谷保天満宮 | 東京都国立市

谷保天満宮

谷保天満宮は、菅原道真の三男・道武が創建したと伝えられる東日本最古の天満宮。太宰府に倣って別当の梅香山安楽寺が置かれた。その後裔・津戸為守が夢告を受け、養和元年(1181)現社地に遷座した。世尊寺経朝(藤原経朝)筆の「天満宮」の扁額(重要文化財)は、後冷泉天皇の勅により奉納されたと伝えられる。

正式名称 谷保天満宮〔やぼてんまんぐう〕
御祭神 菅原道真公 菅原道武公
社格等 式内論社 旧府社
鎮座地 御鎮座地の住所 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 谷保駅(JR南武線)
バス停:谷保天神
公式サイト http://www.yabotenmangu.or.jp/
あわせて読みたい
北多摩地域の神社 旧官国幣社 大國魂神社 正式名称:大國魂神社 鎮座地:府中市宮町 府中市 小野神社 正式名称:小野神社 鎮座地:府中市住吉町 小金井市 山王稲穂神社 正式名称:稲穂神...
目次

御朱印

  • 谷保天満宮の御朱印

    (1)

  • 谷保天満宮の御朱印

    (2)

  • 谷保天満宮の御朱印

    (3)

(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「谷保天満宮印」、左下は「天満宮社務所」。揮毫は「東日本最古の天満宮」「谷保天満宮」。

(2)平成22年拝受の御朱印。朱印・揮毫ともに平成17年のものと同じ。

(3)平成29年の梅まつりでいただいた御朱印。書き置きのみで、朱印・揮毫は通常のものと同じだが、梅の印と鶏の絵が入っている。

御朱印

  • 谷保天満宮の御朱印

    (1)

(1)明治35年(1902)の御朱印。中央の朱印は「天満宮印」。左下の印は「天満宮社務所」。

御由緒

谷保天満宮は、東日本最古の天満宮とされ、亀戸天神社湯島天満宮とともに関東三大天神と称される。『旧神祠記』は式内社・穴澤神社に比定するが、当社自身は式内社であることを主張していない。

菅原道真公が太宰府に左遷された際、三男・道武は武蔵国多摩郡分倍庄栗原郷(現在の谷保)に配流された。

延喜3年(903)道武は道真公が薨去したという報を受け、思慕の念から父君の像を刻み、本宿の天神島(現在の府中市日新町)に祀った。これが谷保天満宮の起源とされる。

延喜20年(920)道武が亡くなると、里人が相議り、相殿に祀った。

天暦元年(947)北野天満宮造営に際し、村上天皇の勅により当社にも勅使が下向して社殿を造営、官社に列されたという。重要文化財の狛犬一対は村上天皇の寄進という伝承がある(実際は鎌倉神代のもの)。

養和元年(1181)津戸三郎為守が霊夢により社殿を現社地に移し、太宰府天満宮に倣って梅香山安楽寺(天台宗、廃寺)を開創した(移転・再興したとも)。併せて桜本坊・邑盛坊・尊住坊・梅本坊・松本坊・滝の坊の六院を置き、社務を司らせた(現在は滝の坊の後身である滝の院のみが残る)。

津戸為守は源頼朝に従って石橋山や安房の合戦で活躍し、後に法然上人に帰依して専修念仏の弘通に尽力したことで知られる武将だが、菅原道武の子孫と伝えられる。

菅原道武は武蔵国に流されたとき、津戸貞盛(津戸常陸掾平貞盛、あるいは谷保の県主貞盛とも)の館で庇護され、その娘を娶って道英を設けた。貞盛は道英を長子修理太夫盛綱の養子として迎え、道武は菅原の姓を道英に与えた。為守はその六代目の子孫という。

建治3年(1277)後宇多天皇の勅により、藤原経朝筆の「天満宮」の扁額が納められた(国指定重要文化財)。

江戸時代には朱印地13石5斗を寄せられ、上谷保村・下谷保村の鎮守とされた。

明治の神仏分離に際し、別当・安楽寺の住職が還俗して神職となった。明治6年(1873)村社に列する。明治14年(1881)郷社、さらに同18年(1885)に昇格した。

明治41年(1908)有栖川宮威仁親王の先導により、日比谷公園から谷保天満宮まで日本初のドライブツアーとされる「自動車遠乗会」が催された。当社梅林で昼食をとり、昇殿参拝した後、無事に帰還したことから、交通安全祈願発祥の地とされる。

「野暮」の語源を谷保天満宮とするのは俗説。「野暮天」は、ある年、10月(神無月)に目白で出開帳をしたところ、これを見た太田蜀山人が「神ならば出雲の国に行くべきに 目白で開帳 やぼのてんじん」と詠んだという故事がある。

