大麻比古神社は、神武天皇の御代、阿波国に入った天富命が太祖・天太玉命を守護神として祀ったことを創祀とする。中世には阿波国一宮とされ、江戸時代には藩主・蜂須賀氏の崇敬を受けて阿波国・淡路国の総鎮守とされた。古くから方除け・厄除け・交通安全の神として広く信仰を集める。
正式名称 | 大麻比古神社〔おおあさひこじんじゃ〕 |
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御祭神 | 大麻比古大神 〈相殿〉猿田彦大神 |
社格等 | 式内社(名神大) 阿波国一宮 旧国幣中社 別表神社 |
巡拝等 | 四国八十八ヶ所(旧1番奥之院) |
鎮座地 | 徳島県鳴門市大麻町板東13 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.ooasahikojinja.jp/ |
御朱印
(1)平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は「大麻比古社印」、右上に「阿波国一宮」。
昔の御朱印
昭和戦前の御朱印
(1)昭和16年の御朱印。中央の朱印は「大麻比古社印」で、現在の御朱印とほぼ同じ。昭和17年の『惟神の礎』にもこの印が掲載されている。右上の印は「阿波一宮」、左上は「国幣中社大麻比古神社参拝記念」。
江戸・明治の御朱印(納経)
(1)文政8年(1825)の納経。揮毫は「奉納経」「一國一宮 正一位大麻彦神社」「阿州 別當 霊山寺」。中央・左下の朱印はともに「弌乗院」(別当霊山寺の院号)で、同じ納経帳の霊山寺の納経と同じ印が使われている。左下の「別當」という文字のところには「別當」らしき朱印が押されている。
(2)明治15年(1882)の御朱印。揮毫は「圀幣中社 阿波國」「大麻比古神社」「社務所」。中央の朱印は「大麻比古社印」で、現在の朱印とほぼ同じ。左下は「社務所印」。
御由緒
御祭神
■大麻比古大神
■猿田彦大神
大麻比古神社の御祭神について、現在は大麻比古大神を主祭神、猿田彦大神を配祀神とし、大麻比古大神は忌部氏の祖・天太玉命のこととしている。
しかし、室町時代成立とされる『大日本国一宮記』や吉田兼倶の『延喜式神名帳頭註』などをはじめ、江戸時代以前は御祭神を猿田彦命とする説が強かったようで、当社の社家に生まれた国学者・永井精古もこの説に従っている。
一方で、天日鷲命など忌部氏の祖神とする説もあり、享保14年(1754)別当霊山寺・本願実相院・神主永井若狭・板東石見連署で提出した申立書では「御神体猿田彦大神と崇め奉り候ふ儀、なおまた秘説これあり候へども…」と猿田彦命説を暗に否定し、本来の御祭神は天日鷲命であることを示唆している。
また、国学者の野口年長は、安房国の下立松原神社に伝わる忌部氏系図に「天日鷲命の子大麻比古命又名津咋見命〔つくいみのみこと〕」とあることから、御祭神を津咋見命とした。『古語拾遺』によれば、津咋見命は天照大神が天岩戸に隠った際、天日鷲命とともに穀〔かじ〕の木を植え、木綿〔ゆう〕を作ったとされる神である。
明治41年(1908)大麻比古神社の宮司・山口定美は、
①阿波国は忌部氏ともっとも関わりの深い国なので、忌部氏の太祖・太玉命を祀るはずで、それは小社ではなく大社であるはずであること、
②阿波国の式内社五十座中に大社は三社あるが、天石門別八倉比売神社が女神を祀ることは間違いなく、忌部神社が天日鷲命を祀ることは明確なので、大麻比古神社を措いて太玉命を祀る神社はなく、小社にも太玉命を祭神とすると思われる神社がないこと、
③讃岐国多度郡大麻村の大麻神社の御祭神は、『諸国神名帖』及び『神祗宝典』に「大麻神社 阿波国大麻比古神同体也」とあり、『神祗志』に「大麻神社今在大麻村大麻山。伝云祀天太玉命」と見えること、
などを根拠とし、御祭神を天太玉命であるとした。
由緒(歴史)
大麻比古神社は、阿波国一宮、阿波国・淡路国総鎮守として古くから崇敬された式内名神大社・旧国幣中社である。
社伝によれば、神武天皇の御代、天富命〔あめのとみのみこと〕が勅命を奉じて阿波国に入り、麻・楮の種を蒔き、木綿〔ゆう〕麻布などの生産を行った。その守護神として太祖・天太玉命を奉斎したのが創祀とされる。また、後に大麻山の峰に祀られていた猿田彦大神を合祀したという。大麻山の山頂には奥宮峯神社がある。
