伊曽乃神社 | 愛媛県西条市

伊曽乃神社

伊曽乃神社は、景行天皇の皇子・武国凝別命が当地を開拓した際、皇祖・天照大神の荒魂を祀ったことに始まると伝えられる。古くから朝廷の崇敬を受け、天平神護2年(766)神階従四位下を奉授されたことが『続日本紀』に見える。江戸時代には西条藩の祈願所とされた。

正式名称 伊曽乃神社〔いそのじんじゃ〕
御祭神 伊曽乃神(天照大神の荒魂・武国凝別命)
社格等 式内社(名神大) 旧国幣中社 別表神社
鎮座地 愛媛県西条市中野甲1649 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://www.isonojinja.or.jp/
あわせて読みたい
諸国神社御朱印集 全国には約8万の神社があるといわれる。これは宗教法人となっている神社の数で、旧官国幣社や別表神社など多くの参詣者を集める大きな神社から地域の氏子によって守られ...
目次

御朱印

伊曽乃神社の御朱印

(1)

伊曽乃神社の御朱印

(2)

伊曽乃神社の御朱印

(3)

(1)平成16年拝受の御朱印。朱印・揮毫ともに「伊曽乃宮」。

(2)平成26年拝受の御朱印。朱印・揮毫ともに(1)と同じ。

(3)令和6年拝受の御朱印。朱印・揮毫ともに(1)と同じ。

限定御朱印

伊曽乃神社の御朱印

(4)

伊曽乃神社の御朱印

(5)

伊曽乃神社の御朱印

(6)

伊曽乃神社の御朱印

(7)

伊曽乃神社の御朱印

(8)

(4)令和元年、践祚改元記念の限定御朱印。朱印・揮毫ともに(1)と同じ「伊曽乃宮」。上に御所車の神紋。台紙に社殿。

(5)令和4年、初詣の限定御朱印。朱印・揮毫ともに(1)と同じ「伊曽乃宮」。左上に御所車の神紋。台紙に神門前に安置された銅製の狛犬(伊藤五百亀作)。

(6)令和4年、例大祭の限定御朱印。朱印・揮毫ともに(1)と同じ「伊曽乃宮」。左上に御所車の神紋。台紙に例大祭の宮入りの情景。

(7)令和5年、例大祭の限定御朱印。朱印・揮毫ともに(1)と同じ「伊曽乃宮」。左上に御所車の神紋。台紙に拝殿前に据えられた神輿。

(8)令和6年、例大祭の限定御朱印。朱印・揮毫ともに(1)と同じ「伊曽乃宮」。台紙に加茂川河川敷を宮入りに向かう神輿。

昔の御朱印

伊曽乃神社の御朱印

(9)

(9)昭和16年の御朱印。上の朱印は「伊曽乃宮」。現在のものとほぼ同じで、昭和17年発行の『惟神の礎』にもこの印が掲載されている。下は「国幣中社」。

御由緒

伊曽乃神社神門

御祭神

天照大神の荒魂〔あらみたま〕と武国凝別命〔たけくにこりわけのみこと〕を奉斎し、伊曽乃神と総称する。武国凝別命は景行天皇の皇子で、伊予御村別の祖とされる。

明治3年(1870)頃にまとめられた『伊曽乃大社記』によれば、一座は天照大神だが、もう一座は御神名不知を神秘とし、奉仕する神職も窺うことを甚く禁止されていたという。

この脇殿神一座について、味酒社(現・阿沼美神社)の祠官であった神道家の大山為起は武国凝別命とし、西条藩の地誌『西条誌』は別雷尊(上賀茂神社の御祭神)とする。『伊曽乃大社記』は「加毛大神 祭所 武国凝別皇子」とする。

国幣中社昇格に際し、続日本紀等に基づいて「伊曽乃神」とした。

なお、地元の伝承では、伊曽乃の神は女神であり、石鎚の神(男神)と夫婦であるとされる。

由緒(歴史)

旧社殿(絵はがき)
旧社殿(戦前の絵はがき)

伊曽乃神社は、新居郡神戸・加茂両郷の総鎮守で、成務天皇の御代、景行天皇の皇子である武国凝別命が当地を開拓するにあたり、皇祖・天照大神の荒魂を奉斎したことに始まるという。武国凝別命の末裔は伊予御村別・新居氏を称し、当地方一帯に広がって繁栄した。

古くから朝廷の崇敬を受け、天平宝字6年(762)には新羅遠征のための奉幣があり、天平神護元年(765)には神戸10烟を受けた。翌2年には大山祇神社とともに神階従四位下を受け、神戸5烟を加えられた。

貞観13年(871)に名神大社に列し、同17年(875)には従三位に進む。延喜の制では名神大社とされる。天慶3年(940)には海賊平定の宿禱に対し、正二位を授けられる。永治元年(1141)正一位に極位し、崇徳天皇より「磯野宮」の勅額を賜ったと伝えられる。

神宮寺は内山金光院と称し、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創したという天台寺院であったが、永仁2年(1294)東福寺第9世・仏通禅師により禅宗に改められた。2世寂雲のときに官寺となり、保国寺の号を賜った。そこで、これとは別に金光院の堂塔を残し、保国寺塔頭の第一位として、従来通り伊曽乃神社の神宮寺と別当を兼帯した。

