の御朱印。朱印は(3)と同じ「平安神宮」。

(5)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

氣比神宮

気比神宮

本殿(大正7年~昭和8年)

氣比神宮
※旧称氣比神社、明治28年(1895)氣比神宮と改称
御祭神:伊奢沙別命、日本武尊、帯中津彦命、息長帯姫命、誉田別命、豊姫命、武内宿禰命
鎮座地:福井県敦賀市曙町
社格:式内社(名神大)、越前国一宮
国史所載の神階:従一位勲一等
昇格:明治28年1月4日
※明治4年国幣中社→明治28年官幣大社
公式サイト:https://kehijingu.jp/

※絵はがき…慶長19年(1614)造営の旧本殿(旧国宝)。昭和20年(1945)空襲で焼失。

■御朱印

  • 気比神宮の御朱印

    (1)

  • 気比神宮の御朱印

    (2)

  • 気比神宮の御朱印

    (3)

  • 気比神宮の御朱印

    (4)

(1)大正10年(1921)頃の御朱印。中央の朱印は「官幣大社 氣比神宮」。右上の印は「官幣大社氣比神宮/参拝紀念」。左下は「官幣大社氣比神宮社務所印」。

(2)昭和5年(1930)の御朱印。中央の朱印は「官幣大社 氣比神宮」、デザインは(1)とほぼ同じだが、サイズが違う。昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。左下の印は(1)と同じ「官幣大社氣比神宮社務所印」。

(3)昭和17年(1942)の御朱印。朱印は(2)と同じ「官幣大社 氣比神宮」。

(4)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

鹿児島神宮

鹿児島神宮

社殿(昭和8年~昭和20年)

■鹿児島神宮
※旧称は正八幡宮、明治4年(1871)鹿児島神社、明治7年(1874)鹿児島神宮と改称
御祭神:天津日高彦穂々手見命
鎮座地:鹿児島県姶良郡隼人町内(霧島市隼人町内)
社格:式内社(大)、大隅国一宮
国史所載の神階:-
昇格:明治28年10月19日
※明治4年国幣中社→明治7年官幣中社→明治28年官幣大社
公式サイト:https://kagoshima-jingu.jp/

■御朱印

  • 鹿児島神宮の御朱印

    (1)

  • 鹿児島神宮の御朱印

    (2)

  • 鹿児島神宮の御朱印

    (3)

  • 鹿児島神宮の御朱印

    (4)

(1)明治21年(1888)の御朱印。中央の朱印は「寶璽」、左下の印は「鹿兒嶌神宮印」。墨書は「大隅國一之宮/官幣中社鹿兒島神宮」。

(2)時期不詳の御朱印、大正末から昭和初期のものと思われる。朱印は「鹿児島神宮印」。

(3)昭和16年(1941)の御朱印、A5サイズより少し小さい超大判の集印帖。中央の朱印は(2)と同じ「鹿児島神宮印」。右上の印は「大隅國一ノ宮」、下の印は「潮満珠 潮乾珠」。

(4)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

鵜戸神宮

鵜戸神宮

本殿(大正7年~昭和8年)

■鵜戸神宮
※明治2年(1869)鵜戸神社、明治7年(1874)鵜戸神宮と改称
御祭神: 日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊
鎮座地:宮崎県南那珂郡鵜戸村宮浦(日南市宮浦)
社格:-
昇格:明治28年10月19日
※明治7年官幣小社→明治28年官幣大社
公式サイト:https://www.udojingu.com/

■御朱印

  • 鵜戸神宮の御朱印

    (1)

  • 鵜戸神宮の御朱印

    (2)

  • 鵜戸神宮の御朱印

    (3)

(1)明治21年(1888)の御朱印。中央の朱印は十六八重菊の御紋と「鵜戸神宮神璽」。左下の印は「鵜戸神宮社務所」。墨書は「日向國南那珂郡宮浦村/官幣小社/鵜戸神宮/社務所」。

(2)昭和5年(1930)の御朱印。上の朱印は「官幣大社鵜戸神宮」、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。下の印は「鵜戸神宮社務所」。

(3)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

浅間神社(富士山本宮浅間大社)

富士山本宮浅間大社

全景(大正7年~昭和8年)

