近代社格制度における神宮及び官国幣社の御朱印の紹介。近代社格制度が制定された明治4年(1871)から廃止された昭和20年(1945)までの御朱印を掲載する。
ここでは官幣大社全64社のうち、春日大社以下9社の御朱印を紹介する。
神社の順序、掲載する御朱印の基準、各神社の説明の内容についてはこちらを参照。
各神社の画像はいずれも資料として収集した戦前の絵はがきである。
神宮及び官国幣社の御朱印一覧
春日神社(春日大社)
■春日神社
現社号:春日大社
御祭神:建御賀豆智命、伊波比主命、天之子八根命、比売神
※現在は武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神と表記
鎮座地:奈良県奈良市春日野町
社格:式内社(名神大 月次新嘗)、二十二社、勅祭社
国史所載の神階:正一位勲一等(建御賀豆智命・伊波比主命)
列格:明治4年5月14日
公式サイト:https://www.kasugataisha.or.jp/
■御朱印
(1)明治9年(1876)の御朱印。中央に朱印はない。左下の黒印は「春日社勤番所」。墨書は「大和国添上郡三笠山鎮座/官幣大社春日神社/社務所」。
(2)明治17年(1884)の御朱印、木版印刷の書き置き。中央の朱印は下り藤の神紋、左下の印は「春日神社社務所印」。文字部分は木版で「官幣大社/春日神社/参拝」。
(3)大正10年(1921)の御朱印。中央上の朱印は下り藤の神紋に「官幣大社/春日神社」、下の印は「官幣春日大社/参拝記念」。左下は「南都春日神社々務所」。
(4)大正14年(1925)の御朱印。中央の朱印は下り藤の神紋に「春日神社」。右上の印は「官幣春日大社/参拝記念」で、(3)に使われている印と同じ。左下は下り藤の神紋に「春日大社/参拝記念」。
(5)時期不詳、大正末から昭和初期のものと思われる御朱印。上の朱印は「春日神社之印」。下の印は下り藤の神紋に「春日神社」で、(4)の中央の印と同じ。
(6)昭和2年(1927)の御朱印。中央の朱印は下り藤の神紋に「春日神社」、右上の印は「官幣大社」。
(7)昭和3年(1928)の御朱印。中央の朱印は「官幣大社春日神社」。下の印は下り藤の神紋に「春日大社/参拝記念」で(4)に使われている印と同じ。
(8)昭和7年(1932)の御朱印。中央の朱印は(7)と同じ「官幣大社春日神社」。下の印は「官幣春日大社/参拝記念」。
(9)昭和10年代の御朱印。朱印は「官幣大社春日神社」で(7)(8)とほぼ同じだが、少し字体が違っており、印を新調したようだ。昭和17年の『惟神の礎』に掲載されているのはこの印であろう。
(10)昭和10年代後半の御朱印。朱印は「春日神社」。
(11)昭和10年(1935)頃、奈良県神職会が作成した「御印集」という御朱印カード。上の印は下り藤の神紋で(2)と同じ、下は「春日神社之印」で(5)と同じ。
(12)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。
廣瀬神社(廣瀬大社)
■廣瀬神社
通称:廣瀬大社
御祭神:若宇迦売命
※現在は若宇加能売命と表記
鎮座地:奈良県北葛城郡河合村川合(北葛城郡河合町川合)
社格:式内社(名神大 月次新嘗)、二十二社
国史所載の神階:正三位
列格:明治4年5月14日
公式サイト:https://hirosetaisya.p-kit.com/
※絵はがき…宛名面は大正7年から昭和8年のものだが、「14.6.4」というメモがあるので、大正14年以前のものであろう。
■御朱印
(1)大正10年(1921)頃の御朱印。上の朱印は「大和國廣瀬神社印」、下の印は「官幣大社廣瀬神社社務所印」。
(2)昭和5年(1930)の御朱印。下の朱印は「大和國廣瀬神社之印」で、現在もほぼ同じ印が使われている。昭和17年の『惟神の礎』に掲載されているのもこの印である。上は「官幣大社」だが、枠が何を描いているかがわからない。琴柱のようでもあるが、ちょっと違うように思われる。
(3)昭和19年の御朱印。下の朱印は「大和國廣瀬神社之印」で(2)と同じだが横倒しになっている。上の印は「廣瀬神社」。
(4)昭和10年(1935)頃、奈良県神職会が作成した「御印集」という御朱印カード。上の印は「官幣大社」で(2)と同じ、下は「廣瀬神社」で(3)と同じ。
(5)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。
龍田神社(龍田大社)
■龍田神社
現社号:龍田大社
御祭神:天御柱命、国御柱命
鎮座地:奈良県生駒郡三郷村立野(生駒郡三郷町立野)
社格:式内社(名神大 月次新嘗)、二十二社
