伏見稲荷大社は全国の稲荷神社の総本社。和銅4年(711)2月初午の日、秦伊呂具が勅命を受け、稲荷山に稲荷大神を祀ったと伝えられる。朝廷の崇敬篤く、天慶5年(942)には正一位に進んだ。伏見稲荷から御分霊を勧請した各地の稲荷神社が正一位を称するのはこれによる。二十二社の制では上七社に列した。
正式名称 | 伏見稲荷大社〔ふしみいなりたいしゃ〕 |
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御祭神 | 稲荷大神(宇迦之御魂大神 佐田彦大神 大宮能売大神 田中大神 四大神) |
社格等 | 式内社(名神大) 二十二社 旧官幣大社 (単立神社) |
鎮座地 | 京都市伏見区深草薮之内町68 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://inari.jp/ |
御朱印
(1)平成18年拝受の御朱印。朱印は「稲荷大社」。
(2)奥社の御朱印、平成18年拝受。朱印は「重軽石 千本鳥居 根上松」。
(3)稲荷山の御朱印、平成18年拝受。朱印は「伏見稲荷大社御山登拝」。
昔の御朱印
(1)明治14年(1881)の御朱印。揮毫は「官幣大社/山城国紀伊郡/稲荷神社/社務所」。中央の朱印は「稲荷神璽」、左下は「稲荷神社社務所之印」。
(2)明治16年(1883)の御朱印。文字は版木押しで「官幣大社/山城國紀伊郡/稲荷神社/社務所」。中央の朱印は「稲荷神璽」で(1)と同じ。左下は「稲荷神社社務所」。
(3)大正12(1923)年の御朱印。朱印は「官幣大社稲荷神社参拝記念」。
(4)昭和5年(1930)の御朱印。朱印は「稲荷大社」。現在のものとほぼ同じで、昭和17年発行の『惟神の礎』もこの印が掲載されている。
(5)昭和7年の御朱印。新旧二つの印が押されている。
御由緒
伏見稲荷大社は全国に3万余社あるという稲荷神社の総本社。もともと農業神であるが、衣食住の太祖、商売繁盛・殖産興業・家内安全・芸能上達の神として広く信仰を集める。
社伝によれば、和銅4年(711)2月初午の日、伊呂具秦ノ公が勅命によって、三柱の神(下社の宇迦之御魂大神・中社の佐田彦大神・上社の大宮能売大神)を伊奈利三ヶ峰に祀ったことを創祀とする。松尾大社とともに、秦氏とゆかりの深い神社である。
「イナリ(稲荷・伊奈利)」とは「稲成り」の意味とされる。『山城国風土記逸文』によれば、伊呂具が餅を的として矢を射たところ、その餅が鳥に変じて飛び去り、その留まった山の峰に稲が生じたので、伊奈利(稲荷)と称するようになったという。日本において稲は食生活の基本であり、稲の生育に関わる稲荷信仰が広まったのは当然のことといえよう。
稲荷信仰の拡大は真言宗の発展とも関わっている。天長4年(827)淳和天皇が病となり、原因を占ったところ、東寺五重塔を建立する材木として稲荷神社の木を伐採した祟りであることがわかりました。そこで、神階従五位下が授けられ、国家の祭祀に預かるようになるとともに、東寺の鎮守となり、真言宗と深く関わるようになった。
伏見稲荷の氏子は伏見の神社近辺ではなく、東寺の周辺である。例祭は、神輿が東寺の東側にある御旅所まで巡幸し、還幸の際には東寺の門前で僧侶の神供を受ける。また、東寺には、弘法大師と稲荷明神の出会いについての説話が残り、稲を背負った老翁姿の稲荷明神像はこれに因んでいる。
以後、朝廷の崇敬極めて篤く、延喜の制では名神大社に列し、月次・新嘗の官幣に預かった。さらに天慶5年(942)には正一位に極位した。これにより、伏見稲荷から勧請した分霊を祀る稲荷社は「正一位稲荷大明神」を称する。
また応和3年(963)皇城の巽の鎮護とされ、二十二社の制では上七社の第六位に列する。後三条天皇は祇園社と当社に行幸、以来「両社行幸」と称し、慣例となった。
