天平2年(730)真神田臣〔まかんだのおみ〕が豊島郡芝崎村(今の大手町、将門塚のあたり)に祖神・大己貴命を祀ったことを創祀とする。その後、平将門の霊異を治めた遊行二祖・真教上人がその神霊を合わせ祀った。江戸時代には江戸城の表鬼門に当たる湯島台の現社地に遷され、江戸の総鎮守として広く崇敬を集めた。
正式名称 | 神田神社〔かんだじんじゃ〕 |
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旧称・通称 | 神田明神〔かんだみょうじん〕 |
御祭神 | 大己貴命 少彦名命 平将門命 |
社格等 | 旧府社 元准勅祭社 別表神社 |
鎮座地 | 東京都千代田区外神田2-16-2 [Mapion | googlemap] |
巡拝等 | 東京十社 |
公式サイト | http://www.kandamyoujin.or.jp/ |
御朱印
(1)
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(3)
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(1)平成16年拝受の御朱印。朱印・墨書ともに「神田明神」。
(2)平成19年拝受の御朱印。朱印は「神田神社之印」。
(3)平成27年拝受の御朱印。中央の朱印は「神田神社」、右下の印は「元准勅祭十社之内」。
(4)平成28年拝受の御朱印。中央の朱印は平成27年のものと同じ「神田神社」。右上は流れ三つ巴の神紋、その下に「元准勅祭十社之内」。右下は神田神社のキャラクター江戸っ子「みこしー」。
(5)平成30年拝受の御朱印。見開きで、右ページ中央の朱印は神璽、重ねて「神田大神」、その右に「江戸総鎮守 神田明神」左に「別表神社 神田神社」。左下の印は「神田神社」、上に神殿の写真。左ページは流れ三つ巴の神紋と「神田神社」。
昔の御朱印
明治の順拝帳
(6)
(6)明治16年の御朱印。揮毫は「東京府社」「神田神社」「社務局」。中央の朱印は「神璽」、左下の印は「神田社務局印」。
昭和戦前の御朱印
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(8)
(9)
(7)昭和5年頃の御朱印。朱印は「神田神社之印」。
(8)昭和11年6月27日の御朱印。上の朱印は「神田神社之印」、下は「神田神社社務所印」。
(9)昭和11年11月27日の御朱印。上の印は「神田神社」、下は日付の入った参拝記念のスタンプ。(8)の御朱印の5ヶ月後の拝受だが、印が変わっている。
御由緒
御祭神
■一之宮 大己貴命
■二之宮 少彦名命
■三之宮 平将門命
江戸時代以前は大己貴命と平将門を御祭神としていた。明治7年(1874)大洗磯前神社より少彦名命を勧請、平将門は摂社・将門神社に遷されたが、昭和59年(1884)再び本殿に奉祀された。
由緒(歴史)
神田神社は、古くは神田大明神と称し、江戸総鎮守として徳川将軍から庶民に到るまで広く崇敬された。今も神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸ノ内・旧神田市場・豊洲市場など108町会の総氏神である。
社伝によれば、天平2年(730)真神田臣〔まかんだのおみ〕が自らの祖神である大己貴命を豊島郡芝崎村(現在の大手町一丁目)に祀ったことに始まる。
天慶の後、平将門の首塚が芝崎村に築かれたが、その周辺で天変地異が頻発し、疫病が広がったため、土地の人々は将門公の祟りによるものと恐れていた。
嘉元(1303~06)の頃、時宗の遊行二世・真教上人が当地を訪れ、手厚くその神霊を慰めると、不思議にも災厄が治まった。さらに延慶2年(1309)真教上人は神田神社を修復し、平将門の神霊を合祀した。
真教上人は村人の勧めにより芝崎村にあった天台寺院を再興し、念仏道場に改めて芝崎道場と称した。これが旧別当・神田山日輪寺で、明暦年間(1655~58)浅草に移転するが、その後も神田祭では日輪寺の上人以下が誦経・念仏をして渡御するのが例であったという。
戦国時代には太田道潅や北条氏綱が深く崇敬した。天正19年(1891)徳川家康は朱印地30石を寄進。関ヶ原の合戦に際しては戦勝を祈願、9月15日の例祭(神田祭)の日に勝利したことから、縁起のよい祭礼として絶やすことなく執り行うよう命じられた(江戸時代以前の神田祭は9月15日に行われていた)。
