国幣中社の御朱印(1)

 近代社格制度における神宮及び官国幣社の御朱印の紹介。近代社格制度が制定された明治4年(1871)から廃止された昭和20年(1945)までの御朱印を掲載する。

ここでは国幣中社全47社のうち敢國神社以下の16社の御朱印を紹介する。

神社の順序、掲載する御朱印の基準、各神社の説明の内容についてはこちらを参照。

各神社の画像は一部を除き、いずれも資料として収集した戦前の絵はがきである。
神宮及び官国幣社の御朱印一覧

昔の納経帳・集印帖
これまで資料として収集してきた江戸時代から昭和に至る納経帳や御朱印を紹介する。御朱印の歴史や意義に関する議論の混乱は、実際の資料を見ることなく想像で語る人が多いことが大きな要因だと考える。実物を確認すれば自ずと整理されていくだろう。まだまだ...

敢國神社

敢國神社

全景(昭和8年~昭和20年)

敢國神社
御祭神:敢国津神
※現在は大彦命とする。
鎮座地:三重県阿山郡府中村一之宮(伊賀市一之宮)
社格:式内社(大)、伊賀国一宮
国史所載の神階:正五位下
列格:明治4年5月14日
公式サイト:https://aekuni.jp/

御朱印

  • 敢国神社の御朱印

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  • 敢国神社の御朱印

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  • 敢國神社の御朱印

    (3)

(1)時期不詳の御朱印。中央の朱印は「敢國神社」、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。中央上の印は流れ巴の神紋。右上は「一宮」と「国幣中社」。

(2)昭和17年(1942)の御朱印。朱印は「敢國神社」。

(3)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

浅間神社

甲斐一宮浅間神社

社殿(大正7年~昭和8年)

浅間神社
御祭神:木花開耶比咩命
鎮座地:山梨県東八代郡一宮村一宮(山梨県笛吹市一宮町一宮)
社格:式内論社(名神大)、甲斐国一宮
国史所載の神階:-
列格:明治4年5月14日
公式サイト:http://asamajinja.jp/

御朱印

  • 甲斐一宮浅間神社の御朱印

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  • 甲斐一宮浅間神社の御朱印

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  • 甲斐一宮浅間神社の御朱印

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(1)明治16年(1883)の御朱印。中央の朱印は「神璽」。左下の印は「甲斐淺間神社社務所」。墨書は「甲斐國幣中社/浅間神社/社務所」。

(2)昭和15年(1940)頃の御朱印。中央の朱印は「甲斐國幣中社淺間神社」、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。下の印は桜花の枠に「甲斐一宮/淺間神社/参拝記念」。

(3)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

寒川神社

寒川神社

社殿(昭和2年~昭和8年)

寒川神社
御祭神:寒川比古命、寒川比女命
鎮座地:神奈川県高座郡寒川町宮山
社格:式内社(名神大)、相模国一宮
国史所載の神階:正四位下
列格:明治4年5月14日
公式サイト:https://samukawajinjya.jp/

※絵はがき…関東大震災で被災した後、昭和2年(1927)に復旧された旧拝殿。現在の拝殿は平成9年(1997)に改築されたもの。

御朱印

  • 寒川神社の御朱印

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  • 寒川神社の御朱印

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  • 寒川神社の御朱印

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  • 寒川神社の御朱印

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(1)明治16年(1883)の御朱印。中央の朱印は「寒川大神御璽」。左下の印は「相模囶寒川神社之印」。墨書は「相模国一之宮/國幣中社寒川神社/社務所」。

(2)時期不詳、大正時代から昭和初期のものと思われる御朱印。中央の朱印は「國幣中社寒川神社印」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。上の印は「相州一宮」。

(3)昭和18年(1943)の御朱印。朱印は(2)と同じ「國幣中社寒川神社印」。

(4)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮

本宮楼門(昭和8年~昭和20年)

鶴岡八幡宮
御祭神:応神天皇
鎮座地:神奈川県鎌倉市雪ノ下
社格:-
昇格:明治15年9月13日
※明治初年県社→明治15年国幣中社
公式サイト:https://www.hachimangu.or.jp/

