石清水八幡宮は、貞観元年(859)行教上人が宇佐八幡宮で神託を受け、翌2年(860)山城国男山に八幡大神を勧請したことを創祀とする。当時は石清水八幡宮護国寺と称した。創建以来、国家第二の宗廟として朝野の尊崇を受けた。特に清和源氏が氏神としたことから武門の崇敬が厚く、鶴岡八幡宮など各地に勧請された。
正式名称 | 石清水八幡宮〔いわしみずはちまんぐう〕 |
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御祭神 | 八幡三所大神(応神天皇 比咩大神 神功皇后) |
社格等 | 式外社 二十二社 旧官幣大社 勅祭社 別表神社 |
鎮座地 | 京都府八幡市八幡高坊30 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.iwashimizu.or.jp/ |
御朱印
(1)平成13年拝受の御朱印。中央の朱印は「石清水八幡宮」、右上は白抜きで「奉拝」。
(2)平成19年拝受の御朱印。朱印・揮毫ともに平成13年のものと同じ。
(3)平成28年拝受、鳩文字の御朱印。右に「国宝」の印が加えられている。
摂社の御朱印
(1)武内社の御朱印、平成28年拝受。中央上の朱印は「石清水八幡宮摂社」、下は「武内社」。
(2)石清水社の御朱印、平成28年拝受。中央上の朱印は「石清水八幡宮摂社」、下は「石清水社」と瓢箪に「霊泉」。
(3)高良神社の御朱印、平成28年拝受。中央上の朱印は「石清水八幡宮摂社」、下は「高良神社」。右に「徒然草 第五十二段の地」。
(4)高良神社の御朱印、平成26年拝受。中央の朱印は「高良神社」、右に「徒然草 第五十二段の地」。
昔の御朱印
江戸・明治の御朱印
(1)明和6年(1769)の納経(御朱印)。揮毫は「奉納大乗妙典」「右石清水八幡宮霊場取蔵如件」「執行岩本坊役者」。中央に宝印はない。右上の印は「雄徳山」、左下の印は判読できない。岩本坊は男山四十八坊の一で、入寺という職に任じられていた。「雄徳山」は男山のこと。
(2)文政6年(1823)の納経(御朱印)。揮毫は「奉納経」「石清水八幡宮宝前」「執行 役者」。右上の印は「日本第二宗廟」、中央と左下の印は判読できない。
(3)明治12年の御朱印。揮毫は「官幣大社/男山八幡宮」、朱印は「男山八幡宮御璽」。明治の初めから大正7年までの社号は男山八幡宮であった。
大正から昭和の御朱印
(1)大正12年の御朱印。この印は大正から昭和初めに授与されていたようである。上の朱印は「官幣大社石清水八幡宮参拝記念」、下は三つ巴の神紋と「石清水八幡宮」「参拝記念」の文字を矢で囲っている。
(2)昭和5年の御朱印。上の印は「官幣大社石清水八幡宮之印」で、大正13年の『神社山陵印譜』にはこの印が押されている。下は(1)のものと同じ。
(3)昭和8年の御朱印。朱印は「石清水八幡宮」で、現在のものと同じ印影である。昭和17年発行の『惟神の礎』もこの印が掲載されている。 下は(1)のものと同じ。
御由緒
御祭神
中御前…応神天皇(誉田別尊、第15代天皇)
西御前…比咩大神(多紀理毘売命・市杵島姫命・多岐都比売命)
東御前…神功皇后(息長帯比売命、応神天皇の母君で第14代仲哀天皇の皇后)
以上の三柱を八幡三所大神あるいは八幡大神と総称する。
御由緒
石清水八幡宮は、京都の裏鬼門に当たる男山に鎮座し、都の守護神・国家安泰の神として広く崇敬されてきた。
貞観元年(859)大安寺の行教上人が、宇佐八幡宮に参籠した際、八幡大神より「われ都近く移座して国家を鎮護せん」との託宣を受けた。これを朝廷に上奏し、翌2年(860)石清水八幡宮護国寺を創建、八幡大神、比咩大神、神功皇后の八幡三所大神を奉斎した。
石清水八幡宮が鎮座する男山は鳩ヶ峰(鳩嶺)とも称する。木津川・宇治川・桂川の合流点の南岸にあり、交通・軍事の要衝である。社号は山腹の霊泉・石清水に因む。その傍らにあった石清水寺が八幡宮の創建により護国寺となったとされる。
石清水八幡宮護国寺は神仏習合の宮寺であった。男山四十八坊といわれるように、40~50の僧坊があり、社僧たちが儀式・社務を司っていた。神主・俗別当は、行教上人の出身氏族である紀氏が世襲した。
創建以来、伊勢神宮に次ぐ国家第二の宗廟として朝野から篤く崇敬された。宮寺であったことから延喜式神名帳には記載されていないが、二十二社の制では上七社の第二位に列する。歴代天皇がしばしば行幸し、円融天皇以来240度余りになるという。勅使の差遣〔さしつかわし〕、奉幣なども度々であった。また例祭の石清水祭(放生会)は、賀茂社の葵祭、春日社の春日祭とともに三大勅祭とされた。