以後も国司・領主による社領の寄進や社殿の造営がたびたびあったが、天正13年(1585)豊臣秀吉による四国征伐の兵火にかかり、社殿・旧記等灰燼に帰した。神主は戦死し、その甥が御神体を捧持して土佐国寺川村に難を避けた。

慶長11年(1606)中野村楠木に仮殿を設けて還座。文禄4年(1595)洪水で社殿が流されたため、別当・金光院跡地の現社地に遷座した。

寛文10年(1670)西条藩主となった松平頼純が社領3石を寄進、以後、西条藩の祈願所六社(伊曽乃・石岡黒島・一宮・村山周敷)の一として崇敬された。

明治4年(1871)の社格制定においては、祭神不詳として官社の認可から外れた。明治5年(1872)郷社、翌6年(1873)県社に列する。以来、昇格運動が続けられ、昭和15年(1940)紀元2600年の祝賀に合わせて国幣中社に昇格した。

伊曽乃神社

社殿は国幣中社昇格に際して改築されたもので、それまでの入蜻蛉造を近代化した神明造である。

伊曽乃神社を含む西条地方の四社の秋祭りを総称して「西条まつり」と呼ばれ、山車(だんじり・御輿・太鼓台と称する)の数の多さで知られる。中でも伊曽乃神社の大祭にはだんじり(屋台)・御輿(太鼓台の一種)約80台が奉納され、一神社に奉納される山車としては全国でも最も数が多いとされる。

見どころ

■石鎚の神の投げ石
地元の伝承では、伊曽乃の神(女神)と石鎚の神(男神・石鎚神社)は夫婦とされる。女人禁制の石鎚山で修行しようとする石鎚の神が伊曽乃の神に、石鎚山頂から3個の石を投げるので、その真ん中の石が落ちたところで待つようにと言って山に入った。その後、三つの石が飛んできたが、その一つが大鳥居の傍にある「石鎚の投げ石」である。

■狛犬
神門前のブロンズ製狛犬は、彫刻家・伊藤五百亀の作品。

写真帖

伊曽乃神社一の鳥居
一の鳥居
伊曽乃神社石鎚の神の投げ石
石鎚の神の投げ石
伊曽乃神社二の鳥居
二の鳥居
伊曽乃神社古茂里神社
古茂里神社
伊曽乃神社狛犬
狛犬(伊藤五百亀作)
伊曽乃神社神門
神門と楠
伊曽乃神社御先神社
御先神社
伊曽乃神社鎮守神社
鎮守神社(又野神社)
伊曽乃神社瑞枝神社
瑞枝神社
伊曽乃神社山王神社厳島神社妙見神社
山王神社・厳島神社・妙見神社
伊曽乃神社遙拝社
遙拝社
伊曽乃神社伊曽乃天満宮
伊曽乃天満宮
伊曽乃神社
拝殿
伊曽乃神社本殿
本殿
伊曽乃神社神輿の出御
例大祭 神輿の出御
伊曽乃神社神輿の還御
例大祭 神輿の還御

メモ

私にとっては産土神である。初宮参りも伊曽乃神社に行っているので(といっても記憶はないが)、私が初めて参拝した神社ということになる。そのため、神社というと伊曽乃神社がイメージの基準になる。

伊曽乃神社の概要

名称 伊曽乃神社
旧称 磯野大明神 伊曽乃宮 磯野宮
御祭神 天照大神の荒魂〔あまてらすおおみかみのあらみたま〕
武国凝別命〔たけくにこりわけのみこと〕
鎮座地 愛媛県西条市中野甲1649番地
創建年代 伝・成務天皇28年(158)
社格等 式内社 旧国幣中社 別表神社
延喜式 伊豫國新居郡 伊曾乃神社 名神大
例祭 10月15~16日(西条まつり)
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月3日/元始祭
1月15日/左義長神事
1月25日/初天神・筆供養
2月1日/厄除年賀大祈祷祭
2月11日/紀元祭
2月17日/祈年祭
4月第1日曜日/春季例祭
5月5日/菖蒲祭
6月15日/古神札焼納祭
6月30日/大祓式
旧6月15日/夏越祭
10月17日/神嘗祭奉祝祭
11月3日/明治祭
11月23日/新嘗祭
12月13日/煤払い神事
12月31日/大祓式・除夜祭
文化財 〈重要文化財〉与州新居系図

交通アクセス

□JR予讃線「伊予西条駅」より徒歩30分、またはバス
■せとうちバス西之川・中之池行き「伊曽乃」下車徒歩約5分
■せとうちバス周桑営業所・今治営業所行き「東光」下車徒歩約12分

更新履歴

2007.06.10.公開
2017.06.10.改訂、WPへ移行、御朱印・画像を追加。
2024.10.19.更新、御朱印を追加。

あわせて読みたい
愛媛県の神社 ■旧官国幣社 大山祇神社正式名称:大山祇神社鎮座地:今治市大三島町宮浦 伊曽乃神社正式名称:伊曽乃神社鎮座地:西条市中野甲 大山祇神社今治市大三島町宮浦 伊曽乃神...

※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。
※掲載されている古い資料画像(納経帳、絵葉書等)について、特に引用元を明示したもの以外は管理者が所有する資料であり、無断使用はご遠慮ください。使用を希望される場合は管理者までご連絡ください。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次