御朱印

  • 鶴岡八幡宮の御朱印

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  • 鶴岡八幡宮の御朱印

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  • 鶴岡八幡宮の御朱印

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  • 鶴岡八幡宮の御朱印

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  • 鶴岡八幡宮の御朱印

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(1)明治16年(1883)の御朱印。中央の朱印は「鶴岡八幡宮」。昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されており、現在でも使われている。左下は「鶴岡社務所印」。墨書は「國幣中社/鶴岡八幡宮/社務所」。

(2)大正4年(1915)の御朱印。中央の朱印は(1)と同じ「鶴岡八幡宮」。右上のスタンプは「鶴岡八幡宮参拝紀念」。

(3)大正13年(1924)の御朱印。朱印は(1)と同じ「鶴岡八幡宮」、「鶴岡社務所印」。

(4)昭和8年(1933)の御朱印。中央の朱印は(1)と同じ「鶴岡八幡宮」。右上の印は「關東僧鎮護」、左下は「参拝之章」。

(5)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

玉前神社

玉前神社

鳥居と拝殿(大正7年~昭和8年)

玉前神社
御祭神:玉埼神
※現在は玉依姫命とする。
鎮座地:千葉県長生郡一宮町
社格:式内社(名神大)、上総国一宮
国史所載の神階:正四位上勲五等
列格:明治4年5月14日
公式サイト:https://www.tamasaki.org/index.htm

御朱印

  • 玉前神社の御朱印

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  • 玉前神社の御朱印

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  • 玉前神社の御朱印

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(1)昭和12年(1937)頃の御朱印。中央下の朱印は「玉前神社」、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。中央上の印は「國幣中社」、右は「一宮」。

(2)昭和19年(1944)の御朱印。朱印は(1)と同じ「玉前神社」。

(3)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

貫前神社(一之宮貫前神社)

一之宮貫前神社

本殿(大正7年~昭和8年)

貫前神社
現在の社号:一之宮貫前神社
御祭神:経津主神
※現在は経津主神と姫大神の二柱とする。
鎮座地:群馬県北甘楽郡一宮町一宮(富岡市一ノ宮)
社格:式内社(名神大)、上野国一宮
国史所載の神階:従三位勲七等
列格:明治4年5月14日
公式サイト:http://www.nukisaki.or.jp/

御朱印

  • 一之宮貫前神社の御朱印

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  • 一之宮貫前神社の御朱印

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(1)昭和19年(1944)の御朱印。中央下の朱印は「貫前神社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。上の印は「上野一之宮 國幣中社」。

(2)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

日光二荒山神社

日光二荒山神社

鳥居(大正7年~昭和8年)

二荒山神社
通称:日光二荒山神社
御祭神:二荒山神
※現在は大己貴命、田心姫命、阿遅鉏高日子根命の三柱の総称として二荒山大神
鎮座地:栃木県上都賀郡日光町日光(日光市山内)
社格:式内論社(名神大)、下野国一宮
国史所載の神階:正二位勲四等
列格:明治6年3月7日
※二荒山神社としての国幣社列格は明治4年だが、この時は宇都宮の二荒山神社が当てられた。しかし明治6年日光の二荒山神社が式内社とされ、日光二荒山神社が国幣中社に列格、宇都宮二荒山神社は県社とされた。後に宇都宮二荒山神社も国幣中社に昇格。
公式サイト:http://www.futarasan.jp/

御朱印

  • 日光二荒山神社の御朱印

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  • 日光二荒山神社の御朱印

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  • 日光二荒山神社の御朱印

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  • 日光二荒山神社の御朱印

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  • 日光二荒山神社の御朱印

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  • 日光二荒山神社の御朱印

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  • 日光二荒山神社の御朱印

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(1)明治17年(1884)の御朱印。中央の朱印は「弐荒山神社璽」。左下の印は「国幣中社下野國一宮二荒山神社社務所印」。墨書は「下野國一之宮日光山鎮座/國幣中社 式内名神大 二荒山神社」。

(2)大正13年(1924)の御朱印。中央上の朱印は「國幣中社下野圀一之宮日光二荒山神社之印」。下の印は「國幣中社日光二荒山神社社務所之印」。

(3)昭和2年(1927)頃の御朱印。中央上の朱印は(2)と同じ「國幣中社下野圀一之宮日光二荒山神社之印」。下は「日光二荒山神社参拝紀念」。

(4)昭和5年(1930)頃の御朱印。上の朱印は「國幣中社日光二荒山神社印」。下は「日光二荒山神社参拝紀念」。

(5)昭和10年(1935)の御朱印。(6)とセットで押されている。上の朱印は「國幣中社日光二荒山神社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。下の印は「下野國一之宮 日光二荒山神社 日光町鎮座」。