武門の崇敬も篤く、特に清和源氏は石清水八幡宮を氏神として尊崇した。清和源氏の発展に伴い、鎌倉の鶴岡八幡宮をはじめ各地に勧請された。
明治の神仏分離によって僧坊は破却され、仏教的要素は排除された。明治4年(1871)官幣大社に列し、男山八幡宮と改称されたが、大正7年(1918)石清水八幡宮の旧称に復した。
寛永11年(1634)徳川家光によって造営された八幡造りの社殿をはじめ文化財も多い。平成28年(2016)本殿など10棟が国宝に指定された。
御朱印を拝受できる摂社
石清水八幡宮には数多くの摂末社があるが、摂社の武内社・石清水社・高良神社の御朱印をいただくことができる。
武内社
御祭神は武内宿禰命。社殿は国宝で、御本社本殿の北西、廻廊内に鎮座する。通常、直接参拝することはできないため、本殿前から拝することになる。
石清水社
男山の中腹に鎮座する。創建は八幡宮勧請以前に遡り、石清水八幡宮の名の由来となった霊泉・石清水を祀ったことに始まると伝えられる。御祭神は天之御中主神。
石清水は男山五水の中でも特に尊ばれ、古来、皇室及び将軍家の祈祷に当たっては、この泉で汲んだ「御香水」を神前に献供するのを例とした。
高良神社
男山の山麓、一の鳥居をくぐり、頓宮を通り過ぎると、参道西側に鎮座する。御祭神は高良玉垂命。行教上人の創建で、その年代は貞観2年(860)とも同11年(869)ともいわれる。八幡地区の鎮守で、7月に行われる「太鼓まつり」には各地区から太鼓みこしが奉納される。
また、仁和寺の僧が石清水八幡宮を参拝したのに、山麓の極楽寺や高良神社を見て本宮と勘違いし、山上に登らずに帰ったという『徒然草』52段の話でもよく知られる。
写真帖
メモ
京阪八幡市駅からはケーブルカーもあるが、徒歩で上ってもそれほど大変ではない。道はいくつかあるが、表参道を行くと、頓宮殿から茶店まで、いくつかの祠を除いて建物はない。かつては宿坊が立ち並んでいたようだが、神仏分離ですべて破却され、その跡地も森になっている。
境内にエジソン記念碑がある。これは、エジソンが白熱電灯を発明した際、石清水八幡宮境内の真竹をフィラメントの材料に使ったことに因み、昭和9年(1934)電気関係者によって建立されたものである(現在のものは、昭和59年(1984)新たに建てられたもの)。
石清水八幡宮の概要
名称 | 石清水八幡宮 |
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旧称 | 石清水八幡宮護国寺 男山八幡宮 |
御祭神 | 八幡三所大神 応神天皇〔おうじんてんのう〕(誉田別尊) 比咩大神〔ひめおおかみ〕(多紀理毘売命・市寸島姫命・多岐都比売命) 神功皇后〔じんぐうこうごう〕(息長帯比売命) |
鎮座地 | 京都府八幡市八幡高坊30番地 |
創建年代 | 貞観2年(860) |
社格等 | 勅祭社 二十二社 旧官幣大社 式外社 別表神社 |
例祭 | 9月15日(勅祭 石清水祭) |
神事・行事 | 1月1日/若水神事、歳旦祭 1月3日/元始祭 1月7日/七草祭 1月15日~19日/厄除大祭 1月18日/青山祭 1月19日/厄除大祭焼納神事 2月1日・3日/湯立神事 2月節分直前の日曜/鬼やらい神事 2月11日/紀元祭、エジソン生誕祭 3月3日/桃花祭 3月春分の日~4月30日/男山桜まつり 4月3日/御鎮座奉祝祭 4月第2日曜日/崇敬者大祭 5月5日/菖蒲祭 5月~6月/御田植祭 6月30日/夏越大祓 7月7日/七夕祭 7月中旬/高良神社 やわた太鼓まつり 8月15日/終戦記念日神事 9月9日/菊花祭 10月中旬/抜穂祭 10月17日/神嘗奉祝祭・神嘗祭遙拝 10月18日/エジソン碑前祭 10月25日/狩尾社祭 11月3日/明治祭 11月19日/交通安全大祭 11月23日/新嘗祭 12月14日/御誕辰祭、御神楽 12月冬至/八幡御神矢・神符・守札遷霊祭 12月31日/年越大祓・除夜祭 |
文化財 | 〈国宝〉本殿 摂社武内本殿 瑞籬 幣殿及び舞殿 楼門 東門 西門 回廊(三棟) 附:棟札三枚 〈重文〉五輪塔 石燈篭 木造童形神坐像 石清水八幡宮護国寺略記 類聚国史(巻第一・第五) 田中宗清願文 石清水八幡宮文書 〈史跡〉松花堂およびその跡 |
巡拝 | 神仏霊場81番 |
交通アクセス
□京阪本線「八幡市駅」より徒歩約30分、またはケーブルカー
■男山ケーブル「男山山上駅」より徒歩5分