■浅間神社
現社号:富士山本宮浅間大社
御祭神:木花咲耶姫命
鎮座地:静岡県富士宮市大宮町(富士宮市宮町)
社格:式内社(名神大)、駿河国一宮
国史所載の神階:正三位
昇格:明治29年7月8日
※明治4年国幣中社→明治29年官幣大社
公式サイト:http://fuji-hongu.or.jp/sengen/

■御朱印

  • 富士山本宮浅間大社の御朱印

    (1)

  • 富士山本宮浅間大社の御朱印

    (2)

  • 富士山本宮浅間大社の御朱印

    (3)

  • 富士山本宮浅間大社の御朱印

    (4)

  • 富士山本宮浅間大社の御朱印

    (5)

(1)大正14年(1925)の御朱印。中央の朱印は「官幣大社淺間神社印」。右上の印は「冨士本宮」、左下は「官幣大社淺間神社社務所印」。

(2)大正15年(1926)の御朱印。朱印は富士山と「官幣大社 本宮之印」。この頃は複数の朱印が使われていたのではないかと思われる。

(3)昭和10年(1935)頃の御朱印。中央の朱印は(1)と同じ「官幣大社淺間神社印」、右上は棕櫚の葉の神紋。

(4)昭和11年(1936)の御朱印。朱印は「淺間大社」、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。

(5)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

建部神社(建部大社)

建部大社

本殿・権殿(昭和8年~昭和20年)

■建部神社
現社号:建部大社
御祭神:日本武尊
※現在は本殿に祀る日本武尊、権殿に祀る大己貴命を主祭神とする
鎮座地:滋賀県栗太郡瀬田町神領(大津市神領)
社格:式内社(名神大)、近江国一宮
国史所載の神階:従四位上
昇格:明治32年7月7日
※明治9年県社兼郷社→明治18年官幣中社→明治32年官幣大社
公式サイト:http://takebetaisha.jp/

■御朱印

  • 建部大社の御朱印

    (1)

  • 建部大社の御朱印

    (2)

  • 建部大社の御朱印

    (3)

  • 建部大社の御朱印

    (4)

  • 建部大社の御朱印

    (5)

(1)明治13年(1880)の御朱印。中央に朱印はない。左下の印は判読しづらいが「建部社印」か。墨書は「近江國一宮/縣社兼郷社/建部神社/社務所」。

(2)昭和2年(1927)の御朱印。上の朱印は「官幣大社/武運長久/建部神社」。下の印は「近江國一宮建部大社」。

(3)昭和7年(1932)の御朱印。上の朱印は「官幣大社建部神社」、下の印は(2)と同じ

(4)昭和18年(1943)の御朱印。朱印は「官幣大社建部大社」、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。

(5)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

札幌神社(北海道神宮)

北海道神宮

拝殿(昭和8年~昭和20年)

■札幌神社
現社号:北海道神宮
御祭神:大國魂神、大己貴神、少彦名神
※昭和39年(1964)明治天皇を増祀
鎮座地:北海道札幌市宮ヶ丘町(札幌市中央区宮ヶ丘)
創立:明治2年(明治4年現社地に鎮座、札幌神社と命名)
昇格:明治32年7月7日
※明治4年国幣小社→明治5年官幣小社→明治26年官幣中社→明治32年官幣大社
公式サイト:http://www.hokkaidojingu.or.jp/

■御朱印

  • 北海道神宮の御朱印

    (1)

  • 北海道神宮の御朱印

    (2)

  • 北海道神宮の御朱印

    (3)

  • 北海道神宮の御朱印

    (4)

(1)大正15年(1926)の御朱印。上の印は「北海道総鎮守」、下は「官幣大社札幌神社」。

(2)昭和5年(1930)の御朱印。朱印2種は(1)と同じ。墨書は「官幣大社札幌神社」。

(3)昭和23年(1948)の御朱印。朱印は「札幌神社」。戦後の御朱印だが、昭和10年代後半には使われていたようで、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。

(4)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

※おかもと氏の「昔の集印帖」には、これらとは別の朱印が掲載されている。

宗像神社(宗像大社)

宗像大社

辺津宮拝殿・本殿(昭和8年~昭和20年)

宗像大社中津宮沖津宮

中津宮・沖津宮(大正7年~昭和8年)