(6)昭和10年(1935)の御朱印。(5)とセットで押されている。上の朱印は(4)と同じ「國幣中社日光二荒山神社印」。右下は「國幣中社 日光二荒山神社 下野一之宮」、左の二つのスタンプは神橋をモチーフにしたものであろう。

(7)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

宇都宮二荒山神社

宇都宮二荒山神社

拝殿(大正7年~昭和8年)

二荒山神社
通称:宇都宮二荒山神社
御祭神:豊城入彦命
鎮座地:栃木県宇都宮市馬場町(宇都宮市馬場通り)
社格:式内論社(名神大)、下野国一宮
国史所載の神階:正二位勲四等
昇格:明治16年4月25日(明治4年5月14日列格)
※明治4年国幣中社→明治6年県社→明治15年国幣中社
※明治4年式内社二荒山神社として国幣中社に列格するが、明治6年日光の二荒山神社が式内社とされて県社に降格。その後、宇都宮の二荒山神社が式内社と認められ、再度国幣中社に列格した。
公式サイト:http://futaarayamajinja.jp/

御朱印

  • 宇都宮二荒山神社の御朱印

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  • 宇都宮二荒山神社の御朱印

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  • 宇都宮二荒山神社の御朱印

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  • 宇都宮二荒山神社の御朱印

    (4)

(1)明治17年(1884)の御朱印、木版刷りの書き置き。中央の朱印は「式内名神大印」。文字は木版で「下野圀河内郡宇都宮/國幣中社/二荒山神社/社務所」。

(2)昭和7年(1932)頃の御朱印。上の朱印は(1)と同じ「式内名神大印」。下の印は「宇都宮二荒山」。

(3)昭和9年(1934)の御朱印。中央の印は「國幣中社宇都宮二荒山神社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。右上の印は勾玉の枠に「延喜式内下野一宮」。墨書は「宇都宮二荒山神社」。

(4)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

馬場都々古別神社

馬場都々古別神社

社殿(昭和8年~昭和20年)

都々古別神社
現在の社号:都都古和氣神社
通称:馬場都々古別神社
御祭神:都々古別神
※現在は味耜高彦根命とする。
鎮座地:福島県東白川郡棚倉町棚倉
社格:式内論社(名神大)、陸奥国一宮
国史所載の神階:従五位下勲十等
列格:明治6年3月7日
※明治4年都々古別神社が所在地不明のまま列格、明治6年馬場都々古別神社に確定。明治18年もう一つの論社である八槻都々古別神社も同格と認められ、国幣中社に昇格。

御朱印

  • 馬場都々古別神社の御朱印

    (1)

  • 馬場都々古別神社の御朱印

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  • 馬場都々古別神社の御朱印

    (3)

  • 馬場都々古別神社の御朱印

    (4)

(1)時期不詳、大正末から昭和初期のものと思われる御朱印。中央の朱印は「棚倉町鎮座 都々古別神社」。右上の印は「奥州一宮」。

(2)昭和10年(1935)頃の御朱印。中央の朱印は「國幣中社 都々古和氣神璽」。右上の印は(1)と同じ「奥州一宮」。下は「棚倉國幣中社都々古別神社社務所之印」。

(3)昭和18年(1943)の御朱印。朱印は「棚倉坐都都古別神社」、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。

(4)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

伊佐須美神社

伊佐須美神社

鳥居(全国官国幣社写真帖)

伊佐須美神社
御祭神:大毘古命、建沼河別命
※現在は伊弉諾尊、伊邪那美命、大毘古命、建沼河別命の4柱とする。
鎮座地:福島県大沼郡高田町宮林(大沼郡会津美里町宮林)
社格:式内社(名神大)
国史所載の神階:従五位下
列格:明治6年6月13日
公式サイト:https://isasumi.or.jp/

御朱印

  • 伊佐須美神社の御朱印

    (1)

  • 伊佐須美神社の御朱印

    (2)

(1)昭和10年(1935)頃の御朱印。上の朱印は「國幣中社伊佐須美神社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。下の印は「國幣伊佐須美神社社務所印」。