写真帖

  • 谷保天満宮一の鳥居

    一の鳥居

  • 谷保天満宮二の鳥居

    二の鳥居

  • 谷保天満宮第六天神社

    第六天神社

  • 谷保天満宮瘡守稲荷・淡島稲荷神社

    瘡守稲荷・淡島稲荷神社

  • 谷保天満宮筆塚

    筆塚

  • 谷保天満宮神楽殿

    神楽殿

  • 谷保天満宮座牛

    座牛

  • 谷保天満宮拝殿

    拝殿

  • 谷保天満宮本殿

    本殿

  • 谷保天満宮厳島神社

    厳島神社

  • 谷保天満宮三郎殿社

    三郎殿社

  • 谷保天満宮五社宮

    五社宮

  • 谷保天満宮チャボ

    境内に放し飼いされているチャボ

  • 谷保天満宮梅まつり

    梅まつり

※三郎殿社は菅原道武を祀る。五社宮は天照皇大神宮・妙義神社・日吉神社・熊野神社・稲荷神社の合殿。

見どころ

■梅林
1月から3月にかけ、約350本の紅白の梅が咲き誇る。2月下旬~3月上旬に「梅まつり」が開催され、多くの人が訪れる。

■弁天池と厳島神社
厳島神社は石神地区に祀られていたが、明治の頃に遷座したという。社殿は宝暦9年(1759)の建造で、国立市の登録有形文化財。弁天池は常磐の清水と称し、東京都の名湧水57選に選定されている。その周囲には紫陽花が群生しており、梅雨の頃には色とりどりの花が楽しめるという。

■社殿
国立市指定有形文化財。本殿は三間社流造で、寛延2年(1759)の造営。調査の結果、元は華麗な極彩色が施されていたことがわかった。拝殿は入母屋造で、嘉永4年(1851)の造営である。

メモ

JR谷保駅から歩いてすぐ。甲州街道に面して一の鳥居が建つが、その先の参道は坂を下る「下り宮」になっている。これは多摩川の流路の変化により甲州街道が付け替えられたためで、元は境内の南側を通っていたという。
緑の木々がそびえる境内に、重厚な木造社殿が建つ。多摩地域を代表する名社の一つで、梅林や『江戸名所図会』にも記された常磐の清水など見どころも多い。境内にはチャボが放し飼いにされており、心を和ませる。
なお、社号については『平成「祭」データ』では「天満宮」、東京都の宗教法人名簿では「谷保天満宮」。平成になって谷保天満宮を正式名称にしたようだ。
また、御祭神については、神社の公式サイトその他では菅原道真公・菅原道武公とするが、『平成「祭」データ』は、菅原道真を主祭神とし、石土毘古命・天之日鷲命・倉稲魂命を合祀するとしている。11月の酉の市はこれによるものと思われる。

府中市住吉町の小野神社の御朱印もこちらでいただける。いただけるようになった経緯は伊達さんの「神のやしろを想う」に詳しい。

谷保天満宮の概要

名称 谷保天満宮
通称 谷保天神
旧称 天満宮
御祭神 菅原道真公〔すがわらのみちざねこう〕
菅原道武公〔すがわらのみちたけこう〕
〈合祀〉
石土毘古命〔いしづちひこのみこと〕
天之日鷲命〔あめのひわしのみこと〕
倉稲魂命〔うかのみたまのみこと〕
鎮座地 東京都国立市谷保5209番地
創建年代 延喜3年(903)
社格等 式内社(論) 旧府社
延喜式 武蔵国多磨郡 穴澤神社
例祭 9月25日
※近い日曜日に万燈行列・古式獅子舞
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月第2月曜日/どんど焼き
1月25日とそれに近い日曜日/筆供養
2月3日/節分祭
2月下旬~3月上旬の土・日曜日/梅まつり
4月第1日曜日/新入学児童勧学祭
8月25日/夏祭
11月3日/庭燎祭(おかがら火)・うそ替え神事
11月一の酉/大鷲祭(おとりさま)
11月23日/新嘗祭
12月第1日曜日/旧車祭
12月31日/大祓い
文化財 〈重要文化財〉狛犬一対 扁額「天満宮」〈都天然記念物〉谷保天満宮社叢

交通アクセス

□JR南武線「谷保駅」より徒歩3分
□JR中央線「国立駅」より徒歩15分、またはバス
■京王バス府中駅行き「谷保天神」下車すぐ
□京王線「府中駅」よりバス
■京王バス国立駅行き「谷保天神」下車すぐ

あわせて読みたい
東都神社御朱印集 東京は江戸時代以来、約400年にわたり日本の中心として繁栄してきた。そのため、江戸幕府や明治政府から特別の崇敬を受けた重要な神社がいくつもある。また、多くの庶民...

※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。
※掲載されている古い資料画像(納経帳、絵葉書等)について、特に引用元を明示したもの以外は管理者が所有する資料であり、無断使用はご遠慮ください。使用を希望される場合は管理者までご連絡ください。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次