国史所載の神階:正三位
列格:明治4年5月14日
公式サイト:https://www.tatsutataisha.jp/
■御朱印
(1)大正10年代の御朱印。中央の朱印は「龍田神社之印」。右上の印は「官幣大社」、左下は「龍田神社社務所」。
(2)大正15年(1926)の御朱印。下の朱印は「龍田神社之印」。上の印は「官幣大社」。
(3)時期不詳、大正末から昭和初期のものと思われる御朱印。下の朱印は「龍田神社」、上は龍田紅葉の神紋。
(4)時期不詳、昭和初期の御朱印。中央の朱印は「龍田神社」で(3)と同じ。右上の印は「官幣大社」、右下は紅葉に「官幣大社龍田神社/参拝紀念章」、左下は「龍田神社社務所印」。
(5)昭和10年(1935)の御朱印。上の朱印は「官幣大社龍田神社印」、下は紅葉に「多つ田本宮」。
(6)昭和10年(1935)頃、奈良県神職会が作成した「御印集」という御朱印カード。朱印は(5)と同じ。
(7)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。
丹生川上神社
丹生川上神社は室町時代以降衰退し、所在もわからなくなった。江戸時代以来研究で長谷村の丹生明神(現在の下社)が有力とされ、明治4年12月13日の太政官布告により丹生川上神社に比定された。しかし明治29年(1896)丹生川上神社少宮司・江藤正澄の説に従い長谷村の丹生川上神社を丹生川上神社下社、迫村の高龗神社を上社とし、両社を合わせて官幣大社丹生川上神社とした。さらに大正11年(1922)森口奈良吉の主張により、小村の蟻通神社を丹生川上神社中社とし、改めて3社を合わせて官幣大社丹生川上神社とされた。第二次大戦後、3社はそれぞれ独立した神社となっている。
■御朱印
(1)昭和18年(1943)の御朱印。昭和10年代、丹生川上神社三社では「官幣大社/丹生川上神社」の印にそれぞれ「上社」「丹生川上神社中社印」「下社」の印を押していた。
(2)昭和10年(1935)頃、奈良県神職会が作成した「御印集」という御朱印カード。朱印は三社共通の「官幣大社/丹生川上神社」の印。
(3)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。
丹生川上神社 上社
■丹生川上神社 上社
※旧称は高龗神社、明治7年丹生川上神社奥の宮、明治29年丹生川上神社上社
御祭神:高龗神
鎮座地:奈良県吉野郡川上村迫
社格:式内論社(名神大 月次新嘗)、二十二社(論)
国史所載の神階:正三位
昇格:明治29年11月4日←明治6年郷社列格
公式サイト:http://web1.kcn.jp/niukawakamijinja-kamisha/
※絵はがき…大正6年(1917)に造営された旧社殿。大滝ダム建設による境内移転・社殿新築に伴い、平成13年(2001)明日香村の飛鳥坐神社に移築された。
■御朱印
(4)昭和5年(1930)の御朱印。上の印は三社共通の「官幣大社/丹生川上神社」の印、下は「官幣大丹生川上神社上社印」。
(5)時期不詳の御朱印。上の印は「上社」、下は(4)と同じ「官幣大丹生川上神社上社印」。
(6)時期不詳の御朱印、昭和10年代か。上は「上社」、下は三社共通の「官幣大社/丹生川上神社」。
丹生川上神社 中社
■丹生川上神社 中社
※旧称は蟻通神社、大正11年丹生川上神社中社に改称
御祭神:罔象女神
鎮座地:奈良県吉野郡小川村小(吉野郡東吉野村小)
社格:式内論社(名神大 月次新嘗)、二十二社(論)
国史所載の神階:正三位
昇格:大正11年10月12日←明治6年郷社列格
公式サイト:https://niukawakami-jinja.jp/
■御朱印
(7)時期不詳の御朱印、大正末から昭和初期のものか。上の朱印は「官幣大社丹生川上神社神璽」、下は「官幣大社丹生川上神社中社/参拝紀念」。
(8)昭和9年(1934)の御朱印。上の朱印は三社共通の「官幣大社/丹生川上神社」、下の印は「丹生川上神社中社印」。
丹生川上神社 下社
■丹生川上神社 下社
御祭神:闇龗神
鎮座地:奈良県吉野郡丹生村長谷(吉野郡下市町長谷)
社格:式内論社(名神大 月次新嘗)、二十二社(論)
国史所載の神階:正三位
列格:明治4年12月13日
公式サイト:https://www.facebook.com/niukawakamishimosya/
■御朱印
(9)明治10年(1877)の御朱印、木版印刷の書き置き。この時点では下社が丹生川上神社とされていた。中央に朱印はない。右上の朱印は「丹生」で現在下社で使われている印とほぼ同じ。左下の印は「官幣大社丹生川上神社之印」。文字は木版で「今度参拜ニ付敬神人名録ニ記載候也/官幣大社 大和國吉野郡丹生郷丹生村/丹生川上神社 社務所」。