慶長8年(1603)江戸城の拡張のため駿河台に遷され、元和2年(1616)江戸城の鬼門に当たる湯島台の現社地に遷座。徳川秀忠によって江戸城下の総鎮守とされた。
明暦3年(1657)の振袖大火で焼失した後、寛文元年(1661)徳川家綱により再興。その後も元禄16年(1703)の火災、明和9年(1772)の目黒行人坂大火でも炎上するが、そのたびに徳川将軍家によって再建された。
例大祭の神田祭は、日吉山王権現(日枝神社)の山王祭とともに「天下祭」と称され、隔年で神幸行列が江戸城内に入り、将軍の上覧に与った。
〔国会図書館デジタルコレクション〕
明治元年(1868)11月、准勅祭社に列して勅使奉幣の儀があった。明治5年(1872)府社に列格。明治7年(1874)御祭神のうち平将門公を摂社・将門神社に遷し、常陸国の大洗磯前神社より少彦名命を勧請して本殿に祀った。
大正12年(1923)関東大震災により旧社殿が焼失。昭和9年(1934)鉄骨鉄筋コンクリート造総漆朱塗りの現社殿が再建された。昭和20年(1945)の東京大空襲では、境内のほとんどの建物が焼失したが、耐火構造の社殿はわずかに損傷したのみであった。
戦後は順次境内の施設を再建。昭和51年(1976)には総檜造の随神門が再建され、往時の壮観を取り戻した。昭和59年(1984)には摂社に祀られていた平将門公が再び本殿に復座した。
社殿
関東大震災で天明2年(1782)造営の旧社殿が焼失したため、昭和9年(1934)に再建された。伊東忠太・大江新太郎・佐藤功一などの設計で、鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗りの権現造。拝殿手前を土間とし、その先を畳敷きの床とすることで、参拝者は靴を履いたまま拝礼し、神職は床に座って祭式を行うことができるようになっている。
平成15年(2003)国登録有形文化財に登録された。
境内社
境内には江戸三天王と呼ばれる江戸神社・大伝馬町八雲神社・小舟町八雲神社をはじめ、由緒ある境内社が多い。
■江戸神社
江戸三天王の一の宮で、江戸時代には南伝馬町天王あるいは大政所と呼ばれた。御祭神は建速須佐之男命。大宝2年(702)豊島郡江戸の地(現在の皇居内)に創建されたと伝えられ、江戸最古の地主神として崇敬される。江戸時代の天王祭では南伝馬町の御旅所に渡御し、大変な賑わいだったという。旧神田市場の人々の信仰が篤く、神田市場の千貫神輿を神殿としている。
■大伝馬町八雲神社
江戸三天王の二の宮で、江戸時代以前の鎮座と伝えられ、江戸時代には大伝馬町天王と呼ばれた。御祭神は建速須佐之男命。江戸時代の天王祭では大伝馬町の御旅所に渡御し、他の天王社とともに大変賑わったという。天水桶は天保10年(1839)の奉納で、千代田区の有形民俗文化財に指定されている。
■小舟町八雲神社
江戸三天王の三の宮。御祭神は建速須佐之男命。元は小伝馬町が宮元であったが、その後小舟町が引き継いだ。現在でも4年に一回程度天王祭が行われ、大神輿が小舟町に設けられた御旅所に渡御する。天水桶は江戸の魚問屋中に属する商人たちによって奉納されたもので、千代田区の有形民俗文化財に指定されている。
■水神社(魚河岸水神社)
御祭神は水神・弥都波能売命。日本橋に魚市場があった頃、徳川家の武運長久と大漁安全を祈願するため、市場の守護神として神田明神境内に祀られた。明治6年(1873)日本橋の魚市場内に祀られていた常磐稲荷神社に合祀されるが、明治24年(1891)魚河岸水神社と改称、明治34年(1901)神田神社境内に遷座して末社となった。魚市場が築地を経て豊洲に移転した後も市場内に遙拝所が設けられ、市場関係者の信仰を集めている。
■末廣稲荷神社
御祭神は宇迦之御魂神。元和2年(1616)頃に創建された古い社で、宇迦之御魂神・級長戸辺之命・級長彦之命を祀り、庶民の信仰が篤かったという。
■三宿稲荷神社・金刀比羅神社
三宿稲荷神社は宇迦之御魂神を御祭神とし、江戸時代から神田三河町(内神田一・二丁目の一部)の守護神として信仰されていた。その後、当社の神主・芝崎美作守の邸内社・内山稲荷と合祀され、当社の末社となった。
金刀比羅神社は天明3年(1783)日本橋薬研堀に創建され、明治6年(1873)村社に列格した。御祭神は大物主命・金山彦命・天御中主命で、隅田川の船人たちの守護神とされ、飲食業や遊芸を職とする人々からも信仰を集めた。昭和41年(1966)神田神社境内に遷座し、三宿稲荷と相殿で祀られるようになった。