平安時代の末頃、田中大神と四大神が元からの三柱の神とともに祀られるようになり、稲荷五社が成立した。また、当時盛んであった熊野詣の際には、当社に参詣して「しるしの杉」という杉の小枝をいただくのが慣例となっていた。
現在の本殿は応仁の乱で炎上した後、明応8年(1499)に再建されたもので、重要文化財。稲荷造と呼ばれる五間社流造である。楼門は天正17年(1589)豊臣秀吉が造営したもの。
明治4年(1871)官幣大社に列格。戦後、伏見稲荷大社と改称し(それ以前の正式名称は稲荷神社)、神社本庁には属さず単立神社となっている。傘下の講中は明治期に「瑞穂講社」として組織され、昭和2年(1927)「稲荷講社」、同16年(1941)には財団法人となり、昭和38年(1963)「(財)伏見稲荷大社講務本庁」となった。
伏見稲荷は稲荷山全体を神域とする。本殿から奥社遙拝所、さらに稲荷山へと向かうと、有名な千本鳥居のトンネルをはじめ、信徒から寄進された鳥居1万余が建つ。その先には1万数千といわれるお塚が祀られ、濃密な民間信仰の空間を維持している。
写真帖
メモ
本殿を中心とする「表の顔」と稲荷山の「裏の顔」が見事な対比を見せる。明治以来、ほとんどの神社は善くも(皮肉を込めて)悪くも「無毒化(宗教の最も核となるドロドロとした部分が排除されたという意味で)」されてしまったが、ここにはそれがしっかりと残っている。神仏習合の伝統についても、わずかながら、稲荷祭の東寺神供にその姿を留めている。現代の感覚では土俗的・因襲的と見られるかもしれないが、こういうところからこそ、新しい時代に対応した普遍的信仰が出現する可能性があると思う。お行儀のいい信仰というのは、エネルギーがないというのと同義だと思う。
伏見稲荷では、本社だけでなく、奥社奉拝所と稲荷山(御膳谷奉拝所)でも御朱印をいただくことができる。また、外拝殿の傍にある東丸神社は、伏見稲荷の社家に生まれた国学四大大人の一人・荷田春満を祀る。現在は独立した神社である。また、奥社奉拝所から熊鷹社への途中にある伏見神宝神社も独立した神社で、御朱印をいただくことができる。
伏見稲荷大社の概要
名称 | 伏見稲荷大社 |
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旧称 | 稲荷神社 |
御祭神 | 稲荷大神 宇迦之御魂大神〔うかのみたまのおおかみ〕 佐田彦大神〔さだひこのおおかみ〕 大宮能売大神〔おおみやのめのおおかみ〕 田中大神〔たなかのおおかみ〕 四大神〔しのおおかみ〕 |
鎮座地 | 京都市伏見区深草薮之内町68番地 |
創建年代 | 和銅4年(711) |
社格等 | 式内社 二十二社 旧官幣大社 (単立神社) |
延喜式 | 山城國紀井郡 稲荷神社三座 並名神大 月次新嘗 |
例祭 | 5月3日(稲荷祭) 4月20日に近い日曜/神幸祭 4月下旬/区内巡幸 5月3日/還幸祭 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月5日/大山祭 1月12日/奉射祭 1月成人の日/成年祭 2月節分/節分祭 2月初午の日/初午大祭 4月1日/献花祭 4月8日に近い日曜/産業祭、献茶祭 4月12日/水口播種祭 6月10日/田植祭 6月30日/大祓式 7月土用入後初の日曜/本宮祭 10月体育の日の前々日・前日/講員大祭 10月24日/献茶祭 10月25日/抜穂祭 11月1日/献花祭 11月8日/火焚祭、御神楽 11月23日/新嘗祭 12月31日/大祓式 |
文化財 | 〈国宝〉本殿 御茶屋 |
巡拝 | 神仏霊場123番 |
交通アクセス
□JR奈良線「稲荷駅」より徒歩すぐ
□京阪本線「伏見稲荷駅」より徒歩5分