■宗像神社
現社号:宗像大社
御祭神:多岐都姫命(辺津宮)、多岐理姫命(中津宮)、市杵島姫命(沖津宮)
鎮座地:〈辺津宮〉福岡県宗像郡田島村田島(宗像市田島)
〈中津宮〉福岡県宗像郡大島村大島(宗像市大島)
〈沖津宮〉福岡県宗像郡大島村沖ノ島(宗像市大島沖ノ島)
社格:式内社(名神大)
国史所載の神階:正二位勲八等
昇格:明治34年7月11日
※明治4年国幣中社→明治18年官幣中社→明治34年官幣大社
公式サイト:https://munakata-taisha.or.jp/

■御朱印

  • 宗像大社の御朱印

    (1)

  • 宗像大社の御朱印

    (2)

  • 宗像大社の御朱印

    (3)

  • 宗像大社沖津宮の御朱印

    (4)

  • 宗像大社の御朱印

    (5)

  • 宗像大社の御朱印

    (6)

(1)明治14年(1881)の御朱印。中央の朱印は「宗像邊津宮印」。左下の印は「邊津宮社務所印」。墨書は「国幣中社/宗像神社/社務所」。

(2)明治23年(1890)の御朱印。中央の朱印は判読しづらいが「官幣中社/宗像神社之印」か。左下の印は「宗像神社社務所印」。墨書は「福岡縣筑前國宗像郡田島村/官幣中社/宗像神社/社務所」。

(3)時期不詳、大正末から昭和初期のものと思われる御朱印。中央の朱印は「官幣大社宗像神社」。右の印は「福岡縣宗像郡田島鎮座」、下は「宗像神社社務所之印」。

(4)昭和7年(1932)沖津宮の御朱印。上の朱印は「官幣大社宗像神社瀛津宮」、下の印は「宗像神社沖津宮社務所」。

(5)昭和9年(1934)頃の御朱印。朱印は「官幣大社宗像神社」、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。

(6)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

吉野神宮

吉野神宮

拝殿・本殿(明治40年~大正7年)

■吉野神宮
※明治25年(1892)吉野宮として創建、大正7年(1918)吉野神宮と改称
御祭神:後醍醐天皇
鎮座地:奈良県吉野郡吉野町吉野山
創立:明治22年6月28日(明治25年9月27日鎮座)
昇格:明治34年8月8日
※明治22年官幣中社→明治34年官幣大社
公式サイト:https://www.naranet.co.jp/yoshinojingu/

※絵はがき…昭和2~3年(1927~28)の改築以前の社殿。

■御朱印

  • 吉野神宮の御朱印

    (1)

  • 吉野神宮の御朱印

    (2)

  • 吉野神宮の御朱印

    (3)

  • 吉野神宮の御朱印

    (4)

  • 吉野神宮の御朱印

    (5)

  • 吉野神宮の御朱印

    (6)

(1)昭和2年(1927)の御朱印。上の朱印は「吉野神宮」、下の印は桜の神紋。

(2)時期不詳の御朱印、昭和初期か。上の朱印は桜の神紋、下は「吉野神宮」。

(3)昭和9年(1934)の御朱印。下の朱印は「吉野神宮」。上は建武中興六百年の記念スタンプ。

(4)昭和17年(1942)の御朱印。上の朱印は桜の神紋、下は「吉野神宮」。

(5)昭和10年(1935)頃、奈良県神職会が作成した「御印集」という御朱印カード。上の朱印は「吉野神宮」だが、上のどの印とも違っている。下は桜の枠に「大和吉野山鎮座」。

(6)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。(1)~(5)のどの印とも違っている。

吉野神宮の絵はがき

(7)

(7)明治40年~大正7年に発行された絵はがき。ここに押された「吉野宮」の印は、大正7年の改称以前に使われた朱印ではないかと思われるが、現時点では確認できない。

台湾神宮(※廃社)

台湾神社

全景(昭和8年~昭和20年)

■台湾神宮
明治34年(1901)台湾神社として創建、昭和19年(1944)台湾神宮と改称
御祭神:大國魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王、天照大神
鎮座地:台湾・台北市大宮町
創立・列格:明治33年9月13日(明治34年10月27日鎮座)
※昭和20年8月廃社

■御朱印

  • 台湾神社の御朱印

    (1)

  • 台湾神社の御朱印

    (2)

  • 台湾神社の御朱印

    (3)

  • 台湾神社の御朱印

    (4)