(2)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

志波彦神社・鹽竈神社

志波彦神社

社殿(昭和8年~昭和20年)

志波彦神社
御祭神:志波彦神
鎮座地:宮城県塩竈市一森山
※元は現在の仙台市宮城野区岩切に鎮座していたが、明治7年鹽竈神社別宮に遷祀。昭和13年、同境内の現在地に現社殿を造営。
社格:式内社(名神大)
国史所載の神階:従四位下勲四等
列格:明治4年5月14日

鹽竈神社

左右宮拝殿・別宮拝殿(昭和8年~昭和20年)

鹽竈神社
御祭神:鹽竈神
※別宮の塩土老翁神を主祭神とし、左宮に武甕槌神、右宮に経津主神を祀る
鎮座地:宮城県塩竈市一森山
社格:式外社、陸奥国一宮
列格:明治7年12月5日
公式サイト:http://www.shiogamajinja.jp/

御朱印

  • 志波彦神社・鹽竈神社の御朱印

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  • 志波彦神社・鹽竈神社の御朱印

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  • 志波彦神社・鹽竈神社の御朱印

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  • 志波彦神社・鹽竈神社の御朱印

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  • 志波彦神社・鹽竈神社の御朱印

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  • 志波彦神社・鹽竈神社の御朱印

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  • 志波彦神社・鹽竈神社の御朱印

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  • 志波彦神社・鹽竈神社の御朱印

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  • 志波彦神社・鹽竈神社の御朱印

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  • 志波彦神社の御朱印

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  • 鹽竈神社の御朱印

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(1)明治17年(1884)の御朱印、木版刷りの書き置き。中央の朱印は「國幣中社陸前國宮城郡鹽竈村鎮座志波彦神社鹽竈神社印」。左下の印は「志波彦鹽竈神社々務所」。文字は木版で「陸前國宮城郡塩竈村鎮座/國幣中社/志波彦神社/鹽竈神社/社務所」。

(2)明治39年(1906)はがきに押された鹽竈神社の御朱印(明治39年のはがきアルバム所収)。朱印は「鹽竈神社證印」。昭和初期の御朱印に、この印が使われている例がある。

(3)昭和2年(1927)志波彦神社の御朱印。(4)とセットで押されている。朱印は「志波彦神社之印」。

(4)昭和2年(1927)鹽竈神社の御朱印。(3)とセットで押されている。朱印は「鹽竈神社」。

(5)昭和9年(1934)の御朱印。右上は「志波彦神社 参拝記念」、左下は「鹽竈神社 参拝記念」で、どちらも鹽竈桜と雨龍があしらわれている。

(6)昭和10年(1935)頃の志波彦神社の御朱印。(7)とセットで押されている。朱印は「志波彦神社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。

(7)昭和10年(1935)頃の鹽竈神社の御朱印。(6)とセットで押されている。朱印は「鹽竈神社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。

(8)昭和15年(1940)皇紀二千六百年記念の御朱印。上の朱印は「鹽竈神社」、下は「志波彦神社」で、どちらも周囲に「皇紀二千六百年 参拝」とある。

(9)昭和16年(1941)の御朱印。上の朱印は「志波彦神社参拝」、下は「鹽竈神社参拝」。

(10)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている志波彦神社の御朱印の印影。

(11)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている鹽竈神社の御朱印の印影。

大物忌神社(鳥海山大物忌神社)

鳥海山大物忌神社

吹浦口之宮(昭和8年~昭和20年)

大物忌神社
現在の社号:鳥海山大物忌神社
御祭神:大物忌神
鎮座地:山形県飽海郡吹浦村吹浦(飽海郡遊佐町吹浦)
社格:式内社(名神大)、出羽国一宮
国史所載の神階:従二位勲三等
列格:明治4年5月14日
公式サイト:http://www9.plala.or.jp/thoukai/

御朱印

  • 鳥海山大物忌神社の御朱印

    (1)

  • 鳥海山大物忌神社の御朱印

    (2)

(1)時期不詳の御朱印、大正末から昭和初期のものであろう。朱印は「鳥海山 國幣社 大物忌神璽」。

(2)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。鳥海山の山容と「大物忌神社」、(1)とは別の印である。