枚岡神社
■枚岡神社
御祭神:天児屋根命、比売神、武甕槌命、斎主命
鎮座地:大阪府中河内郡枚岡町出雲井(東大阪市出雲井町)
社格:式内社(名神大 月次相嘗新嘗)、河内国一宮
国史所載の神階:正一位勲三等(天児屋根命)
列格:明治4年5月14日
公式サイト:http://hiraoka-jinja.org/
■御朱印
(1)大正12年(1923)の御朱印。中央の朱印は「枚岡神社章」、上は「官幣大社」。
(2)昭和初年のものと思われる御朱印。中央の朱印は「官幣枚岡大社」、上は「河内國弌之宮/官幣大社枚岡大社/参拝紀念之印」。
(3)昭和14年(1939)の御朱印。朱印は「官幣大社枚岡神社」。
(4)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。
大鳥神社(大鳥大社)
■大鳥神社
通称:大鳥大社
御祭神:大鳥連祖神
※現在は日本武尊と大鳥連祖神の二柱とする。
鎮座地:大阪府堺市鳳北町(堺市西区鳳北町)
社格:式内社(名神大 月次新嘗)、和泉国一宮
国史所載の神階:従三位勲八等
列格:明治4年5月14日
公式サイト:https://www.ootoritaisha.jp/
■御朱印
(1)明治12年(1879)の御朱印。中央の朱印は判読しづらいが「神靈」のようである。左下の印は「大鳥神社社務所印」。墨書は「和泉国大鳥郡大鳥座/官幣大社/大鳥神社/社務所」。
(2)明治16年(1883)の御朱印、木版印刷の書き置き。中央の朱印は「大鳥神宮」。左下の印は「大鳥神社社務所印」で(1)で使われているものと同じ。文字は木版で「官幣大社/和泉大鳥郡鎭座/大鳥神社/社務所」。
(3)大正8年(1919)の御朱印。中央の朱印は「大鳥神社」。右上の印は「和泉囶一之宮」。左下は「大鳥神社社務所印」で(1)で使われているものと同じ。墨書は「和泉國一宮/官幣大社大鳥神社/社務所」。
(4)大正12年(1923)の御朱印。中央の朱印は「官幣大社大鳥神社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。右上の印は「和泉囶一之宮」で(3)で使われているものと同じ。左下は「大鳥神社社務所印」で(1)から(3)で使われているものと同じ。
(5)大正15年(1926)の御朱印。上の朱印は「千種森」、その下は(4)と同じ「官幣大社大鳥神社」。左下は「官幣大社大鳥神社社務所印」。
(6)昭和3年(1928)頃の御朱印。上の朱印は「大鳥神社」。右下の印は「和泉囶一之宮」で(3)で使われているものと同じ。左下は「千種之宮」。
(7)昭和7年(1932)の御朱印。中央の朱印は「大鳥神社」。右上の印は「和泉囶一之宮」で(3)などで使われているものと同じ。左下は「千種之宮」で(6)と同じ。
(8)昭和10年代の御朱印。中央の朱印は(4)と同じ「官幣大社大鳥神社」。右上の院は(3)などと同じ「和泉囶一之宮」、左下は(6)と同じ「千種之宮」。
(9)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。
住吉神社(住吉大社)
■住吉神社
現社号:住吉大社
御祭神:表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長帯姫命
鎮座地:大阪府大阪市住吉区住吉町(大阪市住吉区住吉)
社格:式内社(名神大 月次相嘗新嘗)、二十二社、摂津国一宮
国史所載の神階:従一位(正一位)勲三等
列格:明治4年5月14日
公式サイト:https://www.sumiyoshitaisha.net/
■御朱印
(1)明治14年(1881)の御朱印。中央の朱印は「住吉神印」。右上の印は「摂陽第弌之宮」、この印は昭和に至るまで用いられ、現在もほぼ同じデザインのものがサイズを変えて使われている。左下は「住吉神社之章」。
(2)明治16年(1883)の御朱印、木版印刷の書き置き。朱印三種は(1)と同じ。文字は木版で「官幣大社/摂津國第一宮住吉郡住吉村/住吉神社/社務所」。
(3)大正8年(1919)の御朱印。上の朱印は「摂陽第弌之宮」で(1)と同じ。下の印は「官幣大社住吉神社参拝之章」。墨書は「官幣大社住吉神社」。
(4)時期不詳だが大正時代のものと思われる御朱印。中央の朱印は「住吉神社之章」、右上は「摂陽第弌之宮」で、いずれも(1)で使われている印と同じ。
(5)大正13年(1924)の御朱印。中央の朱印は「住吉大社」、右上は(1)と同じ「摂陽第弌之宮」、下は(3)と同じ「官幣大社住吉神社参拝之章」。