(1)昭和4年(1929)頃の御朱印。上の朱印は「臺灣神社」、下の印は「官幣大社臺灣神社社務所印」。

(2)昭和6年(1931)の御朱印。上の朱印は「官幣大社臺灣神社」、下の印は「官幣大社台湾神社社務所印」で、(1)に使われている印と同じ。

(3)昭和10年(1935)頃の御朱印。上の朱印は「官幣大社臺灣神社印」、(2)と似ているが、少し違っている。昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。下の印は(1)と同じ「官幣大社台湾神社社務所印」。

(3)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

樺太神社(※廃社)

樺太神社

全景(大正7年~昭和8年)

■樺太神社
御祭神:大國魂命、大己貴命、少彦名命
鎮座地:樺太・豊原市旭ヶ岡町
創立・列格:明治43年7月29日(明治44年8月22日鎮座)
※昭和20年8月廃社

■御朱印

  • 樺太神社の御朱印

    (1)

  • 樺太神社の御朱印

    (2)

  • 樺太神社の御朱印

    (3)

(1)昭和2年(1927)の御朱印。中央の朱印は「樺太神社」。右上は白樺の神紋、左下は「官幣大社樺太神社章」。

(2)時期不詳、昭和初期から10年代の御朱印であろう。朱印は「官幣大社樺太神社」、昭和17年の『惟神の礎』二はこの印が掲載されている。

(3)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

月山神社

月山神社

山頂本社(昭和8年~昭和20年)

■月山神社
※現在は出羽神社・湯殿山神社とあわせて出羽三山神社と総称
御祭神:月読命
鎮座地:山形県東田川郡立谷沢村立谷沢(東田川郡庄内町立谷沢)
社格:式内社(名神大)
国史所載の神階:従二位勲四等
昇格:大正3年1月4日
※明治7年国幣中社→明治18年官幣中社→大正3年官幣大社
公式サイト:http://www.dewasanzan.jp/

■御朱印

  • 出羽三山神社の御朱印

    (1)

  • 出羽三山神社(月山神社)の御朱印

    (2)

  • 出羽三山神社(月山神社)の御朱印

    (3)

  • 出羽三山神社の御朱印

    (4)

(1)時期不詳、昭和初期のものと思われる御朱印。朱印は「國幣出羽神社/官幣月山神社/國幣湯殿山神社」。月山神社・出羽神社・湯殿山神社共通の御朱印で、羽黒山の三山合祭殿(出羽神社)で授与されていたか、各神社で授与されていたかはわからない。昭和17年の『惟神の礎』にもこの印が掲載されている。

(2)昭和7年(1932)の御朱印。朱印は月山と月に「月山山頂」。同一規格で羽黒山・湯殿山・出羽三山の印がある。

(3)昭和23年(1948)の御朱印。朱印は「官幣大社月山神社璽」。戦後の御朱印だが「官幣大社」とあるので、終戦以前に作成されたものであろう。

(4)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

多賀神社(多賀大社)

多賀大社

本殿(大正7年~昭和8年)

■多賀神社
現社号:多賀大社
御祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命
鎮座地:滋賀県犬上郡多賀町多賀
社格:式内社(小)
国史所載の神階:-
昇格:大正3年1月4日
※明治4年県社兼郷社→明治18年官幣中社→大正3年官幣大社
公式サイト:http://www.tagataisya.or.jp/

※絵はがき…文化5年(1808)造営の旧本殿。昭和初めの大造営に伴い、豊郷町の白山神社本殿として移築された(現存)。

■御朱印

  • 多賀大社の御朱印

    (1)

  • 多賀大社の御朱印

    (2)

  • 多賀大社の御朱印

    (3)

  • 多賀大社の御朱印

    (4)

  • 多賀大社の御朱印

    (5)

(1)明治13年(1880)の御朱印。中央の朱印は「多賀大神御璽」。左下の印は「多賀神社社務所之印」。墨書は「縣社淡海国/多賀神社/社務所」。

(2)大正13年(1924)に発行された『神社山陵参拝記』(朝日新聞社)の付録「神社山陵印譜」に収録された御朱印。朱印は「多賀神社」。

(3)昭和7年(1932)の御朱印。中央の朱印は「多賀大社」。右上の印は「日之少宮」。

(4)昭和14年(1939)の御朱印。朱印は(3)と同じ「多賀大社」。

(5)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。印文は「多賀大社」だが、(2)~(4)の印とは違っている。

阿蘇神社

阿蘇神社

楼門(大正7年~昭和8年)