※おかもと氏の「昔の集印帖」には、これらとは異なる頂上本社の御朱印が掲載されている。

若狭彦神社

若狭彦神社

楼門と社殿(昭和8年~昭和20年)

若狭彦神社
御祭神:若狭彦神、若狭比咩神
※現在は彦火々出見尊、豊玉姫命とされる。
鎮座地:福井県遠敷郡遠敷村龍前/遠敷(小浜市龍前/遠敷)
社格:式内社(名神大)、若狭国一宮
国史所載の神階:正二位勲八等(若狭比古神)、従二位(若狭比咩神)
列格:明治4年5月14日

※絵はがき…本殿の手前に昭和40年の風害で倒壊した拝殿が見える。

御朱印

  • 若狭彦神社の御朱印

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  • 若狭彦神社の御朱印

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  • 若狭彦神社の御朱印

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  • 若狭姫神社の御朱印

    (4)

  • 若狭彦神社の御朱印

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(1)明治12年(1879)の御朱印。中央の朱印は「若狹彦姫神璽」。左下の印は「若狹彦社務所」。墨書は「若狹國/國幣中社/若狹彦神社/若狹姫神社/社務所」。

(2)昭和6年(1931)の御朱印。上の朱印は「國幣中社/若狹彦神社/若狹姫神社」、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。下の印は「若狹彦神社社務所」。

(3)昭和17年(1942)若狭彦神社の御朱印、(4)とセット。朱印は「若狹彦神社印」。

(4)昭和17年(1942)若狭姫神社の御朱印、(3)とセット。朱印は「若狹姫神社印」。

(5)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

射水神社

射水神社

社殿(大正7年~昭和8年)

射水神社
御祭神:二上神
※現在は瓊瓊杵尊とする。
鎮座地:富山県高岡市定塚町(高岡市古城)
社格:式内社(小)、越中国一宮
国史所載の神階:正三位
列格:明治4年5月14日
公式サイト:https://www.imizujinjya.or.jp/

御朱印

  • (1)

  • 射水神社の御朱印

    (2)

  • 射水神社の御朱印

    (3)

(1)昭和4年(1929)の御朱印。中央の朱印は「國幣中社射水神社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。右上の印は「國幣中社射水神社」、左下は「射水神社社務所印」。

(2)時期不詳の御朱印。下の朱印は(1)と同じ「國幣中社射水神社」、上は「射水神社」。

(3)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

彌彦神社

弥彦神社

炎上前の社殿(明治40年~大正7年)

弥彦神社
御祭神:天香山命
鎮座地:新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦
社格:式内社(名神大)、越後国一宮
国史所載の神階:従四位下
列格:明治4年5月14日
公式サイト:https://www.yahiko-jinjya.or.jp/

※絵はがき…明治45年(1912)の大火で焼失した旧社殿。

御朱印

  • 弥彦神社の御朱印

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  • 弥彦神社の御朱印

    (2)

  • 弥彦神社の御朱印

    (3)

(1)時期不詳、大正末から昭和初年のものと思われる御朱印。中央の朱印は「彌彦神社」、右上は「越後一宮」。

(2)昭和5年(1930)の御朱印。中央の朱印は「弥彦神社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。左下の印は「彌彦神社社務所之印」。墨書は「越後之国一之宮/国幣中社弥彦神社」。

(3)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。

神宮及び官国幣社の御朱印一覧
これまで資料として収集してきた昔の御朱印より、近代社格制度における神宮及び官国幣社の当時の御朱印を紹介する。原則として明治から昭和20年までの御朱印を掲載するが、一部は昭和20年代の御朱印を掲載している。 すべての官国幣社の御朱印が揃ったわ...

【1】神宮・官幣大社の御朱印(1)
【2】官幣大社の御朱印(2)
【3】官幣大社の御朱印(3)
【4】官幣大社の御朱印(4)
【5】官幣大社の御朱印(5)
【6】国幣大社の御朱印
【7】官幣中社の御朱印(1)
【8】官幣中社の御朱印(2)
【9】国幣中社の御朱印(1)
【10】国幣中社の御朱印(2)
【11】国幣中社の御朱印(3)
【12】官幣小社の御朱印
【13】国幣小社の御朱印(1)
【14】国幣小社の御朱印(2)
【15】国幣小社の御朱印(3)
【16】別格官幣社の御朱印(1)
【17】別格官幣社の御朱印(2)

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