古くより朝廷の崇敬を受け、貞観元年(859)従五位下から従五位上に昇叙され、さらに貞観9年(867)正五位上、元慶2年(878)従四位下、元慶7年(883)従四位上に進んだ。延喜の制では名神大社に列する。
中世には阿波国の一宮とされ、細川氏・三好氏など領主の崇敬が篤かった。江戸時代に徳島藩主となった蜂須賀氏も深く尊崇し、阿波国及び淡路国の総鎮守とされた。享保4年(1719)には正一位に極位した。元文元年(1736)社領25石が寄進され、うち15石分は板東・永井の両神主に、10石分は別当の霊山寺と本願の実相院に与えられた。藩費による社殿の造営が行われ、年々祭祀料が奉られたという。
別当の竺和山霊山寺は四国八十八ヶ所の第一番札所で、元禄2年(1689)に著された寂本の『四国徧礼霊場記』では、大麻彦権現は霊山寺の奥の院とされている(現在は種蒔き大師・東林院が1番奥の院とされる)。また、真念の『四国辺路道指南』には「(霊山寺の)北三丁に大麻彦大明神伴社中宮西宮あり。かならず参詣すべし」とある。
本願の大麻山実相院は当山派修験で、当時は大きな力を持っていたというが、明治初期に廃寺となった。
明治の神仏分離で霊山寺と分離し、明治6年(1873)国幣中社に列格。明治13年(1880)国費によって本殿などの造営が行われた。また、昭和45年(1970)には、明治維新100年を記念して祝詞殿・内拝殿・外拝殿などが造営された。
社殿後方のドイツ橋とめがね橋は、第一次世界大戦で捕虜となった板東俘虜収容所のドイツ兵士たちによって造られたもの。帰国を前に、収容所での寛大な処置に対する感謝の記念として造ったという。現在では日独両国民の友情の架け橋として大切に保存されている。
阿波国一宮について
現在、一般に阿波国一宮は大麻比古神社とされている。その初見は室町時代の『大日本一宮記』だが、古くは徳島市一宮町の一宮神社、あるいは名西郡神山町神領の上一宮大粟神社だったという説がある。
『中世諸国一宮制の基礎的研究』もこの説を採り、「南北朝時代に、細川氏の守護所にも近く、伝統的な社格を誇っていた大麻社が、敵対勢力であった一宮氏が神主を世襲していた一宮神社に代わる新たな阿波国一宮としての地位を得ることになったと考えられる」としている。
写真帖
メモ
四国遍路で賑わう霊山寺の山門横の道を北に進むと、神体山・大麻山を背に巨大な朱塗りの鳥居が見える。さらに進むと大麻比古神社の境内に至る。長い参道の両脇に並ぶ真新しい石灯籠が印象的。
徳島県を代表する神社として広く崇敬を集めているだけあって、次々と参拝者が訪れていた。境内近くには参拝の前年に公開された映画「バルトの楽園」のロケセットが公開されており、そちらへの観光客も多かったようだ。
なお、大鳥居脇の天神社に、式内論社・鹿江比売神社の石祠があるそうだが、準備不足で参拝時には気がつかなかった。また、板東駅近くにある境外摂社・宇志比古宇志比売神社は式内・宇志比古神社の論社だが、こちらも未参拝。
大麻比古神社の概要
名称 | 大麻比古神社 |
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通称 | 大麻はん(おわさはん) |
旧称 | 大麻彦権現 大麻彦大明神 |
御祭神 | 大麻比古大神〔おおあさひこのおおかみ〕 〈相殿〉 猿田彦大神〔さるたひこのおおかみ〕 |
鎮座地 | 徳島県鳴門市大麻町板東字広塚13番地 |
創建年代 | 伝・神武天皇の御代 |
社格等 | 式内社 阿波国一宮 旧国幣中社 別表神社 |
延喜式 | 阿波國板野郡 大麻比古神社 名神大 鹿江比賣神社(境内社 鹿江比売神社) 宇志比古神社(境外摂社 宇志比古宇志比売神社) |
例祭 | 11月1日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月2日/氏子崇敬者隆昌・交通安全祈願祭 1月3日/元始祭 旧1月1日~3日/神迎祭 2月3日/神火大祭 2月11日/紀元祭 2月17日/祈年祭 旧3月12日/大御神楽祭・湯立神事 6月30日/夏越の祓 8月18日/奥宮峯神社例祭 11月23日/新嘗祭 12月31日/年越の祓 |
文化財 | 〈県史跡〉ドイツ橋 |
交通アクセス
□JR高徳線「板東駅」より徒歩25分
□JR高徳線「徳島駅」よりバス
■徳島バス大麻神社前行き「大麻神社前」下車徒歩すぐ
□高速バス「鳴門西BS」より徒歩20分