■浦安稲荷神社
御祭神は宇迦之御魂神。元は江戸平川の河口に近い神田鎌倉町(内神田一・二丁目の一部)に祀られていたが、天保14年(1843)神田神社境内に遷座した。
■合祀殿
平成24年(2012)旧籠祖神社社地に社殿を建立し、籠祖神社(猿田彦神・塩土老翁神)、八幡神社(誉田別命)、浅間神社(木花咲耶姫命)、天神社(菅原道真命・柿本人麻呂命)、大鳥神社(日本武尊)、天祖神社(天照大御神)、諏訪神社(建御名方神)を合祀した。
神田祭(天下祭)
例大祭の神田祭は、かつて日枝神社の山王祭とともに隔年で神幸行列が江戸城内に入り、将軍の上覧に与ったことから「天下祭」と称された。京都・八坂神社の祇園祭、大阪・大阪天満宮の天神祭とともに日本三大祭に数えられる。また、日枝神社の山王祭、富岡八幡宮の深川祭と合わせて江戸の三大祭りとも称される。
往古は船渡御が行われていたが、元和年間(1615~24)以来陸路のみの渡御になったという。延宝年間(1673~81)以後、山王祭と隔年で行われるようになった。
江戸時代には36本45番前後の豪華な山車や附け祭が神幸行列に供奉し、江戸城の内曲輪内に練り込んだ。附け祭は曳き物と呼ばれた巨大な人形や流行の音楽を演奏しながら行列に参加した踊り子で、特に人気を博した「大江山凱陣」は『江戸名所図会』にも描かれている。
明治維新の混乱で一時山車の運行が行われなくなるが次第に復興、明治17年(1884)には46本、明治20年(1887)には40本の山車が出た。しかし不景気や電線架線などの影響で次第に山車の運行が難しくなり、大正以降、町神輿に取って代わられるようになった。
戦後になると町神輿の連合宮入が行われるようになり、二の宮の宮神輿(少彦名命)や三の宮の鳳輦(平将門命)が行列に加わった。平成に入ると、諫鼓鶏の山車や大江山凱陣・大鯰と要石の附け祭が復活。世界にその名を知られるアキバを氏子とすることから、アニメを題材とした附け祭も登場している。
写真帖
神田祭
メモ
旧神田区・日本橋区を氏子としている。今や世界にその名を響かせるアキバもその氏子であるところから、平成21年の神田祭にはケロロ軍曹も登場した。
平成16年に拝受した御朱印と平成19年に拝受した御朱印(御朱印帳購入のため)では朱印が変わっている。ネットで調べると、最近拝受したものはたいてい「神田神社之印」のほうだが、稀に「神田明神」のほうもあるようだ。元の印そのものは今も存在しているのかもしれない。
神田神社の概要
名称 | 神田神社 |
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通称・旧称 | 神田明神 |
御祭神 | 大己貴命〔おおなむちのみこと〕 少彦名命〔すくなひこなのみこと〕 平将門命〔たいらのまさかどのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都千代田区外神田二丁目16-2 |
創建年代 | 天平2年(730) |
社格等 | 旧府社 元准勅祭社 別表神社 |
例祭 | 5月15日(神田祭) *5月15日に近い土曜日/神幸祭 *神幸祭の翌日曜日/神輿宮入 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 成人の日/だいこく祭 1月/神楽始(太々神楽) 2月3日/節分祭豆まき式 2月11日/紀元祭 4月3日/祈年祭(春大祭) 6月初旬/大伝馬町八雲神社例祭 6月初旬/小舟町八雲神社例祭 6月30日/夏越大祓式 7月1日/大祓形代流却神事 7月7日/七夕祭 9月彼岸中/将門塚例祭 11月25日/新嘗祭(秋大祭) 12月30日/除災大祓式 12月31日/師走大祓式・除夜祭 |
文化財 | 〈登録有形文化財〉本殿・幣殿・拝殿・神饌所・瑞垣・宝庫・西門・東門 |
巡拝 | 東京十社 |
交通アクセス
□御茶ノ水駅(JR・丸ノ内線)より徒歩5分
□新御茶ノ水駅(千代田線)より徒歩5分
□末広町駅(銀座線)より徒歩5分
□秋葉原駅(JR・日比谷線)より徒歩7分
更新履歴
2006.01.29.公開
2010.06.29.更新、御朱印・画像を追加
2013.05.01.更新、昔の御朱印を追加。
2015.11.17.更新、昔の御朱印を追加。
2016.09.29.改訂、WPに移行、御朱印・昔の御朱印・画像を追加。
2018.10.25.更新、御朱印を追加。