(6)昭和10年(1935)頃の御朱印。上の朱印は(1)と同じ「摂陽第弌之宮」。下の印は「住吉大社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。
(7)時期不詳の御朱印。右上の「摂陽第弌之宮」の印のサイズが変わっているため、(6)より後のものではないかと推測しているが、確実とは言えない。中央の朱印は「住吉大社」だが、(6)とは少し字体が異なるようにも思える。左下は「官幣大社住吉神社」。
(8)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。
生國魂神社
■生國魂神社
御祭神:生島神、足島神
鎮座地:大阪府大阪市天王寺区生玉町
社格:式内社(名神大 月次相嘗新嘗)
国史所載の神階:従四位下勲八等
列格:明治4年5月14日
公式サイト:https://www.ikutamajinja.jp/
※大正2年再建の生國魂造の本殿。昭和20年に空襲で焼失した。
■御朱印
(1)明治14年(1881)の御朱印。中央の朱印は「生國魂大神璽」。右上の印は「官幣大社」、左下は「生國魂神社社務所印」。墨書は「官幣大社/生國魂神社/社務所」。
(2)明治17年の御朱印、木版印刷の書き置き。判読しづらいが、朱印三種は(1)と同じと思われる。文字は木版で「官幣大社/生國魂神社/社務所」。
(3)明治39年(1906)はがきに押された御朱印(明治39年のはがきアルバム所収)。右上の印は「官幣大社」で(1)で使われている印と同じと思われる。左下の印は「生國魂神社印」。
(4)大正12年(1923)の御朱印。中央の朱印は「難波大社」。右上の印は勾玉に「官幣大社生國魂神社参拝紀念」。左下は「官幣大社生國魂神社社務所之印」。
(5)時期不詳、大正末から昭和初期のものと思われる御朱印。上の朱印は「難波大社」。下は「官幣大社生國魂神社社務所之印」で(4)と同じ。
(6)昭和5年(1930)の御朱印。下の朱印は「官幣大社生國魂神社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。上は(4)と同じ勾玉の印。
(7)昭和10年(1935)1月の御朱印。朱印は「官幣大社生國魂神社」で、枠に鳳凰と橘・三つ巴の神紋。
(8)昭和10年(1935)11月の御朱印。上の朱印は(4)と同じ「難波大社」、下は(6)と同じ「官幣大社生國魂神社」。
(9)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。
廣田神社
■廣田神社
御祭神:撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(天照大神荒魂)
鎮座地:兵庫県西宮市大社町
社格:式内社(名神大 月次相嘗新嘗)、二十二社
国史所載の神階:従一位勲八等
列格:明治4年5月14日
公式サイト:http://www.hirotahonsya.or.jp/
※絵はがき…昭和20年の空襲で焼失した旧拝殿。
■御朱印
(1)明治9年(1876)の御朱印。中央に朱印はない。左下の印は「官幣大社」。墨書は「摂津國官幣大社/廣田神社/社務所」。
(2)大正8年(1919)の御朱印。中央の朱印は「廣田神社」。上は「官幣大社」で(1)出使われているものと同じか。左下は「廣田神社社務所」。墨書は「摂津國武庫郡/官幣大社廣田神社/社務所」。
(3)大正15年(1926)の御朱印。中央の朱印は「廣田神社」、上は「官幣大社」で、どちらも(2)と同じ。
(4)昭和5年(1930)の御朱印。中央の朱印は「官幣大社廣田神社」で、昭和17年の『惟神の礎』にはこの印が掲載されている。下は「官幣大社廣田神社参拝記念」。
(5)昭和10年代の御朱印。中央の朱印は(4)と同じ「官幣大社廣田神社」。上は御神宝の劔珠。
(6)昭和17年発行の『惟神の礎』(紀元二千六百年奉祝会編)に掲載されている印影。
【1】神宮・官幣大社の御朱印(1)
【2】官幣大社の御朱印(2)
【3】官幣大社の御朱印(3)
【4】官幣大社の御朱印(4)
【5】官幣大社の御朱印(5)
【6】国幣大社の御朱印
【7】官幣中社の御朱印(1)
【8】官幣中社の御朱印(2)
【9】国幣中社の御朱印(1)
【10】国幣中社の御朱印(2)
【11】国幣中社の御朱印(3)
【12】官幣小社の御朱印
【13】国幣小社の御朱印(1)
【14】国幣小社の御朱印(2)
【15】国幣小社の御朱印(3)
【16】別格官幣社の御朱印(1)
【17】別格官幣社の御朱印(2)