■阿蘇神社
御祭神:健磐龍命
鎮座地:熊本県阿蘇郡宮地町宮園(阿蘇市一の宮町宮地)
社格:式内社(名神大)、肥後国一宮
国史所載の神階:正二位勲五等
昇格:大正3年1月4日
※明治4年国幣中社→明治23年官幣中社→大正3年官幣大社
公式サイト:http://asojinja.or.jp/

※「11.10.21.」というメモがあり、大正11年に参拝、購入したものと思われる。

■御朱印

  • 阿蘇神社の御朱印

    (1)

  • 阿蘇神社の御朱印

    (2)

  • 阿蘇神社の御朱印

    (3)

  • 阿蘇神社の御朱印

    (4)

(1)明治20年(1887)の御朱印。中央の朱印は「國幣中社」、左下は「社務所之印」。墨書は「肥後国阿蘇郡宮地鎮座/國幣中社/阿蘇神社/社務所」。

(2)大正13年(1924)に発行された『神社山陵参拝記』(朝日新聞社)の付録「神社山陵印譜」に収録された御朱印。印文は「阿蘇大神御璽」。

(3)昭和10年(1935)の御朱印。中央の朱印は「官幣大社阿蘇神社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。右の印は「肥後阿蘇山麓鎮座」、下は「官幣大社阿蘇神社社務所印」。

(4)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

筥崎宮

筥崎宮

伏敵門(大正7年~昭和8年)

■筥崎宮
御祭神:応神天皇
鎮座地:福岡県福岡市箱崎町(福岡市東区箱崎)
社格:式内社(名神大)、筑前国一宮
国史所載の神階:-
昇格:大正3年1月4日
※明治5年県社→明治18年官幣中社→大正3年官幣大社
公式サイト:https://www.hakozakigu.or.jp/

■御朱印

  • 筥崎宮の御朱印

    (1)

  • 筥崎宮の御朱印

    (2)

  • 筥崎宮の御朱印

    (3)

  • 筥崎宮の御朱印

    (4)

  • 筥崎宮の御朱印

    (5)

  • 筥崎宮の御朱印

    (6)

(1)明治14年(1881)の御朱印。中央の朱印は「筥崎宮印」、左下は「筥崎宮社務所」。墨書は「筑前國一宮縣社/箱崎宮」。

(2)明治22年(1889)の御朱印、木版刷りの書き置き。朱印2種は(1)と同じ。文字は木版で、「筑前一宮/官幣中社筥崎宮」。

(3)昭和2年(1927)の御朱印。中央の朱印は「官幣大社筥崎宮印」、昭和17年の『惟神の礎』に掲載されている印は、この印の四隅が欠けていったものではないかと思われる。右の印は「筑前箱崎町鎮座」、下は「官幣大社筥崎宮社務所印」。

(4)昭和13年(1938)頃の御朱印。朱印は「官幣大社筥崎宮/参拝記念」。

(5)昭和17年(1942)の御朱印。朱印は「官幣大社筥崎宮印」、(3)の印の四隅が欠けたものと思われる。同年発行の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。
※昭和10年前後は諸大社の印が「参拝記念」の印から社号印に変わっているが、その中で筥崎宮は(4)の参拝記念印に変えている。そのため、短期間で古い印に戻したのではないかと推測している。

(6)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

神宮及び官国幣社の御朱印一覧
これまで資料として収集してきた昔の御朱印より、近代社格制度における神宮及び官国幣社の当時の御朱印を紹介する。原則として明治から昭和20年までの御朱印を掲載するが、一部は昭和20年代の御朱印を掲載している。 すべての官国幣社の御朱印が揃ったわ...

【1】神宮・官幣大社の御朱印(1)
【2】官幣大社の御朱印(2)
【3】官幣大社の御朱印(3)
【4】官幣大社の御朱印(4)
【5】官幣大社の御朱印(5)
【6】国幣大社の御朱印
【7】官幣中社の御朱印(1)
【8】官幣中社の御朱印(2)
【9】国幣中社の御朱印(1)
【10】国幣中社の御朱印(2)
【11】国幣中社の御朱印(3)
【12】官幣小社の御朱印
【13】国幣小社の御朱印(1)
【14】国幣小社の御朱印(2)
【15】国幣小社の御朱印(3)
【16】別格官幣社の御朱印(1)
【17】別格官幣社の御朱印(2)

コメント

タイトルとURLをコピーしました